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世界最強の諜報機関モサド~その謎めいた舞台裏に迫る

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世界の影の領域では、今日も人知れず各国の諜報員が暗躍する。
そこには、愛する国家と同胞を守るためならどんなことでも許される論理がある。

国家と全世界のユダヤ人の安全を確保するため、暗殺行為を最終的な解決手段としてきた諜報大国イスラエル。
Rise and Kill First. 立ち向かって、先に殺れ。ユダヤ教の聖典『タルムード』の一節だ。

大洋に囲まれた米国と違い、周囲が敵だらけのイスラエルは、常に眼前に脅威がある。流浪と迫害の果てに悲願の建国を果たした彼らは、何がなんでも母国を守るという強靭な愛国心とともに生きている。だからこそ、モサドは世界でもっとも優秀なスパイ組織でありつづける。

目次

CIAをも凌ぐイスラエル諜報特務庁 モサド

スパイ小説の名手ジョン・ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』で描かれたように、諜報機関のエージェントは孤独で苛烈をきわめる職業だ。
敵国に潜入して遂行する命がけのミッション。たとえ任務が成功してもヒーローにはなれない。軍人のように勲章を授与されることもない。
万が一、失敗すればどうなるか。敵に拘束され、場合によっては処刑されることもある。
世界最強とうたわれるモサドのエージェントたちは、いったいどのようにモチベーションを維持しているのだろうか。

地中海に面した中東屈指の商業都市テルアビブは、意外にも20世紀に砂丘から開発された新しい街だ。
そのテルアビブ近郊にモサドの本部はある。所在地は非公開であるものの、関係者の証言から本部と推測される広大な施設は実在する。周囲は高いフェンスや樹木で囲まれており、外から内部のようすをうかがい知ることはできない。

イスラエル建国の翌年にあたる1949年、モサドの前身組織・諜報保安集中調整庁の創設が命じられた。
「モサド」という名称はヘブライ語で組織や機関を意味する「モサッド」に由来し、日本では「イスラエル諜報特務庁」、英語圏では「ISIS」(Israel secret intelligence service)と呼ばれる。組織は首相直轄におかれ、首相はモサドの全活動に責任を負うが、その活動を規定する法律はない。誰もが名前を知っているのに、法律上は存在しない組織。ゆえに、非合法的な活動もできると解釈されている。90年代なかばまでは、歴代長官の名前すら非公開情報だった。

要員数は、その秘匿性から正確な数は不明。日本政府は1500人から2000人との推定しているが、7000人とする見方もある。
モサドの拠点は世界中のいたるところに存在する。地球上に張りめぐらされたユダヤネットワークの恩恵か、諜報活動においては他国の追随を許さない。
2001年5月、金正男が偽造パスポートを使用して日本への入国を謀り、日本の当局に拘束されるという事件があった。その背後には、モサドから日本政府による情報提供があったといわれる。9月に米国内で大規模なテロリズムが起こることをCIA・FBIに警告していたのもモサドだった。

スパイとして適格な人間とは

採用の対象となった人物は、知能、品性、思想、体力などを数年かけて徹底的にチェックされる。
モサド創設者の一人であり、2代目長官をつとめた伝説的人物イサル・ハルエルが語った、諜報員を選ぶ条件が興味深い。

「みずからエージェントになりたいと売りこんでくる人間は、ほぼ例外なくだめだね。平たく言えば、スパイに妙な憧れを抱いていて、目立ちたがりで、自己愛の強いタイプ。そういうやつは、いざ窮地におちいると、味方の情報をあっさり敵に売り渡してしまうんだ。スカウトする際のチェックポイントは、愛国心があるかどうか。つぎに、質素な生活に耐えられるか。そして、家族を愛しているか」

なるほど、と思う。いちばん身近な家族を愛せない人間に同胞が愛せるか。家族への思いの延長線上に祖国を愛する気持ちが生まれるということなのだろう。長きにわたる迫害の歴史を歩み、ようやく祖国を建国するに至ったユダヤ民族らしい考え方ともいえる。

ハルエルは、ある若いエージェントがバカンスの際、妻に内緒で別の女と密会している現場をおさえて即刻解雇したエピソードも明かしている。
やはり、なるほどと思う。諜報員にとって、もっとも警戒すべき存在が女だからだ。ハニートラップにかかって、敵国に寝返られたりでもしたら、ともにミッションを遂行するメンバーが危険にさらされることになる。

User:רונאלדיניו המלך, Public domain, via Wikimedia Commons

ナチスの残党狩りとミュンヘンオリンピック事件の報復

モサドの名を世界に知らしめたのは、ナチス戦犯の捜索と黒い9月との暗闘だろう。
アルゼンチンのブエノスアイレスに潜伏していたホロコーストの首謀者アドルフ・アイヒマンを拉致したのは1960年のことだった。
しかし、このころのモサドはまだ暗殺工作を積極的に実行する組織ではなかったようだ。風向きが大きく変わるきっかけとなったのが、1972年のミュンヘンオリンピック事件だったことはまちがいない。パレスチナゲリラ・黒い9月によって引き起こされたこのテロ事件は、イスラエル選手団に11人もの犠牲者をだす惨劇となった。

ゲリラたちは、報復にでたモサドに狙われることになる。俗にいう神の怒り作戦である。そしてモサドは、ついにテロの首謀者アリー・ハサン・サラーマを追いつめて殺害することに成功する。
ところが、このサラメ殺害がPLO(パレスチナ解放機構)のヤセル・アラファト議長の逆鱗に触れてしまい、モサドとPLOの報復合戦が激化していくことになる。

導かなければ民は滅びる~進化し続ける恐るべき実力

近年のモサドは、2016年に長官に就任したヨシー・コーエンの指揮のもと、より緻密で冷酷な工作活動を展開するようなった。
テクノロジーの発達により、諜報機関の活動内容も多様化した。諜報員を敵国に送りこみ、地道に情報収集を行うケースは少なくなり、サイバー攻撃などのITを駆使したオペレーションが増えている。敵国に諜報員を一人も潜入させないまま実行されるオペレーションも多くなった。

モサドによる暗殺行為は、イスラエルの安全保障に値するか否かという観点から実行される。もちろん「暗殺」という用語は使用されず、「整理」または「標的殺害作戦」といった曖昧な表現が用いられるようだ。光の当たる世界では刑事処罰の対象となる行為・活動が、国家安全保障の名のもとに正当化されてきたのだ。

証拠を何ひとつ残さない、あざやかなオペレーションの手口は、もはや神業の領域。遠隔操作のマシンガンを使った標的の暗殺もそのひとつだ。殺害現場に暗殺者の姿がないというのだから驚いてしまう。ここ数年にモサドが関与した暗殺劇で、監視カメラに証拠となるような映像が残っていたケースも皆無だという。

日本人の感覚からすれば、モサドの超法規的で非情な活動はやはり受け入れがたいものがある。けれども国民の安全を守るためには、ここまでやらなければならない国もあるということだろう。一説には、これまでイスラエルが国として実行した暗殺工作は2700件にものぼるという。

幸いなことに、日本は安全保障を米国に頼ることができた。しかし、それが将来もつづくとはかぎらない。
自国の安全を確保するということはどういうことか、守るべきもののために何をどこまですべきなのか。モサドは、そんな重く冷徹な問いを投げかけている気がする。

参考文献:『モサド・ファイル』マイケル・バー=ゾウハー著/ニシム・ミシャル著/上野元美訳
featured image:User:רונאלדיניו המלך, Public domain, via Wikimedia Commons

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