ナチスドイツによるホロコーストのキーマン、アドルフ・アイヒマン。その悪名高さに相反して、実際の彼は人格異常者どころか、ひたすら職務に忠実な小心者の凡人にすぎなかった。
そもそもナチス戦犯は、大虐殺を平然と実行できる異常な男たちだったのか。それとも、どんな人間も権威のもとでは冷酷非情になれるのか。
「権力者があなたに他者への非人道的な行為を命じたらどうしますか?」
こう聞かれると、ほとんどの人間は「断ります」と答えるという。ところが実際は90パーセントの人間が良心の呵責を感じながらも命令を遂行する。これが、60年代より行われてきたミルグラムの服従実験で浮き彫りになった事実だ。
人間の残酷さを突きつけた衝撃の実験
権力の傘のもとにある人間の心理とはどんなものか。それを確かめようとした心理学者がいた。
彼の名はスタンレー・ミルグラム。アイヒマンの素顔と残虐行為のギャップに興味を抱いた彼は、アイヒマンが命令を遂行した心理を探るべく、権威者に屈服する人間がどの程度いるのかを実験した。この実験は、エルサレムで開かれたアイヒマン裁判の翌年に行われたことから、アイヒマンテストとも呼ばれる。
被験者は「記憶に関する実験」という嘘の名目の新聞広告に応募してきた、年齢も経歴もさまざまな人々。2人で1組になり、クジで先生役と生徒役を決める。生徒は単語の組み合わせを暗記してテストを受け、正解できないと先生が電気ショックを与える。彼らには「学習時に受ける罰の効果の検証」と説明した。
生徒は実験室の電気椅子に座り、固定される。先生は別の部屋の電気ショック発生装置の前に座る。
配役はクジで決めたことになっているが、じつは生徒役はサクラ。すべてのクジに「先生」と書かれており、応募してきた人が必ず先生役になるように仕組まれていた。つまり、この実験の真の被験者は先生役の人間だけ。彼らの手元には15ボルトから450ボルトまでの電圧を流すたくさんのボタンがあり、生徒が間違えるたびに電気ショックを与えるように指示される。サクラの生徒がわざと間違えるたびに、先生は一段階ずつ電圧が上がるボタンを押していかなければならない。
絶対的権力者に人間は服従する
実験をはじめる前に、先生役の被験者たちにも電気ショックを受けてもらう。生徒の苦痛を身をもって知ってもらうためだ。
彼らは生徒に本当に電圧が付加されていると思いこんでいるが、実際は付加されていない。しかし電圧が上がっていくと、生徒の絶叫が響きわたる。もちろん演技である。
からくりを知らない先生にとって、生徒の悲鳴は現実だ。罪もない実験協力者に拷問のような苦痛を与え、もしかしたら殺してしまうかもしれないと恐怖する過酷な現実。途中で先生が実験の続行をためらうと、博士らしき白衣姿の人物(ミルグラムの助手)が、さらに電圧を上げるように淡々と指示する。
試されているのは、閉鎖的な状況下で、権威のありそうな人物に続行を命じられたとき、人はどこまでそれに従い、他者を苦しめることができるかということだ。
この実験では40人のうち、26人の被験者が最大電圧450ボルトのボタンを押した。
当然ながら、なかには嫌悪感をあらわにしたり、実験を不審に思う者もいたのだが、一切の責任を負わないことを白衣の男に確かめてから実験を続けた。
300ボルトに達する前に中止した者は、なんと0名。もちろん彼らは脅迫などの精神的圧力は受けておらず、白衣の男に口頭で指示されただけである。
最初の実験から半世紀を経た2015年にポーランドで行われた再実験では、じつに90パーセントの被験者が最大の450ボルトのボタンを押した。命令に背いたからといって、もちろん軍法会議にかけられるわけではない。最初の実験で示された結果が例外的ではないことを実証したことになる。
ミルグラム実験とは何だったのか
この手の実験には、いつも疑問に思うことがある。いったい何パーセントの結果をもって証明したことになるのかということだ。服従しない人間も一定数いたという事実は取るに足らぬことなのだろうか。
ミルグラムの服従実験については賛否がはっきり分かれるところだろう。
もちろん社会心理学の発展において大きな意味をもつことは疑いようがない。けれど筆者の感想を言わせてもらえば、学術研究の名のもとに行われた興味本位の悪質な実験としか思えない。先生役の被験者が受けた精神的苦痛ははかり知れず、倫理的に問題がありすぎだ。そこまでして実験する意義はあったのか。
結果として、わたしたちもアイヒマンになりうることはわかった。道徳心をもつ一市民を服従させて、悪事を働かせることが簡単であることもわかった。そして、そのことを世界中に知らしめてしまった。こうした人間の心理を悪用しようとする人間もまた、必ずいるだろう。いったい、この実験は何だったのか。
このさきどれほど世の中が発展しても、人は一定の条件下では権威者の言いなりになるのだろうか。それは社会的な動物である人間に刷り込まれた本能のひとつなのだろうか。
ハンナ・アーレントの至言
エルサレムの裁判で、自身の行為について「命令に従っただけだ」と弁明したアイヒマン。
裁判を傍聴する人々のなかに、ドイツ出身の哲学者で、ナチスが台頭したドイツから米国に亡命したハンナ・アーレント女史がいた。彼女は次のような言葉を残している。
「アイヒマンは人間の大切な能力を放棄しました。思考する力です。その結果、モラルまで判断できなくなった。思考がもたらすものは善悪を区別する力、美醜を見分ける力。思考することであなたが強くなることを、わたしは望みます。たとえ危機的状況にあっても、考え、考え、考え抜いて、破滅に至らぬように」
思考の停止が悪を生む。考えることで人は強くなる。シンプルながら、けだし名言だ。アーレント女史のこの言葉は、現代社会に生きる筆者自身に向けられたものとして心に刻んでおこうと思う。あわせて、本記事はホロコーストに関わったナチス戦犯を擁護するもの
ではないことも付け加えておきたい。
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