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聖徳太子の予言書「未来記」

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聖徳太子は最近名前も厩戸太子にするとか、昔もてはやされたが今は・・・という元アイドルみたいな扱いです。
が、なんと予言書があって、それがまた嘘か本当か?たぶん偽ものだ、いや当たってると興味深いのでご紹介してみますね。

聖徳太子(しょうとくたいし)は、昔は一万円札の肖像画として有名だったのですが、飛鳥時代の用明天皇(ようめいてんのう)の第二皇子です。
幼い頃から尋常ではない賢さで有名で、女帝だった推古天皇の摂政皇太子になり、蘇我馬子とともに国を治めました。
遣隋使(けんずいし)を派遣して、先進国の中国の文化や制度を積極的に取り入れたり、冠位十二階、十七条憲法を定めて、中央集権国家体制の確立をはかり仏教を奨励した功績は有名ですよね。

推古天皇が長生きだったので、天皇に即位できずに皇太子のまま亡くなったのでおくり名として聖徳太子と呼ばれています。
この聖徳太子は、その後、日本に仏教が広まるにつれて信仰の対象になり、ゆかりのある土地、ない土地にも太子伝説が伝わって行くほどの伝説的人物になりました。
11人が同時に話しても、全員の話の内容を聞き取ったとか、厩の前で生まれたので厩戸太子というまるでイエス・キリストのような生誕話もあるほどです。

そしてなんと「聖徳太子の未来記」という、聖徳太子が未来について予言した書を書き記したといわれているんですね。
この「未来記」は、その後に書かれた「日本書紀」「平家物語」「太平記」などの物語絵巻に登場しているそうです。
しかし実在したという証拠がないのです。

Unknown authorUnknown author, Public domain, via Wikimedia Commons

要するに「日本書紀」はともかくとして、「平家物語」「太平記」は、歴史書ではない物語なので、想像上の書ではないかといわれています。
しかし、歌人の藤原定家の日記である「明月記」に瑪瑙の石箱が発見された、それに「聖徳太子の未来記」が刻まれていたと書き記されているということです。
当時の承久の乱後のことで,後鳥羽上皇の敗北をばっちり予言して当たっていたということなんです。

また「太平記」には、南北朝時代に後醍醐天皇に仕えた楠木正成が、この「未来記」について知っていて四天王寺に入って特別に見せてもらった、そして一文を読んで後醍醐天皇の世が来ることを確信したとか。
そして江戸時代には、聖徳太子が編纂したという全72巻の「先代旧事本紀大成経」が発見されて話題になったそう。
この69巻「未然本紀」が「未来記」だと言われたのですが、幕府は「先代旧事本紀大成経」そのものを偽物だとして発行禁止にしたのです。

「私の死後二百年以内に、一人の聖皇がここに都を作る。そこはかつてない壮麗な都になり戦乱を十回浴びても、それを越えて栄え、千年の間都として栄える。しかし一千年の時が満ちれば、黒龍が来るため、都は東に移される」
と、5世紀半ばから6世紀に生きた聖徳太子が、その後の平安時代と黒船来航の後の東京遷都を予言しているなんて、びっくりですよね。

最近、歴史的には聖徳太子は虚像で、実在していたのか不明だと存在さえ危ぶまれる反面、2016年~2017年の間に富士山が噴火して東京が壊滅するとか、コロナも予言していたとか、2030年頃に人類は殺害され、世界の終了が始まるなどの予言をしていると、オカルト方面で人気みたいですが、ますます謎に満ちた存在になって行くような気がしますです。

※画像はイメージです。

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