大量殺戮?革命的自決?~人民寺院、900名の集団自殺~

1978年11月18日に南米ガイアナのジョーンズタウンで決行された、900人を超える老若男女の集団自殺。
911テロまでは、米国史上最多の犠牲者を記録した事件だった。「革命的な自決」を呼びかけて信者たちを死に導いたのは、狂った教祖ジム・ジョーンズ。社会的弱者を救済し、差別のないユートピアを夢みた団体は、いつしかカリスマ教祖の欲望を満たすカルト教団になっていた。

ガイアナの惨劇

ジョーンズタウンの集団自殺、あるいは大量殺人から一夜が明けた朝。
パナマの空軍基地に駐留していたデイヴィッド・ネッタービルとその同僚は、行き先と目的を伏せられたまま輸送機に乗り込むことになった。機内で彼らが知らされたのはガイアナ共和国で発生した大規模な集団自殺。

現地に足を踏み入れると、腐敗して膨らんだ、おびただしい数の死体が辺り一帯に転がっていた。デイヴィッドはこう振り返る。
「生存者はゼロだった。最初は数百体ぐらいに見えたんだが、遺体は折り重なっていたからね。500から600へ、さらに700へと日に日に増えていったよ」

止まり木から、だらりとぶら下がったオウム。こと切れたペットの犬。ジョーンズタウンでは、すべての生き物が息絶えていたという。
現場の捜査や取材を行ったFBIや軍人、ジャーナリストを苦しめたのは、暑さによって腐乱がはじまった遺体の強烈な死臭だった。遺体袋に収納できないほどに分解が進んでしまった、900を超えるもの言わぬ人々。

90年代のオウム真理教のサティアン強制捜査をめぐり、一部の識者が信者の集団自殺をおそれたのは、おそらく人民寺院の光景が脳裏に浮かんだからだろう。

■教祖ジム・ジョーンズNancy Wong, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

カリスマ教祖ジム・ジョーンズの転落

人民寺院の最高指導者にして、ジョーンズタウンの王様でもあったジム・ジョーンズ。
1955年、キリスト教系新宗教の人民寺院がインディアナ州インディアナポリスで産声をあげた。当初は人種融和をうたう宗教団体で、ジョーンズは貧困層を支援して食事や住居を提供するなど、福祉活動や差別撤廃運動に奔走した。カリスマ性に満ちた若き教祖はメディアにも頻繁に取り上げられ、ジョーンズは時代の寵児になっていく。そんなある日、彼は説教の途中で突然聖書を床に叩きつけて聴衆に言い放った。

「わたしは今、聖書を侮辱した。だが、天から雷が落ちてきたか? 天国などデタラメだ。この地上に、われわれの天国をつくろうではないか!」
聖職者というよりも、これは革命家のアジテーションだ。狂気の暴走は、このときにすでにはじまっていたのだろう。

ジョーンズは車椅子の老女を立たせたり、盲人の目に光を取り戻させたりと、信者の前でヤラセのパフォーマンスまで行うようになる。さらに夫婦の信者の性行為さえ禁じた。白人信者は差別主義者でないことを証明するために黒人信者の性器を舐めるよう強要された。

迷走する教祖に「あなたは変わってしまった」と苦言を呈し、教団を離れる者が相次いだ。ジョーンズが何より恐れたのは、脱会者が教団の実態をメディアに暴露することだった。案の定、脱会者の告発をメディアが報じたことで、人民寺院は破滅の道を突き進んでいく。

ポート・カイトゥマ空港の銃撃

70年代半ばになると、ジム・ジョーンズへの社会的な圧力はいよいよ強まり、彼は妻子と信者を連れて逃げるように南米のガイアナ共和国に集団移住。ユートピアというふれこみで、外界と完全に隔離されたコミューンをつくり、ジョーンズタウンと命名した。

1978年11月、信者の家族らを中心とした教団への批判運動が高まり、レオ・ライアン下院議員がジョーンズタウンの視察に乗り出した。視察中、助けを求めるメモを信者から密かに手渡されたライアンは、表向きは理想郷であるジョーンズタウンの闇を確信。

同月18日、ライアンは脱会希望者を連れて帰途につくが、空港でジョーンズの指示を受けた信者たちの銃撃にあい、5名が死亡してしまう。わが身の破滅をジョーンズが確信したのは、おそらくこの襲撃事件のときだろう。

同日の夕刻、彼は信者とともに集団自殺へと至る。使用されたのはシアン化合物やプロメタジンといった毒物だった。うまく飲みこめない乳幼児には注射した。抵抗したり、逃げようとした者は取り押さえられて無理矢理注射されるか、さもなければ射殺された。生存者の証言により、少なくとも300人が「殺害」されたことがわかっている。事件後には、背中を撃たれた遺体も多数発見された。

■ジョーンズタウンFielding McGehee and Rebecca Moore, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

人民寺院の「死のテープ」

人民寺院の集団自殺の音声を録音したカセットテープが残っている。「死のテープ」と呼ばれる約45分の音源だ。信者が次々と毒をあおり、折り重なって倒れていくなかで、ジョーンズは最後の説教を続けている。
「まもなく米軍がパラシュートで降りてきて、われわれは拷問されるのだ。ならば、その前に毒をあおごうではないか。これは自殺ではない、革命的行動なのだ」

最初は大きかった信者たちの拍手や歓声、子供たちの泣き声はしだいに小さくなり、やがて静寂が訪れる。みんな死んでしまったのだ。すべてを見届けたジョーンズは自らのこめかみを撃ち抜いた。狂った教祖のユートピア、ジョーンズタウンが地上から消滅した瞬間だった。

「カルト」という言葉が浸透するきっかけになった人民寺院の集団自殺。これは革命的行為だったのだろうか。常軌を逸した教祖が自らの破滅を悟り、妻子を含む大勢の信者を道連れに無理心中したとしか思えない。

eyecatch source:
Peoples Temple, Public domain, via Wikimedia Commons

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