2023年4月現在、前年のロシア側のウクライナへの軍事侵攻で始まったロシア・ウクライナ戦争は、東部の要衝バフムトを中心に激しい戦闘が継続されており、現時点ではロシア側が徐々にだが支配地域を拡大させている。
ウクライナ側に対する西側諸国からの軍事援助も、ドイツ製のレオパルト2やイギリス製のチャレンジャー2、アメリカのM1エイブラムス等の主力戦車の供与が決まり、反転攻勢の中核を担うと目されている。
何れにせよこのロシア・ウクライナ戦争は、残念ながら長期化するとの見方が大勢を占めつつあり、仮にウクライナ側がこうした戦車を投入した反転攻勢を実施したとしても、すぐに停戦や終戦には至らないと考えられている。
ロシア側に対して国力で劣るウクライナ側にとっては、西側諸国からの兵器供与の継続がこの戦争に敗北しない為の必須の条件だが、こうした物品以外に人的な関与を行う動きも一部にはある。
それが西側諸国を始め、反プーチン思想を持つロシア人すら参加をしてるとして取り上げられている義勇兵たちであり、直接の戦闘への参加を自ら決断し、ウクライナ側に立って参戦している兵士たちだ。
今のロシア・ウクライナ戦争に限らず、これまでの戦争の中にもこうした義勇兵の参戦が行われたケースは多々あり、今回はそうした義勇兵について少し紐解いてみたいと思う。
義勇兵と傭兵
自らはその紛争当事国の国民ではないにも関わらず、自発的に兵士としてそれらの戦場に赴くと言う義勇兵の行動は、その意味においては有史以来の人類最古の職業のひとつとも言われる傭兵と似ている。
但し一般的に傭兵は主として自己の経済的な利得を得る事を最大の目的として、自らの国籍上からは直接の利害関係はない戦場で戦闘に加わる兵士の事を指し示す用語として用いられている。
こうした傭兵に対し義勇兵とは、自らの国籍上からは直接の利害関係はない戦場に参戦する点では一致しているが、その動機が専ら経済的な利得ではなく、自身の政治的な信条に基づくものだと解釈されている。
傭兵と義勇兵とはこのように参戦する目的が、自らの経済的な利得なのか政治信条なのかと言う点で区別されるとは言うものの、そうした点は謂わばイデオロギーに過ぎす、明確な線引きは出来ないのが実情だ。
とは言え今日の戦時国際法に照らして見ても傭兵はその対象となる戦闘員には含まれておらず、一方の義勇兵はその基本の要件を満たすと判断された場合においては、正規軍と同様の戦闘員と見做され得る。
この違いは、仮に傭兵と義勇兵とが敵側に拘束された際の扱いに差が生じる可能性があり、後者は捕虜の扱いを定めた戦時国際法に保護され得るが、前者にはこうした法的な保護は義務付けられていない。
その為ロシア・ウクライナ戦争ではウクライナ側に立って参戦する義勇兵に対し、ロシア国防省の報道官は2022年3月に彼らが捕虜となってもウクライナの正規軍の兵士と同様の対処をしないと発言している。
義勇兵とは、自らの国籍上からは直接の利害関係はない戦場に参戦する、その動機が自身の政治的な信条に基づくものであると解釈されているとは前述したが、歴史上で著名なものは少し毛色が異なる。
それは大規模な義勇兵になればなる程、それを組織し派遣する主体が実際にはある特定の国家の軍隊に他ならないと言う側面に根差しており、そうでなければ大規模な部隊を長期間活動させる事は困難でもある。
そうした場合の多くは義勇兵とは名ばかりで、特定国の軍隊がそれを名目にして送り込んだと言うのが実態に近い。
歴史上の著名な義勇兵 コンドル軍団
そうした代表例として著名なものにスペイン内戦に参戦したコンドル軍団が挙げられる。
コンドル軍団は1936年のスペインで、後に同国の独裁者として君臨する事となるフランコ将軍が起こしたクーデターに乗じ、当時のドイツのヒトラー政権がその支援を目的に派遣した実態はドイツ空軍の部隊である。
このコンドル軍団はドイツ空軍のシュペルレ将軍を初代司令官とし、凡そ100機の航空機と5,000名にも及ぶ兵員で構成され、ヒトラーの唱える反共産主義の政策の元で表面上は義勇軍を装って参戦を行った。
コンドル軍団は1936年から1939年までスペイン内戦に参戦していたが、それはヒトラー政権の政治的な判断と並行して、後の第二次世界大戦に備えドイツ空軍の持つ戦力を試す絶好の機会ともなった。
スペイン内戦においてコンドル軍団には、航空戦力以外にも少数のイムカー戦闘団なる陸軍部隊も含まれており、それらでは後にドイツを象徴する兵器となる88ミリ高射砲が対地・対戦車攻撃での有用性も確認された。
こにようなコンドル軍団の貢献もあってフランコ将軍は1939年4月にはスペイン内戦に勝利して独裁政権を樹立、実に自身が他界する1975年まで長期に渡りその座に君臨し続けた。
歴史上の著名な義勇兵 フライング・タイガース
現在は一般的に台湾と呼び慣らされているのが中華民国だがその成立は1912年迄遡り、元は中国大陸において中国国民党が興した国家であり、今の中国共産党との争いに敗れる1949年までその地にあった。
そんな時期の1937年に中華民国と大日本帝国は盧溝橋事件を機に、現在では所謂日中戦争と呼ばれている交戦状態に突入し、同年アメリカ陸軍航空隊に在籍していたクレア・L・シェンノート大尉が中華民国空軍に迎えられる。
中華民国空軍ではクレア・L・シェンノート大尉に同軍参謀長の大佐待遇という地位を与え、彼は当時のアメリカのルーズベルト大統領の承認の元、100機の戦闘機と同数の操縦者、そして200名の地上スタッフをアメリカ軍内から募る。
こうして後にアメリカからの義勇兵の航空隊と称される事となるフライング・タイガースが組織されたが、これはこの頃既に日本との開戦は避けられないとルーベルト大統領が判断していた事が窺える。
フライング・タイガースは正式名称はアメリカ合衆国義勇軍とされていたが、アメリカの陸軍・海軍・海兵隊現役軍人が一度退役し所属すると言う形を取り、後の復帰が条件にあり実質はアメリカ軍そのものと言えた。
フライング・タイガースの戦果はアメリカでは戦意高揚も企図して過大に報じられたが、参戦は1941年12月8日の日本とアメリカら連合国との開戦と同時だった事もあり、結果的には義勇軍と言う意味を成さなかった。
その為開戦翌年の1942年7月には早々に解散を迎える事になり、戦果としても政治的な意味合いからも、クレア・L・シェンノートやルーズベルトが意図したであろう実績を挙げたとはお世辞にも言い難い。
ロシア・ウクライナ戦争における義勇兵
2022年2月24日にロシアのウクライナへの軍事侵攻で始まったロシア・ウクライナ戦争だが、実にその僅か3日後の27日にはウクライナのゼレンスキー大統領が外国人の志願者による義勇兵部隊の編成を発表した。
この義勇兵部隊はウクライナ領土防衛部隊外国人軍団と呼称され、1ケ月程先んじて設置されたウクライナ国籍を有する人員で構成されたウクライナ領土防衛隊の傘下の元に、同国正規軍に準じる地位が与えられている。
ウクライナ領土防衛部隊外国人軍団はウクライナが国外に置いている大使館等を通じ、志願者の受付、面接を実施しており、編成翌月の2022年3月には世界50ケ国以上から凡そ20,000名もの採用者がウクライナ入りしたと報じられた。
ロシア国防省は前述したようにこの義勇兵部隊・ウクライナ領土防衛部隊外国人軍団をウクライナ正規軍兵士と同様の対処の対象としないと表明し、2022年6月時点でその加入者の国籍はポーランド、カナダ、アメリカが多いと述べた。
日本政府はウクライナが自国の大使館等を通してウクライナ領土防衛部隊外国人軍団を募っている事に対し、当然ではあるが参加の反対を唱えており、ウクライナ側も日本の政治的状況を配慮し日本での募集は控えた。
それでも自衛隊での勤務経験を有する思しき3名の日本人がウクライナに入ったと海外メディアが2022年3月16日に報じ、日本のTV局もその内の1人の取材に成功、ウクライナ領土防衛部隊外国人軍団への参加者がいる事が明らかとなった。
日本政府が自国においても専守防衛を旨とする自衛隊しか有していない事から、ウクライナへの義勇兵としての自国民の参加自粛を勧める事は想像通りだが、実はアメリカも自国民へのウクライナへの渡航には同様の態度を示している。
結局のところ義勇兵は立ち位置で評価が異なる存在
現在のロシア・ウクライナ戦争を見ても、ウクライナ側は組織したウクライナ領土防衛部隊外国人軍団は自国の正規軍に準じると言い、逆にロシア側はそうした扱いはしないと明言するなど、扱いは一定しない。
これまでの歴史の中で著名な義勇兵として取り上げたドイツのコンドル軍団や、アメリカのフライングタイガースなどは義勇兵と言う名目で組織された事実上の国軍ではあったが、後にそれが問題化したとも言えない。
逆に日本は自国の太平洋戦争での敗戦後に、旧宗主国のオランダが再度植民地化を企てたインドネシアにおいて、インド人共にその独立戦争に身を投じた日本兵が凡そ3,000名もおり、現地では今も畏敬の念を抱かれている。
※画像はイメージです。
思った事を何でも!ネガティブOK!