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日本海軍のミリ飯とは、どんなものだったのか?

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旧日本海軍艦艇の乗組員は、いったいどんな飯を食って戦っていたのだろうか。
「腹が減っては戦は出来ぬ」とは有名な言葉だが、日本海軍でも艦艇内での兵員の体力維持、戦闘能力保持の観点から食の重要性は高く位置づけられていた。

目次

軍艦乗りの楽しみはメシ

いったん港を離れると、短くても数日、長ければ一か月以上も陸(オカ)に上がれない艦艇乗組員の食事の管理は、戦艦、空母などのいわゆる軍艦から、駆逐艦、海防艦、輸送艦などの小艦艇に至るまで、限られた材料の中で様々な創意工夫をしていたのである。自由が無く狭い艦艇勤務での兵員の楽しみといえば食事が唯一のものだった。メシのまずい艦は早く沈むと言われるほど、食事の良し悪しはまさに兵員の能力と士気を左右し、艦の運命を決めてしまうほど重要なものだったのだ。

精神論が先行した旧日本軍では、軍艦の中で下士官兵に出される食事など粗末なものだったのではないかと思いがちだが、意外とそんなことはなく、大戦末期の土壇場までは供給できる材料の範囲内で、出来る限り栄養価の高い、しかも食欲をそそる兵員食の考案に力を注いだのである。

実戦的な献立が考案される

昭和14(1939)年、戦雲が差し迫った海軍では実戦部隊である第一艦隊司令部が兵食の献立を実施部隊の各艦艇の烹炊員に研究させて、約120種類の模範献立を決定している。

これは現場をよく知らない中央の経理学校や軍需部が考案するのとは違い、食材の調達から貯蔵、加工、艦艇の調理施設の大きさ能力など、極めて具体的な条件のもとに考案されたものなので非常に実戦的なものだった。しかもこの模範献立は全艦艇に課題を与えて出てきた答えであるため、形態や規模の違うおよそすべての艦艇に応用できるものが必ずあり、第一艦隊だけではなく日本海軍全体で共有されることになったのだ。

以下、その中のいくつかを見てみよう。意外とモダンなもので今の食卓でも十分通用するものである。

戦艦伊勢のアサリのホワイトシチュー

作り方:アサリは冷凍品につき還元(解凍)したるのち野菜と共に汁のごとく煮る。バターにて麦粉を炒めこれにスミレミルク(スキムミルク)を加え、アサリ汁に徐々に入れ、更に煮込む。

このほか、詳細は省いていくつか挙げてみると

潜水母艦大鯨(たいげい)のスコッチエッグ

タマネギ・ジャガイモとこねたミンチでゆで卵を包みオーブンで焼いたもの。

給油艦隠戸(おんど)のロールキャベツ

ジャガイモ・タマネギとこねたミンチをキャベツで包み、干ぴょうで巻いてオーブン焼き。トマトケチャップスープで味付け。

空母赤城の鯨肉の味噌煮

当時は安価に調達できた鯨肉を活用、味噌で臭みを取り煮込む。

軽巡川内の鰯団子。ウシオ定食

この献立には、「調達しやすいこの種の魚の料理を週一回実施を適当とする。」と言う司令部の注釈が入っている。

駆逐艦追風(おいて)のタラのインド風煮込み

タラの入ったカレーライス。カレーとは呼ばずインド風煮込みと言う。
ただし器は飯と煮込みは別々に盛る。

給糧艦間宮の野菜かき揚げ

物資豊富な給糧艦らしく新鮮な野菜を使った天ぷら。

重巡青葉のクリームコロッケ

保存の効くジャガイモと缶詰クリームを応用したコロッケ。

標的艦摂津の缶詰魚コロッケ

主に缶詰の鮭を用いたコロッケ。魚肉入りのクリームコロッケである。

知恵を絞った献立

このように一部分を見ただけでも分かる事は、艦内で保存の効く食材を使って、いかに栄養豊富でかつ兵員を飽きさせず食欲を満足させるか、現地で調達しやすい食材をいかに効率よく利用するか、という点に最も知恵を絞っている事である。

これらの献立はすべて実戦部隊の現場から提案されたものだけあって、若い兵員が喜びそうなものが多い。決して高級食材を使っているわけではないが、代用品を使ってでも兵の士気を高めるような洒落た献立にするためにも、このように現場で研究に取り組み考案されたものを艦隊の模範献立に取り上げる意義があったのである。

献立の内容は、当時の日本人の食生活と比べると非常にモダンなものが多い事に気が付くが、これは明治以降、海軍が遠洋航海を重ねるうちに西洋風のレシピに触れる機会が多かったためと思われる。

海軍はグルメ?

海軍はグルメだったとよく言われるが、その根底には可能な材料で出来る限り美味い食事を作ろうとする実戦部隊の創意工夫があったのであり、このようにして海軍内で考案された献立の中には、今の食卓に受け継がれている献立も多いのである。

現在でも「○○の海軍カレー」とか「△△のオムライス」などと言うように、軍港所在地には必ず名物料理が名残として残っている。カレーやオムライスは現在の食べ方では洋皿が必要であるが、当時の艦艇内の兵員の食器はホーローの椀形器を使っていた事から、士官以外はそのような洋皿に盛り付けた食事は考えられない事だった。

実際に大型艦では士官食としてオムライスが供されたことはあったが、兵員食としてはオムライスやカレーライスと言う献立は無かった。洋皿を使わなければ出来ない献立そのものが兵員食の範疇には無かったのであって、あくまで兵員食は飯と副食を分けて食べる献立が基本であった。

駆逐艦以下の小艦艇での食事は、食糧庫や烹炊所のスペースの関係上、士官と兵員の区別はほとんど無かったと言う。特に潜水艦は出撃期間が非常に長く、新鮮な野菜などは最初の数日で消費してしまい、あとはジャガイモなどの根菜類、それが尽きると乾燥野菜や缶詰中心の食事にならざるを得なかった。

■うらが艦内食堂のカレー
By Hohoho [CC BY-SA 3.0 ], from Wikimedia Commons

食事とともに変わっていく

このように、艦種の差による制限はあるものの、旧海軍の兵員食は当時の一般国民の食生活と比べると非常に恵まれたものだったといえる。ただしそれも大戦末期になると食糧統制が厳しくなり、それにつれて軍需用の食糧もひっ迫せざるを得ず、兵員の食事の質と量は急激に低下して行った。

そして終戦直前には「無駄な駆け足の禁止」「農耕栽培の奨励」「睡眠時間の確保」などと言った唖然とするような通達が出されている。かつての精鋭艦隊は壊滅し、残った兵員は走ることもせず畑仕事に勤しみ、それが終わればなるべく早く寝ると言う、戦争どころじゃない有様になり果ててしまったのである。

参考文献
高森直史 著「戦艦大和の台所」
吉村昭 著「深海の使者」
高橋孟 著「海軍めしたき物語」
平間洋一 高橋直史 齋藤義郎 著「海軍グルメ物語」

※写真はイメージです。

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