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戦国時代の日本は軍事大国だった!

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火縄銃は15世紀前半のヨーロッパで発明されてドイツで発展、日本に鉄砲が伝来したのは、公式には天文12年(1543年)の種子島となっています。

目次

火縄銃と種子島

種子島に伝わった鉄砲は種子島領主の種子島時尭が千両で買い取り、鍛冶職人に命じ、わずか1年で同じものを作り上げたということです。すでに日本より前に鉄砲が伝わっていた、アラブやインド、中国でも自作の鉄砲を造ろうとしたけどだめだったのに、日本の職人は凄腕だったのですね。
それどころか、改良をして高性能で威力も増した鉄砲を造っちゃった。
引き金を引くとともに点火するよう、ばねを使った瞬発式火縄銃にし利便性を向上させたのです。
ちなみにヨーロッパで同じ瞬発式が出来たのは17世紀初頭から1630年代だそう。

銃身も日本では錬鉄を鍛造したものがベースで、鉄板をマキシノという棒芯に延引させてリボン状にして鍛接するという双層交錯法で作らている、ヨーロッパ製のよりも火薬の爆発力の耐久性がある、高性能なものだったという。雨の中でも火縄の火が消えずに撃てる、雨よけ付属装置まで開発したそうです。

日本と火縄銃

それに日本は戦国時代真っただ中で、全国の大名が鉄砲を欲しがったため、近江の国友鍛冶と日野鍛冶、紀州の根来鍛冶、和泉の堺などが鉄砲の主要生産地となり、多くの鉄砲鍛冶が軒を連ねて量産体制も整っていたのですね。
たしか雑賀衆という鉄砲自慢の雇われ軍団もいましたよね。

そういうわけで、戦国時代の日本には、ヨーロッパのどの国よりもはるかに多くの鉄砲があったということです。
具体的な数は、「鉄砲を捨てた日本人-日本史に学ぶ軍縮」によると、1569年にイギリス枢密院が集めたデータとしてイギリス全体の兵隊数は24000人で、約6000人が銃を所持しているという報告があるが、日本では1584年に肥前の戦国大名竜造寺隆信が、有馬晴信らと対戦したときの軍勢25000人のうち9000人が鉄砲隊だったという記録があるそうです。
九州の一大名がイギリス一国より多くの鉄砲を持っていたんですね。

当時の日本全体では50万丁の鉄砲があり、もちろん世界最大の銃保有国で、ヨーロッパの国のすべての銃より多かったんじゃないかといわれるほどでした。

火縄銃と戦術

鉄砲を用いた戦術といえば、長篠合戦で武田の騎馬隊を壊滅させた信長の三段構えの鉄砲隊ですが、この戦法がヨーロッパで行われたのは、なんと第1次世界大戦でドイツ軍が見せたのが最初で、長篠合戦の350年後だったそうです。

鉄砲と同時期にキリスト教も日本に伝来し、急速に信者が増えましたが、スペイン、ポルトガルから派遣された宣教師たちはキリスト教の布教と共にスペインによる征服の手助けもしていました。もちろん日本征服も狙っていたのですが、驚異の日本の軍事力、戦い慣れした武士たちをみて、安易に征服できる国じゃないと報告した手紙が残っています。

現代からは及びもつかないんですが、日本は軍事大国だったので欧米列強による植民地化を免れたというのだから・・・半端じゃない国だったんのですね。

※画像はイメージです。

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