自衛官の暮らしと引越は表裏一体

今からかなり昔、某引っ越し会社が「日本で一番引越回数の多い家庭」を調べたところ、ダントツ一位が航空自衛隊に勤務する自衛官とそのご家族でした。
当時、ご主人が40代後半、お子さんが高校生というご家庭でしたが、パイロットとして勤務するその暮らしはご主人が独身の頃から合わせると、実に20数回という引っ越しを経験されていました。

常に、今でいうところの“断捨離”を心がけ、お子さんも専用の段ボールを用意して自分で荷造りできるようになったという伝説がありますが、さすがに高校からは全寮制の学校を選んで進学されたのだとか。

中には国内の転属だけでなく、各国への連絡幹部や駐在武官、そして留学という形で海外にも飛び出していくケースがあり、取り巻く状況は様々です。
しかし、いずれにせよ一般の民間企業に比べると転属、転居の回数は多く、それにまつわるエピソードもさまざまです。

我が家の主も自衛官。
そうした自衛官の引っ越しについて、体験したこと、そして周囲で見かけたことについてまとめてみようと思います。

転属(転勤)の頻度はどのくらい?

幹部自衛官は2~3年に一回のペースで転勤します。
職種によっては、次にいつ頃どこに行くのか、なんとなく予測ができるようになってきます。
内々示が出るころにはもうほとんど公然の秘密となって見えてくるのです。
昔の話ですが。

内々示をもらって帰宅した官舎の部屋が、既に引越準備の段ボールでカオスになっていた、ということも、複数聞いています。
なんとなく、妻たちの間でそうした話が出てきて、大体いつ頃にどのあたりに…という予想もできるようになってくるのです。
こんなふうに、SNSが発達するはるか前から、妻たちのそうした繋がりは機能していました。

時には特殊な資格や技術の問題で「変わりがいないから」ということでなかなか転属させてもらえず、気づいたら人事のメインストリームから外れていた、というケースもありましたが。
現在は2~3年というターンは遵守されるようになってきました。
転勤(転属)はマイナス要素ではなく、組織の風通しを良くして、業務の循環を良くするには必須なのでしょう。

「引越貧乏」ってホント?

自衛官の引越の経費は必要最低限です。
実際、収支がトントンで終わることは殆どありません。
ほぼ赤字で、足りない部分は自腹で賄っています。
また、2~3年で転勤となると、家族がいる場合、子供の幼稚園、学校、習い事、塾などは、また初期費用(入会金や制服・用具などの買いなおし)が掛かります。
それは全て自腹ですし、インターネットなどを移設する費用も当然自己負担です。

また、引越のお任せサービスがありますね。
荷作りは自分でやっても、荷解きはお任せしてその日のうちに段ボール箱も引き取ってもらえるようなサービスを使うと、生活の立ち上げが早く済むので、オプションで頼む人も増えています。
ハウスクリーニングなども考えると、常に引越費用のための積立をしている人もいるほどです。

インターネット普及前から「全国ネット」

今から20年ほど前、いくつかの官舎を渡り歩きました。
妊娠期間中や小さい子供を抱えた引越でも、夫は頼りになりません。
自衛官は異動前日まで超多忙、移動翌日、もしくは当日に出勤、というのがデフォなので。
そうした中でお互いにフォローしあうのが、妻たちです。
夫たちが上官・部下という同じ職場のしがらみのある関係や、同年輩のママ友、幼稚園のお母さんたち、といったネットワークの中で、妻たちは暮らしていました。

当然、多くの人が集まればトラブルもありましたが、一生もののつながりを構築できる相手にも恵まれました。
しかし、お互いに一定期間が過ぎれば、どちらかがその地を離れていきます。
それが“前提”の関係なので、嫌な相手ならある程度割り切って…。
逆に良いお友達になれたとしたら超ラッキー!
お互いに、離れてからも連絡を密にして、そうしたアナログのネットワークを作り、手入れをして、保ってきたのです。

そんな生活を続けていれば、インターネットやSNSが普及するより前から、それなりの密度のネットワークができてきます。
知らない土地に行ったとしても、「友達」や「友達の友達」がいて、そのエリアの生活情報を教えてもらえたり、病気や災害時など困った時に助けあえるセーフティーネットだったんだな、と今なら思います。
引っ越した土地で完全なスタンドアローンではなく、もしもの時に頼れる存在がある、というのはとても心強いことでした。

しかし、傍若無人なことをしていたら、それもまた実名で拡散されます。
「どうせすぐに引越するから」と人間関係をひっかきまわしてやり逃げをしようとした妻や、官舎仲間や夫の部下らを巻き込んでマルチビジネスを展開した妻は、迷惑を被った人の伝手によって転勤先でその情報が早々に流布され、夫の仕事にも支障をきたしたのだとか。
相互監視ではないけれど、きちんとリスペクトし合いながら暮らしていかないと、とんでもないことになるなぁ、と学んだ暮らしでした。

退去チェッカー

我が家が入居した部屋は、なぜか酷い状態のところが多かったのです。
掃除した形跡がないだけでなく、一番ひどかったのは、台所の引出しを開けたら腐ったスパイスの瓶が残っていたとか…。
基本、自衛隊の官舎には“退去チェッカー”と呼ばれる人がいて、汚れや破損を確認して大掃除のリテイクを指示したり、その費用を負担させたりするはず…だったのですが。
退去したのが自分より階級が高かったりすると、言い出せないという忖度が発生するようで。

酷い状況がそのまま放置されて次の人が入居する、と言うこともままあるのです。
私だけでなく。
私が前述の酷い部屋の大掃除にぐったりして大先輩の奥様に愚痴電話を掛けたら、同様に
旧居をピカピカに磨いて退去したのに、引っ越していった先が酷い状態で、連日の大掃除に疲れ果てた妻の愚痴を聞いたことが何度もあるよ、という話をされました。

しかし・・・その部屋の前の住人が誰だったのかは、転勤先も含めてすぐにわかります。
我が家の場合は、夫が尊敬していた元上官でした。
引っ越してきて余りの酷さに呆然としていた夫は、私に文句を言わせませんでした。
私は、まず全て写真に残して、それから入居前の大掃除に突入です。
もちろん、愚痴は実名でいろいろな方に聞いていただきました。

当時は今のように写メがすぐに送れるというわけでなかったのが残念です。
こんなことを三回経験して、私は、自分がその部屋を出る時にはサッシの溝に一粒の砂も、そして部屋に髪の毛一本も残さない努力をしたものです。
どの退去チェッカーからも全て一発でOKを頂きました。
それは自慢であり、私の矜持です。

特異なケース

自衛官は、実は昔から海外にも転勤して行っています。
多くは、在外公館への駐在武官や、軍の学校などへの留学です。
駐在武官など、不妊に際して家族帯同であることを義務付けられる場合、そのキャリアと年齢的に、ちょうど受験期に差し掛かる子供をどうするか、という問題に直面するのです。

知己で、お子さんを連れて行ったケースは、現地のインターナショナルスクールに中学二年生で転入。
帰国してからも都内の同様の学校へ進学し、帰国子女枠での大学受験となったそうです。
また、高校受験と大学受験の兄弟を日本に残し、末っ子の小学生だけを伴って赴任したご夫婦の場合には、自宅マンションにご主人のお母さんに同居してもらって受験生二人のケアをしてもらったのだとか。

それもまた大変なことですが。
いずれも全てその判断は自分で行い、それにまつわる費用も全て自腹というハードモード。
しかし、まだほかに日本人がいる都市部ならまだしも。
“連絡幹部”という職種で、北米のど真ん中の空軍基地にたった一人で赴任したりという特異なケースでは、妻と子供を伴っていったけれど、その教育環境は日本語の通じない現地校のみで、日本から公文のプリントなどを取り寄せて妻が日本の学校の勉強を管理していたり。
別のケースでは赴任先が日本と気候が違いすぎて、帯同した妻が看護師の資格を持っていたから乗り切れた、などと言う話も聞きました。

いずれも今は元気に日本で暮らしている人たちですが。
在外公館勤務のケースでは、知己のいるエリアで暴動があったり、国情の問題がこじれたり…ニュースを見るたびに不安になったこともありました。

女傑

「ねぇねぇ、聞いて!私ね、昨日マンション買ってきちゃった!」
仲良しの同業嫁からかかってきた電話はちょっと衝撃的でした。
彼女はその当時、とある官舎に住んでいたのですが、ご主人が突発的な転勤で急遽遠方にまず一人で赴任したのです。
受験期の子供たちを抱えて、さてどうしたものか、と逆に冷静になったところに「二週間以内に官舎から出ていけ(意訳)」という通知を受け、「そっち(自衛隊)の都合で突然転勤させといて何言ってんだ?!」と怒り爆発。

赴任していった夫は多忙を極めており、こちらのことで煩わせるわけにもいかない、と直接官舎を管理する担当者を直撃したものの、らちが明かず。
子供たちの学校のことも考え、その数日前には全く考えていなかったマンションの購入に至ったのだとか。

しかし、二週間で分譲マンションを買って手続きして引越までクリアするのは無理!と粘り、退去期限を一か月に伸ばさせて、不動産屋を巡り、部屋を決めたのです。
ただ、購入やローンの契約者たる夫はその時期に戻れるはずもなく、全て彼女が奔走し、委任状などを連発して手続し、引越完了まで乗り切ったのですが。
「どうも不動産業者や銀行の担当者には“離婚を前提に別居する妻”だと思われていたらしい、と後になって気づいた」というのです。
普通なら倒れてもおかしくないだろう修羅場を乗り越えた彼女は、それ以外にもいろいろな伝説を持つ女傑ですが、私の中ではこの“酷い引越”のエピソードが一番輝いています。

帰省の度に変わる「実家」

大先輩のご夫婦は、在職中に単身赴任をしないことを決めていたため、お子さんたちは中学・高校でも転校を経験していました。
優秀なお子さんたちでしたが、当然、かなりなご苦労があったようです。
彼らは大学進学で家を出てそのまま就職。

そして、親世帯も数回の転勤を経て定年退官を迎えたのですが。
それまでの間、お子さんが帰省するたびに「実家」が変わるということになっていたようです。
子供の荷物もどんどん減っていき、あっという間に夫婦二人の暮らしになってしまった、というご夫妻は、お互いの地元とは全く縁のない土地に小ぢんまりと居を構えることになりました。

赴任していた中で、最も気に入った街で暮らすことを選んだという彼ら。
沢山の“仮住まい”の土地でいろんな体験をしていたことで選択肢が広がった、とも話してくれました。
常に転居を意識したミニマリストのような暮らしぶりでしたが。
今思えば、折々に余計なものをそぎ落としていくようなそのスタイルは現在に至るまで、ちょっとうらやましい身軽さでした。

地域による特性(沖縄)

長距離の海路を経た引越になる沖縄は、他のエリアへの転勤とはまた違った苦労があります。
船便で荷物を送ることがデフォなので、準備に手間と時間がかかり、また、届くまでにも時間がかかるのです。

特に、車は専門の運送業者に頼まなければならないのだそうで、関東からだと、川崎にあるその海運会社まで自分で運び、また、沖縄から戻った時もそこまで取りに行かなければならなかった、という話を聞いたときには「マジか?!」と思いました。
その手間や手続きが面倒で、引っ越し前に車を処分し「現地で中古車を買うことにした」と言うケースもありました。

荷物の発送や到着に2週間前後の時間が必要と聞いて、まるでアメリカにでも引っ越すみたいだなぁと正直思ったのですが。
そこに台風の季節など、気候の状況が加わることで到着が遅れたり、いろいろな問題が発生してくるのだそうです。
顕著だったのは、東日本大震災の時のこと。

2011年の3月末に定期異動で沖縄から関東に引っ越した知己は、ご主人はそのまま東北に派遣されており、妻と子供だけでその移動を乗り切ったのですが。
震災前に送り出していたはずの荷物が載った船が経由地の港から動けなかったり、特に車が予定より大幅に遅れて到着し、川崎の海運会社まで取りに行くのも難儀をして、いろんなサバイバルを経験したのだと言っていました。

家電など、必要なものを買いなおそうとしても、物流が途絶えていて思うようにいかなかったり、子供の学校関係のものをどうやって間に合わせようかと悩んだり。
その時に助けてくれたのは周囲の友達、同僚の奥さんたちだった、と言っていました。
そうした相互扶助は、次に誰かが困っていたら今度は自分が助けよう、という輪になって続いていくのだと思っています。

「引越マニュアル」の存在

結婚した時に、親しかった大先輩の奥様にお手製の「引越マニュアル」を頂きました。
これは昭和の時代から手書きで作られたものに、新しい知恵が付加されていったものでしたが。
今のように引っ越し会社やダスキンなどのプロがある程度のサービスを提供してくれるようになる前、きっと大変な苦労をしてきたんだろうなあ、という努力の跡がにじむようなものでした。

共通として読み取れるのが「夫(自衛官)はあてにならない」というもの。
転属の前後は本人(自衛官)がほぼ動けないので、引っ越しの主体は妻が請け負わねばならないのだから、腹を括れ、というエールでした。
そこにあったのは、経験則から編み出された効率的な引越と掃除の段取り、手続きのやり方など。
まさに“プロ”並みの引越タイムラインと、普段の生活の中で転勤を常に意識しての整理整頓・断捨離の知恵だったのです。

今はもう、お金を出せばハウスクリーニングも引越のお任せサービスもありますが。
昔はそんなものはなかったんだなぁと思うと、隔世の感がありますね。
ちょうど、私が結婚した頃が過渡期だったのだと思います。

きっと苦労するだろうから、少しでもその負担が減るように、という心遣いで残されてきた先達の知恵には、私もとても助けられました。

まとめ

転勤、そして引越はライフサイクルの中で大きな負担ではありますが。
今振り返ると、そんなこともない限り訪れることもない場所で暮らし、いろいろなものを見られたのは良い経験になりました。
ちょうど私たちの世代から、子供の学校、妻の仕事、そして親世代の介護などを鑑みて、単身赴任が急激に増えたように思いますが。
インターネットの発達、スカイプやLINEといった通信インフラの発達は、コミュニケーションの質を格段に向上させてくれたので、物理的に離れていても“距離”を感じることが減り、フレキシブルに暮らせるようになったのでは、と思っています。

日本は狭いけれど細長くて、気候風土も慣習も土地ごとに違うのだということ。
「常識」は、案外通用しないものだと肌で感じ、苦労もしたけれど、良い勉強にもなったこと。
我が家は子供の受験を期に定住モードに入って久しく。
今はこの地にやってくる後輩たち若い世代の奥さんたちとやり取りをして、転居を繰り返していた時期のことを懐かしく思い返しています。
またSNSの発達は、古くからのお付き合いを一変させました。

年賀状だけで細々とつながっていた同業の知己たちが、リアルタイムにやり取りできるようになり、さまざまな意識が変わってきたと思っています。
全国各地で、同様に頑張っている自衛官の嫁たちがいる。
物理的な引越で離れてしまっても、そういうつながりを持てたことは、幸せなことだと思っています。

今年、自衛官を募集している広報官から聞いた話では、転勤が少ない地方公務員の警察官・消防官に人が流れて、自衛隊は試験を受けてもらうことすら難しくなっている、とのこと。
選択肢が増えた今となってはそれも道理だし、責められないことだなとは思いますが。
いろいろなところに行ってみたい、とこの世界に前向きに飛び込んできた若い子も確実にいるのです。

住めば都。
引越は大変だけれども。
どこに行っても、案外楽しく暮らしていけるかもしれないよ?と思っています。

※画像はイメージです。

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