森鴎外の別面を見ちゃった?明治時代の脚気論争。

現在は脚気はビタミン不足で起こる病気と誰でも知っているでしょうが、明治時代までは伝染病とか言われてたんですよね。
江戸時代でも原因とかは不明だが、江戸や大坂から田舎へ帰れば治るとは言われていたんですが、これが論争になって軍隊で多数の犠牲者が出た話です。

先日、なぜか森鴎外について調べてみました。
今はふと思いついてネット検索すれば、系図から著書から難しくて読めない漢字の読み方もわかるしと、大変便利ですよね。
というわけで、森鴎外といえば、「舞姫」などの小説家、文豪として知られていますが、明治の初めに現在の東大医学部を出てドイツへ留学したエリート軍医でもあったのです。

私もその話はちらっとは知っていましたが、まさかこれほどとは思わなかったのでご紹介しますね。
当時の陸軍はフランス式からドイツ式となっていて、海軍はイギリス式、エリート軍人は陸軍はドイツへ、海軍はイギリスへ留学したものです。
そして江戸時代から明治まで、日本人はお米を今以上に食べていたということ。

これは今のようにバラエティーに富んだおかずがなかったせいもあるでしょうが、軍人は一日に6合米を支給され、また貧しい人が軍隊に入るのは万国共通で、日本の場合は白いお米が食べられるのも軍隊の魅力だったそう。

この、白いお米をたくさん食べるということ、おかずの副菜がほぼないということで、脚気と栄養不良が明治時代でも深刻な病気だったんです。
徳川14代将軍家茂も、その夫人の和宮も脚気がもとで亡くなったし、田舎に少なく江戸へ来ると脚気になり、田舎に帰ると治ることも知られていたのです。

当時はまだビタミンが発見されず栄養学もなし、しかし顕微鏡の発明で次々と赤痢とかコレラとかの細菌が発見されていた頃でもあったので、あのコッホですら、脚気はアジアに特有(欧米では深刻ではなかった)の風土病の伝染病で、そのうちに菌が発見されるだろうと言っていた時期もあったそう。

ということで日本の軍隊にも脚気が蔓延していて、日露戦争のときも戦闘での負傷者よりも多かったというくらい。
ロシア兵は日本兵が酔っぱらったような、よたよたとした足取りで突撃してくると不思議に思ったとか(脚気で足がふらついていた)。

海軍でも、船で航海中に脚気に悩まされたがハワイで食料を変えたところ、脚気患者が全員元気になったとかで、軍医だったイギリス医学校帰りの高木兼寛が麦飯が脚気によいと発見し、ついでに副食のカレーも推奨。

海軍では白米を麦飯に変更したところ脚気が激減したが、陸軍軍医総監の森鴎外は東大閥の脚気伝染病派で高木に猛反発し、根拠のないこというなと断固として陸軍は白米を食べさせたので、脚気で死亡する兵隊が増えてすごいことになったそう。

森鴎外は、高木に麦飯が脚気に効くという確固たる証拠が示せない以上、白米を辞めないという感じで現代から見ると、なんかばかばかしいほどのエキサイトぶりだったとか。

白米を麦飯に変えるだけで脚気が治って兵隊さんが元気になったらそれでいいじゃんと思うのですが、面子と派閥の問題だったみたいで、実際に森鴎外が踏ん張っている間に、大勢の兵隊さんがどんどん脚気で亡くなっていったのは事実。

記事を読むだけでいたたまれない気持ちに。
一説には森鴎外は高木兼寛の個人攻撃までしたとかいう話もあるそう。

しかし森鴎外が陸軍を退官後、すぐに陸軍は白米を辞めて麦飯にしたせいで脚気が激減し、森鴎外は相当の地位にいたのに男爵とかの叙勲もされなかったのは、この脚気問題のせいと言われているそうですが、それにしても森鴎外のおかげでどれだけの犠牲者が出たんでしょうか。

脚気以外でもこういう問題はどこにでも起こりそう、問題の本質と客観的な見方をもった人が上に立つべきだなと痛切に感じましたです。


アリス
アリスです。
最近、復活歴女してます。

※画像はイメージです

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