悲劇の爆撃機レディ・ビー・グッド ~搭乗員がたどった地獄の運命~

ミステリーや都市伝説を生みだす温床のひとつに原因不明の事件がある。
原因の究明されない事件は不可解な謎を残し、その謎は人々の推理や想像力によってたくましく育っていく。このような時、人はどんな情報を正しいと思うのだろう。
確かな根拠に裏付けされた情報だろうか。それとも自分が信じたい情報だろうか。

これは第二次大戦中、地中海に墜落したと信じられ、のちにサハラ砂漠で発見されたレディ・ビー・グッドと9名のクルーの物語です。

サハラ砂漠のまっただ中に謎の無人爆撃機

終戦から13年たった1958年、イギリスの石油探索チームがサハラ砂漠で墜落機を発見した。
墜落現場はカランショ砂海と呼ばれる一帯で、海岸線からおよそ700km内陸に入った地点。リビア砂漠のほぼ中央部に位置することから、陸路はもとより空路の盲点でもある陸の孤島である。

その後の調査で、墜落機は米軍のB24レディ・ビー・グッド(Lady Be Good)であることが判明した。同機は1943年4月4日のナポリ爆撃任務から帰還せず、地中海に墜落したと考えられたため、MIA(Missing in Action/作戦行動中の行方不明)として扱われ、搭乗員は戦闘中の行方不明者となっていた。

機体は二つに折れていた以外はほぼ原形をとどめており、着陸の瞬間まで1基のエンジンが稼働していたことがわかっている。このことから、レディ・ビー・グッドは徐々に高度を下げながら、障害物のない砂原に不時着滑走したと推定された。

一方、機内の状況はというと、頭をかしげる謎ばかりが残されていた。作動可能な機関銃と通信機。砂漠のど真ん中に放棄された食料と水。消えているパラシュート。これらは搭乗員が墜落前に緊急脱出したことを意味していたが、肝心の搭乗員も遺体もいっこうに見つからない。また、レディ・ビー・グッドが操縦士のいない状態で飛行を続け、胴体着陸したのも奇跡的だった。

ミステリアスなこの事件には、さまざまな憶測が飛び交うことになる。

不明, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由

日記から明らかになった真実

遺体がようやく発見されたのは、機体発見の2年後だった。墜落現場から約130km北上した地点で、深く砂に埋もれていた5名の搭乗員。なおも生き残った男たちはさらに北へ向かったらしく、5名の遺体発見現場から30kmを超えた地点で1名が、40kmを超えた地点でさらに1名が発見された。
これらの捜索で見つかった日記によって、レディ・ビー・グッドの搭乗員にふりかかった壮絶な運命がしだいに明らかになっていく。日記の内容にしたがって、時計を少し巻き戻してみる。

イタリアのナポリ港への爆撃はレディ・ビー・グッドと搭乗員にとっての初任務だった。
強風と視界不良のため同機は編隊と合流できず、単独で作戦を続行することになる。リビアの所属基地への帰投コースに入った頃には日が暮れており、この時もレディ・ビー・グッドは単独で飛行していた。

帰還に要する時間は通常なら数時間。しかし強い追い風のせいか、機体は思いのほか早くアフリカ北岸に到達していたらしい。操縦士のハットン大尉はそれに気づかず、まだ地中海上空を飛行中と思っていた。彼らは海岸線を見落とし、基地を通り越し、注意喚起の照明弾も見落としたあげくに、内陸の奥へ奥へと迷いこんでいく。

ハットン大尉がさすがにおかしいと思った時には、すでに砂漠を2時間以上も飛行して燃料も尽きかけていた。大尉は機の放棄を決意する。パラシュートで脱出した時も、彼らは海岸線に近い場所に降下したと錯覚していた。

熱砂の脱出行軍

9人は信号弾の合図で集合した。しかし集まったのは8人で、ウォラフカ少尉が来なかった。装着していたパラシュートが十分に開かず、墜落死したことがのちに明らかになっている。

8人は地中海がある北をめざして歩き出すが、これが悲劇のはじまりだった。携行するのは水の入った容器がひとつ。サハラ砂漠は生物にとっては魔境である。昼間は灼熱地獄、太陽が沈めば極寒地獄。砂の海では、足を一歩踏みだすたびに膝まで砂にのみこまれてしまう。そのうえ、時おり巻き起こる砂嵐が彼らの体力を容赦なく奪った。

5日目に5人が一歩も動けなくなると、残った3人は水筒を5人に渡し、なおも北へ進む。しかし、またもや2人が力尽きた。最後に残ったのは、クルーの中でもっとも若い21歳のムーア軍曹だった。眼前に、ひときわ高い砂丘が横たわっている。

おそらく彼には、これが越えることのできる最後の砂丘であることがわかっていただろう。あの丘を登りきれば、きっとオアシスか、青い地中海の水平線が視界に飛びこんでくるはずだ。ムーア軍曹はそう祈ったにちがいない。しかし、最後の力をふり絞って砂丘の頂上に立った時、そこに見たものは果てなく広がる砂漠の景色だった。

不明, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由

生還のチャンスはあったか

レディ・ビー・グッドの悲劇は、もはや動かしようのない事実である。それでも考えずにいられないのは、彼らに何の条件がそろっていれば生還できたかということだ。
やはり運命を分けたのは、自分たちがどれだけ内陸に入ったかを理解していたか否かではなかったか。海岸線に近い場所にいると思っていた彼らが北を選んだのは無理もない。しかし、もし正しい位置をおおよそ把握していれば無謀な行軍は行わず、レディ・ビー・グッドを求めて南に向かっていたはずだ。無人の爆撃機が着陸をやってのけるとはとても思えないけれど、万にひとつの望みに賭けるしか生き残る道はなかったのだから。

仮に南を選んでいれば、水と食料を搭載したままの機体を発見した可能性がきわめて高く、作動する通信機で救助を要請することもできた。地図を持っていない彼らには知りようもなかったけれど、その先にはオアシスもあったのだ。一方のアメリカ軍も、彼らがサハラ砂漠の奥深くまで飛行したとは考えもせず、もっぱら地中海を中心とした見当違いな捜索を続けていたのである。

初陣で命を落とすことになったレディ・ビー・グッドのクルーたち。彼らの遺体にはアメリカ合衆国の国旗がかけられた。これも戦争の歴史の裏に隠された、悲しい史実の一幕といえるだろう。

eyecatch source:U.S. Air Force, Public domain, via Wikimedia Commons

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