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戦前~戦中~戦後の京都での噂話 エリート編

京都の昔の噂をご紹介しますね。
古都京都、現在でも伝統工芸に歴史ある建物がたくさん残っている、歴史上、重要な役割を果たしてきた土地です。

目次

京都という土地と噂

そこに住む人々は、やわらかい言葉を使って着物の似合うお上品なイメージがありますが、古来、京雀と言って天下をとりに都に上がって来た権力者を悩ませた、かなりの噂好き。
色々な噂には、独特の京都人としてのプライドをもってよそ者を拒んだり、下に見るところがあって、よそもんにはわからないランク付けもあるんですよね。
ということで、昔は京都の人ならだれでも知っていると言われた噂で、昭和の終わりに聞かされた太平洋戦争前、戦争前後、昭和の頃のお話のご紹介です。

昔の京都のエリートコース

昔の京都のエリートコースと言うのは、京都府立第一中学校(一中)から、三高もしくは一高、京都大学もしくは東京大学というものでした。

女子の場合は、京都府立第一女学校から同志社女子専門学校だったそう。
(両方とも現在は公立高校になっています)

京都一中から三高そして京大出身者からは有名な学者や成功者を輩出したのですが、特に日本初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士と朝永振一郎博士の出身校として有名です。

それぞれの場合

昭和48年、江崎玲於奈博士が日本では4人目のノーベル賞を受賞したとき、江崎博士が一中を受験したのに不合格で同志社中学へ進学したことがわかり、どうも面接があかんかったらしいということで。一中の同窓会ではその時の校長は誰や、ノーベル賞独占やったのにと騒然となったということは耳がタコになるほど聞かされましたが、同じことが国立民族学博物館長だった故梅棹忠夫のエッセイに書いてありました。

もちろん梅棹忠夫博士も一中のご出身で、三高から京大コースのため、大変な誇りを持っておられたことは言うまでもありません。

そして司馬遼太郎氏のエッセイによると、湯川秀樹博士の父上は京大教授でしたが、男ばかり5人兄弟の秀樹博士は小学校を出た後商業学校(二商)にでもやろうかというのを、京極小学校の先生が優秀だから一中へ進ませてあげてほしいと頼んだということで、あやうく世界的な物理学者が商売の道に進むところだったそう。

ちなみに湯川博士の兄弟は全員が東大教授や京大教授として名前を残しておられますし、京都では三高や兄弟の教授と言えば神様のように崇められたということなんですがね。

府立第一女学校

そして女性の方の府立第一女学校(府一)は日本最古の女学校で有名でした。
この学校の出身者では、その昔、山本富士子さんという元ミス日本で美貌の女優さんと、森光子さんが双璧でした。

しかしうるさい京女の集まりの同窓会では、山本富士子さんは認めるが、森光子さんは中退であることと出生が私生児であったことなどで認めないということで、森光子さんの経歴にこの学校の出身と書かれるのを苦々しく思っていたということです。

今では

今ではそういう、うるさくいう人たちは亡くなってしまい、ノーベル賞受賞者も東大より先に京大が受賞したと大威張りだったなんて、ものすごい過去のこととして忘れ去られるばかりだなあとついご紹介してしまいました。

※画像はイメージです。

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