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水子の霊は存在しない?1970年代の堕胎ブームが生んだ哀しい迷信

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あなたは怪談がお好きですか?怖い話に詳しい方は、一度ならず水子の霊が登場するエピソードを聞いたことがあるのではないでしょうか。今回は水子の霊は実在するのか、いたとして本当にそんなに恐ろしいものなのか、真偽を検証していきたいと思います。

目次

堕胎が合法化されるのは1948年

まず皆さんにご理解してほしいのは、近代以前は中絶が違法とされていた事実です。
現在、日本には母体保護法が存在します。これは母胎に健康上の害がある場合、もしくは年齢的・経済的に育児が不可能と本人や周囲が判断した場合において中絶を認める法律で、嘗ては優生保護法と呼ばれていました。
上記の法律の施行は第二次世界大戦の終結から僅か2年後、1948年。
戦後まもなく優生保護法が施行されたのは、人口急増による食糧不足を懸念した政府、およびGHQの思惑と無関係ではありません。

その頃の中絶は配偶者の同意を条件としていた為、パンパンの蔑称で呼ばれた米兵相手の娼婦は混血の私生児を産むか、非合法な堕胎手術を受けるしか選択肢がありませんでした。
なおカトリックは堕胎を罪としており、欧米諸国で中絶が合法化されるのはずっと後です。
以来人工中絶の件数は右肩上がりに増え続け、1970年代のバブル期にピークに達しました。

当時の年間中絶件数は100万件以上。胎児を人として数えた場合、日本人の死因の断トツトップとなり、二位にあたるガンの死亡者数32万人を大きく引き離しました。
近代まで堕胎がタブー視され、ともすれば罰されていた背景を考えると、中絶経験者が罪の意識を抱いてしまうのも無理からぬことではないでしょうか。

仏教には水子供養の概念がない!?

大前提として、仏教には水子供養の概念がありません。戦前までは各家庭で流産・死産、ないし堕胎した子供を弔い、祖霊として祀る習慣もありませんでした。
死んだ赤子の呼称としては仏教の文献に「水子(すいじ)」が登場。水子の由来は『古事記』の夫婦神、伊耶那岐命と伊耶那美命の第一子・水蛭子(みずひるこ)とされていますが、ハッキリとは断言できません。

江戸時代の農村において、飢饉のたびに子捨てや間引きが行われていたのは史実です。
その際は「カエル」「モドス」と言われ、七歳までは神の子、半ばあの世に属する儚い存在と見なされていました。座敷童子やタタリモッケの正体を、間引かれた子供とする説は有名ですね。

水子供養は宗教法人ビジネスだった!70年代のオカルトブームが恐怖マーケティングと結び付く

さて、日本が高度経済成長を果たし、日本人がバブルに狂った1970年代から80年代にかけ、悪質な霊感商法が流行りました。
水子ブームの先駆けは宗教団体や寺院の経営戦略を、オカルトライターを抱き込んだ週刊誌がこぞって取り上げたこと。

近代日本におけるオカルトブームは、1970年代と1990年代の二度に亘り巻き起こりました。
まず1973年に『ノストラダムスの大予言』がベストセラーとなり、『あなたの知らない世界』や『木曜スペシャル』が高視聴率を叩き出しました。スプーン曲げで一世を風靡した超能力者、ユリ・ゲラーの登場もこの頃です。
口裂け女や人面犬、コックリさんなどの都市伝説も流布し、80年代には麻原彰晃率いるオウム真理教が台頭します。
文明の発展と共に神仏に対する信仰心が薄れ、檀家制度の崩壊で寺院への寄付が減少していた矢先に、京都の化野念仏寺境内に水子地蔵が建立されました。

これを皮切りに多くの寺院が大手墓石業者と結託し、オカルトブームに乗っかる形で「水子の祟り」を広めます。
彼等が収益源にしたのは中絶に罪の意識を持ち、我が子を堕ろした事実を悔やむ女性たち。70年代はエコー検査や胎児モニターによる母胎の可視化が進み、人の形に育ち始めた胎児に母親が情を移すことも増えていました。が、その上で堕胎を選ぶ人もいます。するとより我が子を殺した、殺人を働いた意識が強くなり、当事者は良心の呵責に苦しみました。

70年代はSNSなどありませんから、オカルトライターが宣伝を担います。人工中絶増加や水子ブームの話題を扱ったのは主に女性週刊誌で、「命を粗末にしている」「堕胎は人殺しと同じ」「赤ちゃんにも人格と人権がある」など、批判的な論調が目立ちました。ただでさえ罪悪感を引きずっている所に、こんな追い討ちをかけられてはたまりません。
この手口は恐怖マーケティング、別名不安マーケティングとも言われ、「~~しなければ損をする」「~~しなければ不幸になる」が常套句。現在も広告でよく使われています。

アメリカの心理学誌「Psychology Today」において、John Cacioppo博士は、人間の脳はネガティブな情報により強く反応する傾向があると発表しました。早い話、ポジティブな意見や中立的な意見よりも「~~だから駄目なんだ」と断言する方が信じさせやすいのです。
曰く「結婚できないのは水子のせい」「夫婦生活がうまくいかないのは祟りのせい」「子供を授からないのは呪いのせい」……人間は結果に原因を求めがちな生き物です。自分が不幸な理由を逆算し、納得したいと思っていた女性たちは、「水子供養をすれば幸せになれる」と唆す霊能者に大金を積んで水子地蔵を建てました。
かくしてインチキ霊能者は女性の弱味に付け込み、「水子霊は存在する」=「水子霊は祟る」と植え付けたのです。

水子の霊はすぐ生まれ変わるから死者に数えない

長崎県壱岐島では産まれて一年以内に死んだ赤子をさし、水子と呼んでいました。
原則として水子は死者に数えられません。我欲や煩悩が芽生える前に死んだ赤子は、すぐ生まれ変わると信じられていたのです。
考えてみれば最もな話で、赤子が誰かを憎んで罪を犯すことはあり得ません。
ならば当然地獄に落ちるはずもなく、賽の河原に連れていかれるはずもないのです。

賽の河原自体地蔵講が盛んだった江戸時代に定着した俗信で、「罪業や悪徳と無縁な子供が罰される理不尽は腑に落ちない」と、存在を疑問視する向きも強いです。
百歩譲って水子がいると仮定して、母のお腹の中で死なざる得なかった彼等に、イヤイヤ期の二歳児と同程度の好き嫌い、ましてや愛憎が備わっているものでしょうか?
新生児の行動は寝る・泣く・授乳・排泄のルーティーン、オムツが湿って不快でもぐずって訴えるのが関の山。生理的欲求以外の情動を持たない赤子が、水子になった途端パワーアップして祟りを成すというのは、些か不自然に感じます。

江戸時代の地蔵講の裏話

今日の水子霊を過剰に恐れる風潮は、水子供養ビジネスに歪まされた迷信の感が強いものの、子供を亡くした母親や間引きを経験した母親が自発的に集まり、地蔵講が隆盛した哀しい歴史は忘れてはなりません。
地蔵講の参加者には無名の女性が多く、別名「女人講」とも呼ばれていました。
地蔵尊は民衆の慰安の役割を帯びる一方で子供の息災や子授けの御利益を持ち、不幸な母親たちの心を癒していたのです。

ここで注意してほしいのは地蔵講そのものは民間信仰であること。水子供養の概念がない仏教と混同してはいけません。
民間信仰における地蔵菩薩は、賽の河原で泣いている子供を鬼の獄卒から守り、功徳を積ませて成仏に導く存在と信じられてきました。
水子供養の際に水子地蔵を建てるのは、地蔵講の流れを汲んでいるのかもしれません。

水子の霊は人間の欲望の産物?

以上、水子霊の真偽を検証しました。怪談では悪者にされることが多い水子ですが、実際の所は大人の事情の犠牲者。自我が育ちきってない幼い子供や赤ん坊の霊が、加害を目的に化けて出るとはどうしても思えません。
あなたは水子の霊に対し、どんな考えを持ちましたか?

※画像はイメージです。

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