90年代の自衛隊とは?「兵士を見よ」を読んだ感想

この本が執筆されたのは今からちょうど20年前です。
インターネットもそれほど普及もしておらず、SNSはその発想もなかった時代。
自衛隊という世界は、こうも“閉じられた世界”であったのか、と愕然とします。

外からそこを覗き込もうとするのはいわゆるミリオタを中心としたごく一部の人々であり、広報活動も積極的に攻めて出ることは少なかった時代だったのです。

ただ、淡々とその任務を果たすことが至上の命題であり、それが理解されてもされなくても、自分らには関係のないことである、という気風すら感じられた長い歴史のなかで、1995年の阪神大震災(災害派遣)を経て、やっと少しずつ「社会の理解」を得ることの大切さを感じ始めたころではなかったか、と考えます。

この本では1995年に刊行された杉山氏の一冊目の「兵士に聞け」が陸上自衛隊を中心とした三自衛隊の全般的なレポートから、空を飛ぶパイロットを中心とした航空自衛隊へと対象をシフトしています。

死と隣り合わせの世界?

戦闘機パイロットが自宅を出る時、妻がその背に清めの塩を振るというエピソードから、この本は始まります。
その行為で、送り出す側の心が休まるのであれば、とパイロットは甘んじて背を向けるのだと。

取材する側も、彼らが「死と隣り合わせの世界」に生きる者たちであると考えることが多く、そうしたアプローチを試みると、意外にも本人たちはそう思っておらず、不思議な顔をされてしまう、というのです。

こうしたら危険。
こうなったら危険。
…で、あれば、その状況に陥りそうなとき、陥った場合にはどう回避して生き延びる道を選ぶか。

徹底的に叩き込まれたそのメソッドがあればこそ、彼らは生き延びるのです。
それでも。

パイロットになって20数年の間には、かならず同期が櫛の歯が抜けるように亡くなっていく、その運命はどうしても避けようのない世界です。
しかし、パイロットらは皆、それが“自分”であるとは考えておらず。

骨の髄まで叩き込まれる危機回避のマニュアルを瞬時に呼び起こし、その操作を忠実に行うことによって危険を減らし、生還していく、実に淡々とした仕事だというのです。
取材者が何気なく「あなたの仕事は死と隣り合わせですね」と尋ねることは、すなわち、その人物のパイロットとしての資質に疑問を差しはさむことになるのです。

体験搭乗

この時、著者の杉山孝男氏は戦闘機と操縦士のことを知りたいから、と申請し、千歳基地にある二〇三飛行隊のF-15イーグルに体験搭乗することになりました。

予定されているそのミッションはACM(エアコンバットマヌーバ):対戦闘機戦闘訓練…いわゆる模擬空中戦です。

「遊覧飛行程度ではパイロットのことは書けない」という至極もっともな意見により、杉山氏はプレブリーフィングから参加、実際にコクピットに乗り込んで感じた“G”は「優しくも、快適でもなく、かと言って苦痛には違いないのだが、それだけでもなく、これまで体験してきたそのどれにもあてはまらない独特の感覚だった」と述べています。

地上から撮影していたカメラマンの三島氏の記録と合わせて再現されているフライトの様子は文筆家らしい緻密さと、それ以前に経験してきた様々な自衛隊の取材、体験と照らし合わせても特異なものであったことがよくわかります。

「アドレナリンが湧きたつようなスリリングな興奮でも緊張でもなかった。むしろそれは、蒼を塗りこめたような海の中に潜っていくときの感覚にどこか似通っていた」

その表現によると、人間や生命体が本来生きていられない場所に突き進んでいくような感覚。

日々そんな空間に向かっていくF-15のパイロットたちに「なぜF-15に乗るのか?」と問うた彼に、多くが「好きだから」とシンプルに答えているのが興味深いです。

気の利いたことをリップサービスで答えるでもなく、ふと考え応える彼らに、杉山氏が「だったら旅客機やヘリコプターでも良いのでは?」とさらに突っ込んだところには「一人で飛べるから」という言葉が帰ってきたそうです。

そこにあるのは「孤独」。
しかし一人で飛ぶことができる「自由」もある。

限られた人間にのみ与えられたそれは特権でもあり、任務、そして趣味、生き甲斐にも通じているのだということを、杉山氏は同じフィールドに身を置くことで痛感したのでした。

送り出す側の気持ち

自衛隊の戦闘機は、搭乗するパイロットが決まっているわけではありません。
むしろ、専属(機付)が決まっているのは整備員です。

責任者は“機付長”と呼ばれ、地上にある時の一切合切を面倒見るのです。
しかし、彼らは入隊後に厳密な養成コースを経て技術を習得し、現場に出てからも日々マニュアルや指導と格闘してその機体の全てを読み解き、パイロットに託すのです。

真冬の千歳基地で零下五度の凍てつく空気の中、キャノピーを素手で布拭きで磨く様子は、まるで繊細な生き物をケアするような様子にも見えます。

パートナーとして大切にしていた機体がトラブルを起こして海に墜落したという体験を語った整備員の話には、それを「死」という言葉で表すような絆が窺い知れます。
そのケースでは、パイロットはベイルアウトしたおかげで生存していましたが、海中から引き揚げた機体を調査したものの、最終的な原因は不明のままであったとのこと。

彼は、その「死」を受け止めるためにも、事故が起きた場所から近い海に向かい、供養のための花を手向けるのです。
彼にとって、事故のあった日はまさに“パートナー”の命日でした。
後に、その日、その時間は人目につかないように黙祷をささげていたという彼。

胸ポケットに忍ばせた手帳の中には唯一彼の手元に残された、一緒に撮った写真が挟まれている、というのです。
全てをかけて戦闘機をパイロットに託して見送る側にしかわからない気持ちがそこに込められているのかもしれません。

ライト・スタッフ

この言葉がタイトルになった古い映画があります。
東西冷戦のさなかに戦闘機で音速を超える記録を打ち立てることを目指したチャック・イエーガーと、宇宙飛行士を目指した米空軍パイロットらの物語です。

ライト・スタッフ=しかるべき才能、とでもいうのでしょうか。
それを持ち合わせていなければその世界に足を踏み入れることの出来ない条件とでもいうようなニュアンスです。

自衛隊の戦闘機のパイロットという職業は、希望する人にとってはまことに狭き門です。
勉強ができても視力がネックになって落とされることもあります。

全てにおいて抜きんでたまさにライト・スタッフでなければ、その入り口に立つことすら許されません。
それを満たして入隊したところが、厳しい訓練の中でどんどんふるいにかけられて落とされていく、そんな日々を潜り抜けなければ、コクピットにたどり着くことはできないのです。
単座で飛ぶ、ということは、一度空に上がったら誰の助けも得られないことを意味します。

よって、適正テストも繰り返され、フィジカル・メンタルともに長い訓練を乗り越えられなければエリミネートされていくのです。
教える側も命がけです。

送り出す学生の生命、その後の人生は、そのときの教育に掛かっているからです。
何某かのことあらば、一生の悔いを背負う___それを100パーセント回避することはできません。

ライト・スタッフを見出し、鍛え、送り出しながらも、日々「これで良いのか」「これで良かったのか」と自問を繰り返す人々が確実に存在しているのです。

F転(えふてん)

後に、有川浩さんの「空飛ぶ広報室」で主人公が交通事故に遭い、戦闘機を下ろされることになる顛末で同じ言葉が使われました。
「F転」とはファイターから転じて他の職種へと移ることを意味します。

ここでは、やっと戦闘機のパイロットとして下積みを終えたばかりだというのに、“救難”へと異動を命じられたパイロットや、その妻らの心境を詳らかにしています。

この当時、日本人でどれほどの割合の人々が航空自衛隊航空救難団、そしてメディックや救難ヘリといった存在を知っていたか、というと、一部の興味を持つ人々意外ほぼ壊滅ではなかったか、と思われます。

今でこそ、東日本大震災などを経て映像やインターネット、SNSを経てひろく知られるようになった組織ですが、本書が執筆されていた時期にはその任務そのものが空自でも末席のような扱いであったと、著者は述べています。

曰く、隊舎は基地の中でもはずれにあり、救難への異動を示唆されたパイロットの殆どが即座に退職を考えるのだ、と。

F転という言葉にはそうしたネガティブなイメージがこびりついており、周囲もその宣告を受けた者を軽んじる傾向があったのだと述べられています。

切実な事情として、同じパイロットでも職種が変わることで手当てが全く異なり、例えば子供の進学の時期にそれが当たると経済状態が全く変わってくるのだと赤裸々な言葉が綴られているのです。
そうした葛藤を経て救難に進んだ人々が、それまでと全く異なるフィールドで命に対峙した経験談は胸を打ちます。

今でこそ多く語られるようになったそうした現場の実情を、この当時ここまで書いた書籍はまれであったと記憶しています。
今は社会的に組織が認識・認知され、理解も深まってきていますが、この当時の苦闘の歴史があってこその現在なのだと思い知らされるものです。

みどころ

1998年の執筆当時から20年。
阪神大震災の記憶がまだ新しかったその時期と、現在のちょうど真ん中あたりに東日本大震災がありました。

その時期を境にして、日本中で自衛隊という組織に対する意識は急速に変化したと思われます。
また、有川浩さんの「それ飛ぶ広報室」という物語が転機となり、自衛官の生の姿を外に向かって発信・広報することが当たり前になってきました。

しかし、杉山孝男さんが自衛隊を取材し始めた当時、個々の自衛官に対してアプローチしていくというスタイルもまれなら、ここまで詳らかに現場の声を広げて一般に発信するということも珍しかったと記憶しています。

本書は、そのシリーズの中でも二冊目に当たり、航空自衛隊、そしてパイロットたちに焦点を当てて語っています。
今読み返すと、それはまさに苦難の日々であったのだと肌で感じます。

理解されてもされなくても「自衛官としての任務はこんなものである」という、どこか諦めに似た悟りと、そして当時の社会情勢の中で精いっぱいの仕事をしているという矜持が文字から浮かび上がってくるようです。

後半、これもまたマニアックな世界で、自衛隊を相手にする仮想の脅威「ミグ」を演じる飛行教導隊をリポートしています。

空自の中でも特異な存在であるその舞台を探ることで、当時の国際情勢にまで踏み込んだ自衛隊の立ち位置を分析しながらも、そこにいるパイロットらの思いをも詳らかにしていく、その杉山さんの目線はクールでもあり、また、そこで働く者たちへの温かさもあり___この時代に蓄積されたものが、子世代の今の若い自衛官らの育成や組織の運営に活かされているのだということがじわりと伝わってくるのです。

今これを読む私達は、この後に東日本大震災があり、自衛隊に対する国民の感情や理解が大きく変化することを知っています。

しかし、それを知る由もない20年前に、淡々と努力を重ねていた彼らの姿があったのだ、ということを杉山さんは、切り取って残してくれた、そういう意味でも読み返す価値のある一冊ではないか、と思うのです。

(C) 兵士を見よ 杉山隆男 新潮社

 

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