不遇のダンサー、マタ・ハリはスパイ?!

第1次世界大戦の最中、二重スパイとして処刑されたダンサー、マタ・ハリ。
なぜ彼女が銃殺刑という女性では稀な刑に処されたのか・・・当時の情勢から迫ります。

マタ・ハリって?

マタ・ハリは本名マルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレというオランダ人でした。
早くにオランダ軍将校と結婚し東アジアに滞在しながら子供を授かりますが離婚。
1906年ごろ、オリエント要素を取り入れたダンスを売りにパリで売れっ子になります。

当時のダンサーは高級娼婦を兼業していたことから、彼女は多くの軍関係者と交友することになりました。
フランス軍はもちろん、隣国ドイツ軍ともです…。

不明Unknown author [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

1917年当時の情勢

この時期は大戦終結の1年前で、一見すると連合軍有利な状況と思われがちですが実際は違いました。

特にフランスにおいては1917年4月~5月に行われたニヴェル攻勢が18万人以上の損害を出す失敗に終わったことから軍の士気は大いに低下していました。

過酷な突撃命令で兵士の士気は大いに下がり、命令不服従が続発していたのです。

このあたりはスタンリー・キューブリック監督の「突撃」でも描かれていますね。
兵士たちの反乱に軍部は時に過酷な処置で対応しますが、軍として大規模な攻勢に出られる状況ではありませんでした。

不明Unknown author [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

スケープゴートとして

そんなフランス軍において、2月ごろから二重スパイと疑われていた彼女は格好のスケープゴートだったのです。

彼女がどこまでスパイとして活動していたのか、明確な証拠はほとんど残っていません。
また実際にマタ・ハリがどこまでスパイという自覚を持って活動していたのかも明らかになっていないのです。

しかし、そんな彼女はフランス軍にとって「自国の作戦がうまくいかない原因」として利用されたわけです。
7月24日、彼女は有罪となり10月15日に銃殺刑に処されました。

この逸話が後に女スパイの代名詞としてマタ・ハリの名前が出る根拠になったのです。

Axel SCHNEIDER [CC BY-SA 3.0], ウィキメディア・コモンズ

まとめ

緻密な諜報戦というよりも、軍と兵士の規律維持のために犠牲になった印象が強いマタ・ハリですが実際にはどこまで活動していたかは不明です。

その代わり「東洋のマタ・ハリ」として有名になった川島芳子は実際に満州皇族の子女ながら諜報活動に従事し、戦後国民党に処刑されています。

映画や小説では見せ場を作る女スパイですが、その大元は軍部の士気向上のあだ花や政争の道具として亡くなったことは忘れてはいけないことですね。


Writing by gさん

サバゲー、コスプレ、戦史研究にハマってます!

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