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終戦を知らずに北海道の山中に潜んでいたアメリカ軍搭乗員

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日本本土に墜落しながらも捕虜にならずに帰国した唯一のアメリカ軍搭乗員

太平洋戦争が終結したのちも終戦を知らずにグアム島のジャングルに潜んでいた横井庄一氏や、フィリピンのルバング島で何十年もの間任務を続行した小野田寛郎少尉の話は有名である。

ところが勝った方のアメリカ軍にも、終戦直前に北海道に墜落し、期間はごく短いが付近の山中に潜伏、終戦の一か月後に発見された搭乗員が居たのをご存じだろうか。

目次

その搭乗員とは?

その搭乗員の名はオリバー・ラスムッセン。
空母シャングリラから発進したカーチスSB2Cヘルダイバーの射撃手であった。

1945年7月14日の朝。
北海道の襟裳岬沖のシャングリラを発進した彼の搭乗機は僚機と共に苫小牧市内を銃爆撃。苫小牧市史によるとこの攻撃で王子製紙の工場が被害を受けている。この攻撃直後、オリバーの乗機は翼端すら見えない濃い霧の中に突入してしまい苫小牧市西方の樽前山の山腹に激突してしまった。

この時、操縦員のハワード・イーグルストン中尉は即死したが、オリバーは奇跡的に目立った怪我も無く機体の横で意識を取り戻した。正気を取り戻したオリバーは、墜落現場への捜索を恐れ、上官の埋葬もままならず救命キットとKレーションを6つ持ってその場を立ち去る。

機内から撮影した樽前山

墜落してから

結局墜落してから最初の18日間は、この6つのKレーションで命を繋ぐことになった。

ここで彼が幸運だったのは、北海道と言えども真夏は昼夜の温度差が非常に少なく、野宿も可能だったことである。水筒の水が無くなれば小川から水を補給することも出来た。

ようやく辺りの地理にも慣れ、民家の近くまで行って様子を見ると牧場があり、彼の故郷にも居るホルスタイン牛が草を食っているのが見える。彼の実家は牧場であり、乳しぼりは彼の重要な日課だったのである。

それ以来、昼は山中に身を隠し、夜中には牧場に忍び込んで乳を搾り十分飲むことが出来るようになった。また彼の故郷では野生のコメを食べる習慣があり、この事も彼の体力をつけることになった。牛乳を飲んだ後は米や缶詰なども失敬したと言う。

彼が数えていた日数からすると、ちょうどこの乳しぼりで飢えをしのいでいた時期に8月15日の終戦を迎えたことになるのであるが、オリバーにとっては全く感知できない事だった。

2か月近く経った

墜落から2か月近く経った時、オリバーは今まで全く姿を現さなかった友軍機がのんびりと上空を旋回するのを見た。
アベンジャーの編隊である。それがいかにものんびりと飛んでおり、空襲警報も対空砲火も全くないことから、彼はようやく戦争が終わったのだと理解した。

彼は意を決して海岸線まで歩き、砂浜にHELPの文字を何か所も書いた。

しかしその作業が終わった所でついに彼は数人の日本人に取り囲まれてしまった。手には鎌を持って今にも飛びかかろうと言う姿勢である。
その時オリバーは和英会話帳を見ながら、たどたどしい発音で「友達」と言う言葉を2回繰り返して言ったのであった。その発音は日本人に通じたらしく、相手は鎌を地面に捨ててタバコを差し出し、火をつけてくれた。

60日間に及んだ潜伏はこれで終わりとなり、オリバーは憲兵隊に引き渡された後、苫小牧警察署で取り調べを受けたが、この時牧場で牛乳や食料品を盗んだことについて、「請求はアメリカ海軍に回す」と言う事で話がまとまったとの事である。

また、このオリバー・ラスムッセンは日本の本土に墜落しながら捕虜にならずに帰国した唯一のアメリカ軍搭乗員となったのである。

icon image: 作者 U.S. Navy [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

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