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ナポレオンに学ぶ補給の重要性

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ナポレオンの一大遠征となったロシア遠征ですが、結果は散々でした。
動員された兵員約70万人に対し、生還したのはわずか7000名ほどと言われています。

損耗率90%以上・・・なぜこのようなことになったのでしょうか。

ナポレオンと言えば、缶詰を1804年に採用したりと軍の補給に関しては理解があると思われがちなイメージがあります。
しかしそれはあくまで補給の一端を改良したのであって、基本戦略としては細々と補給する馬車と現地調達というのが実情でした。

そして実施されたロシア遠征ですが、始まったのは1812年6月23日。夏場。

比較的ヨーロッパ中央部に近いロシア国境地帯は農耕地帯で物資の徴発も時期的にはしやすかったと思われます。
しかしロシアの奥に進むにつれ道路事情は悪化し気候は寒冷化していき、収穫期の終わった畑はただの雪原か泥沼になってしまいます。

ナポレオンが動員したと言われる70万人に1日300gのパンを支給すると考えたら、パンにして210トン必要になる計算です。
そしてこれらを運ぶのも馬車、兵士が移動するのに使うのも、大砲や装備をけん引するのも馬です。兵士の食料も必要ですがその数倍、馬の飼料が必要になります。

Peter TóthによるPixabayからの画像

馬は飼料を10キロから15キロ1日に必要とするそうなので、計算すると途方もない量になりますね。
70万人の大軍が移動しながら周辺で食料を挑発していくと、後続の補給部隊が馬にあげる食料なんて残りません。

そのうち馬は落後していき、届くはずの補給物資も届かなくなり、現場部隊はますます物資を現地調達に依存していきます。
これら、補給→消費→調達のバランスが崩れると発生するのは飢餓と疫病です。

Dominique DevroyeによるPixabayからの画像

20世紀のドイツはこれを踏まえて600万の軍に対する補給を鉄道や機械化部隊、昔ながらの馬車まで動員して最大限努力して行いましたが失敗しています。
また、日本軍もガダルカナル、インパール、ニューギニアなどでも同じ失敗を繰り返していますが、唯一ニューブリテン島では終戦まで自活に成功したのは稀有な事例です。ナポレオンが犯した大失敗は後世に語り継がれましたが克服するには至らなかったと言えます。

 

※写真はイメージです。

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