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ミサイル万能論と航空自衛隊主力戦闘機

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歴代の空自主力戦闘機を見ると、当時の制空戦術が分かります。
1960年代までの3機で解説します。

目次

ノースアメリカンF-86F セイバー

skeezeによるPixabayからの画像

活躍したのは1950年から始まった朝鮮戦争で、 ソ連貸与の中共空軍のミグ15相手にキルレシオ10超(撃墜800機:被撃墜78機)の大戦果を上げました。

あるパイロットはその原因を、涙滴型キャノピーの視認性の良さによる早期の敵機発見だとしています。
また1958年中共空軍ミグ相手に台湾空軍のF-86Fが、史上初の空対空ミサイル戦を展開しました。

1954年、創成期の空自に米国から供与され、後に三菱重工業でノックダウンやライセンスなどで生産されました。

ロッキードF-104 スターファイター

Michael KauerによるPixabayからの画像

前述の台湾対中共両空軍の空対空ミサイルによる空中戦で、実戦でのミサイル有効性が証明されました。
その反面ジェット戦闘機の高速化で機関砲の命中率は低下する一方だったので、 空中戦はミサイルが制するというミサイル万能論が台頭します。

その戦術に沿って誕生したのがF104でした。
マッハ2超の高速と高高度への優れた上昇性能のために従来の空中戦に必要な運動性が犠牲になりましたが、超高空で侵入する敵爆撃機対策が重視された結果でした。

また空対空ミサイルの性能向上により視認外からの攻撃が可能になったことで、機関砲による接近空中戦が将来的になくなるという予想から運動性が軽視されたのです。

空自では、仮想敵国ソ連で増強されている爆撃機に備えて1963年から配備が始まりました。
日本でのミサイル万能論は、国土防空は地対空ミサイルが戦闘機に取って代わるという暴論にまで行き着き、Fー104は最後の有人戦闘機と言われました。

マグドネルF-4 ファントム

ミサイル万能論は進化し攻撃の主体はミサイルで、戦闘機はそれを運ぶ装置という意味で「ミサイルキャリアー」と考えられた時代に、F-4は開発配備されました。
従って驚くべきことに配備当初のF-4には、空戦の為の機関砲が装備されていませんでした。

ところがベトナム戦争で米軍は思わぬ苦戦を強いられます。
まず当時のレーダー能力では敵味方の識別が不可能だったので、同士討ちを避けるために視認外からのミサイル攻撃ができず、その上まだまだ頼みのミサイルの性能が悪くて命中率が低いために予想外の接近戦が増えました。

接近戦では機関砲のないF-4は苦戦し、さらには戦闘機パイロットの養成数を減じてICBM部隊設立を優先していた米軍は、パイロットが質量ともに低下して北ベトナムのミグに対するキルレシオが大幅に低くなっていきました。
この経験から直ぐに機関砲は後付け装備され、空中戦の重要性を再認識させるきっかけになりました。

1966年から空自で主力機となったF-4は日本向けに改装されたF-4EJで、もちろん機関砲は標準装備されました。

参照: ブルーインパルス 武田頼政 著
※画像はイメージです。

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