日本人初、アメリカへ渡った中浜ジョン万次郎の人生

幕末、明治維新が好きなのですが、中浜万次郎の人生もなかなか劇的なのでご紹介します。

中浜万次郎は土佐の漁民で、14歳のときに鯵鯖漁の漁船に乗り込んで遭難、伊豆諸島の無人島に漂着して140日生き延び、アメリカの捕鯨船に救助されアメリカへ渡ります。
当時は鎖国中だったので万次郎は帰国できず、ほかに助かった4名はハワイで下船したが、万次郎はこの捕鯨船のホイットフィールド船長に気に入られ、ジョン・マンと呼ばれて養子となりました。

そしてマサチューセッツ州フェアヘーブンの小学校から、バートレット・アカデミーで英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学んで、熱心に勉強して首席で卒業、捕鯨船のスチュワードとして海に生きることになったそう。
万次郎は、アメリカにわたった最初の日本人ということになるので、することなすことが全部日本人初になったひとでもあります。

万次郎はかなり頭の良い人であったようですが、捕鯨船に乗って航海しているうちに日本に帰りたくなったということで、その資金を得るためにカリフォルニアへ行きます。

このとき1949年、カリフォルニアのゴールドラッシュのときで、まさに西部開拓時代。

開墾したところすべて自分の土地になると奨励しても、なかなかアリゾナの砂漠は超えられなかったが、金が出るとわかるとどどどどーっと幌馬車隊が砂漠を突っ切ってカリフォルニアへ殺到したという、NFLのサンフランシスコ49ersの名前のもとになった時代でした。

そして、万次郎は日本人初の金鉱堀りとなって数カ月働いて得た資金で、まずハワイの漁民仲間を誘い、商船に乗って上海まで航海し、購入した小舟アドベンチャー号で琉球(沖縄)へ上陸したというわけです。

万次郎は、その後、薩摩藩に取り調べを受けたりしましたが、英語が出来る人がいなかったため重宝され幕府の役人となって、海外事情を語ったり、英語を教えたり、咸臨丸に乗って再びアメリカへ行ったりしています。
・・・が、オランダ語通訳の職を奪う、スパイだと疑われたりして黒船来航時のペリーの通訳はさせてもらえず、万次郎の語る海外事情は幕末明治維新の志士たちに多大な影響を与えたのに、日本ならではの嫌らしい扱いにも気を使ったそう。

また、英語で勉強した先進的な情報は持っていたが、日本では14歳まで土佐の漁村で漢字も知らなかったというまさに帰国子女のような弱点のせいか、明治後は政治家にならずに教育者として静かに暮らしたということです。

万次郎は何度かアメリカへ行くたびに、お世話になったホイットフィールド船長と再会しているし、現在も子孫の方々は代々交流があるということで、出身地の土佐清水市はニューベッドフォード、フェアヘーブンの両市と万次郎が縁で姉妹都市となって交流が続けられているというのは、何とも心温まることで、そのうちに大河ドラマの主役になってもいいような感動すべき日本人初の激動の人生だったと思いますです。


マリア
マリアです。最近、また歴史にはまっています。
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