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幽霊船メアリー・セレスト号の謎

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1872年、ポルトガルの沖合にて無人で発見された帆船メアリー・セレスト号。この事件は海難事件史上に大きな謎をのこし、今なお、推理、研究、仮説や珍説と格好の話題になってるのでした。
メアリー・セレスト号遭難事件について考察して行きます。

目次

メアリー・セレスト号事件の概要

1872年12月4日、ポルトガルのセント・ヴィンセント岬からおよそ700マイル先の大西洋上の沖合はとても静かな凪の状態でした。静かな海を漂流する帆船メアリー・セレスト号を発見したのは、ジブラルタルに向かって航海中のイギリスの帆船ディ・グラツィア号。

遭難信号は出ていませんでしたが、何らかのトラブルを察知したディ・グラツィア号のデヴィッド・リード・モアハウス船長は船員に命じて小型ボートで船腹に近づき、船内の様子を確認させにいかせました。

船員がメアリー・セレスト号に乗り移り、そこで見た光景は、なんとも形容しがたい異様。
船上は水びたし、船倉の積み荷はアルコール樽で約1,1メートルも浸水し、排水用のポンプが一基を除きすべて使いものにならなくなっていた。
航行可能な状態であったにも関わらず、方位磁針も破壊された形跡があり、距離を測るための六分儀、クロノメーターもなくなっていたのです。

船内を探索すると、3つの手すりに血痕があり、そのうちの1つには説明の出来ない引っ掻き傷があった。書類は船長の航海日誌だけで、最後の日誌には11月24日付で、アゾレス諸島から西に約160kmの海上にいたと書かれ、船長の寝台の下には刀剣が隠されていた等と、すぐには説明の出来そうにない状況が散見されていました。

忽然と姿を消してしまった船員

船には船長のベンジャミン・ブルックスと妻と娘、それに7人の船員の10人が乗っているはずでした。
ディ・グラツィア号の船員たちは、2時間近くも船内をくまなく捜索したそうですが、捜索は徒労におわりました。
10人もの人間が忽然と姿を消してしまったのです。

数多くの謎を残したまま、ディ・グラツィア号はメアリー・セレスト号を曳航してジブラルタルまで運び、海難救助の申請を行いました。しかし、ジブラルタルの海難裁判所で、ディ・グラツィア号の船長リード・モアハウスと乗組員には共謀罪といった、あらぬ疑いがかけられたのです。
というのもベンジャミン・ブルックスとリード・モアハウスは親友で出港の前にも会食していたという事実があったので、2人は謀議して保険金目当てに一芝居打ったと疑われたのでした。

裁判の末、船長と乗組員の疑いは晴れましたが、すべての嫌疑が無くなったわけではなく、相場の額よりも低い報償金を受け取り、海難事故として一旦は解決しました。

メアリー・セレスト号事件の謎

この事件はあまりにも不可解なため、後に尾ひれはひれをつけて噂はどんどん広まっていったのです。

その中でも、

  • 発見当時、火にかけたままの鍋があり、乗組員の朝食が温かいままで残っていた。
  • 洗面所にひげを剃ったあとがあった。
  • 船長の日記には「妻のマリーが…」という走り書きがあった。

等々に関しては、あくまでもあとについてきた脚色だということがわかっています。

他にも、バミューダトライアングル説、UFO連れ去り説のようなトンデモ説。サメに襲われたや積み荷のアルコールが出火した説などいろいろありますが、そのすべては仮説の域を出ていません。

その中でも著者が気に入っているもの考察していきます。
まずは海賊襲撃説、なんとなくあり得る話かなとはおもいますが、積み荷のアルコールが残されていることを考えると疑問が残ります。
次に食中毒によるパニック説、船に積んでいたパンに毒性の菌がついていて、食べた全員が食中毒になりパニックをおこして海に飛び込んだというのですが、さすがにこれはないでしょうと思います。
船員による暴動説については、もし暴動があったとしても一人も船に残っていないのは理解できません。

メアリー・セレスト号事件はミステリーとして様々な人々を魅了し、あのシャーロック・ホームズの作者コナン・ドイルもこの事件をもとに小説を書いているほどなのです。

その後のメアリー・セレスト号

その後、メアリー・セレスト号はその後持ち主を変えて航海を続けていましたが、1885年にハイチのゴナーブ島にて座礁してしまいます。
しかしこれは、当時の持ち主だったパーカーという男が保険金目当てでわざと座礁させたらしく、パーカーはそれが発覚して逮捕されてしまいます。

それを最後に、船は廃棄され忘れ去られてしまいましたが、2001年の夏に作家であるクライブ・カッスラーとその調査チームにより、残骸が発見されたそうです。

おそらく真相は永遠に闇のなかだと思われます。
そして誰かが、また新しい仮説をたて、また他の誰かがと言うように、メアリー・セレスト号の名前もまた永遠にのこるのではないでしょうか。

featured image:Unconfirmed, possibly Honore Pellegrin (1800–c.1870). This speculative attribution is suggested in Paul Begg: Mary Celeste: The Greatest Mystery of the Sea. Longmans Education Ltd, Harlow (UK) 2007. Plate 2, Public domain, via Wikimedia Commons

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