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多胎児は何故世界中で忌み嫌われたのか?不吉の象徴って本当?歴史を交えて考察

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昔の日本で多胎児が忌避されていたのをご存じですか?
また多胎児を敬遠する風習は日本のみならず、世界中に広く分布しています。

一体何故多胎児は凶兆とされたのでしょうか?
今回は日本や世界において多胎児が忌み嫌われた理由を解説、考察していきます。

目次

世界一双子が多い町、イグボ=オーラの秘密

アフリカ大陸ナイジェリア南西部の町、イグボ=オーラ。
あまり知られていませんが、ナイジェリアは世界で最も双子の出生率が高い国に挙げられています。
中でもヨルバ人が多く在住するイグボ=オーラは双子の町の異名をとるほどで、町を歩けば大勢の双子とすれ違います。
2018年には双子祭りも開催され、名実ともに双子のメッカとして名を馳せました。

今でこそ観光地化しているイグボ=オーラですが、昔は双子が虐げられていました。
アフリカには未だに呪術師が実在し、医療の恩恵を享けられない人々が、まじないめいた民間療法に頼っている側面があります。イグボ=オーラでも双子の誕生は災いを招くといわれ、分娩時に殺害することもあったとか。

さて、何故ナイジェリアには双子が多いのでしょうか?
一番有力視されているのは、ナイジェリアの主食であるヤムイモの成分を原因とする説。

ヤムイモには女性フェロモンのエストロゲンとよく似た成分が含有されており、これが複数の卵子の誘発を促すのだそうです。即ち、ナイジェリアの双子は一卵性より二卵性が多いということ。
ちなみにアフリカではアルビノの子どもが迫害されたり、呪術的な儀式の生贄にされる事件も後を絶たず、人と異なる容姿を持って生まれた者に困難な道のりが待ち受けていました。

西アフリカのコンコンバ族は双子の誕生を悪霊や邪術師のしわざとし、スーダンのディンカ族は長じて親を殺すと予言します。アフリカ以外ではオセアニアのサモアが日本と似ており、「男女の双子は子宮内で近親相姦を犯す」と疑われていました。

Ammi ZoakaによるPixabayからの画像

崇拝か迫害か、両極端の待遇

アフリカ圏に限らず、西洋でも多胎児は数奇な運命に翻弄されます。
魔女狩りを例にとればわかりやすいですが、中世に勢力を増したキリスト教は普通の生まれでない者を異端と見なし、異端審問の名を借りて拷問・処刑を行いました。

女性は普通一回の妊娠で一人子を産みます。
当時はエコー検査など存在しなかったので、妊婦本人も他の家族も「生まれてくる子は一人だ」と先入観を持っていました。
多胎児を妊娠した場合は通常より腹が大きく膨らみますが、それも個人差があるのに留意してください。
腹部のサイズと胎児の人数を結び付ける発想は、暗黒の中世には存在しませんでした。

しかし実際に生まれてきたのは多胎児。
王族や貴族なら余裕をもって養えても、貧しい庶民や百姓には厄介者扱いされます。

古来より世界中で双子は差別されてきました。
一方、双子が崇拝の対象とされた時代や地域もあります。人の形して人から外れた者は異端、異端でなくば神。そんな価値観が昔は広まっていたのです。

ところで歴史を勉強している最中に疑問に思ったことはありませんか?
歴史上の偉人に双子、あるいは多胎児の一人とされる人物が極めて少ないのは何故でしょうか。

西洋の人々は王権神授説を信じてきました。
フランス王室が顕著な例で、王とは神の代理人として民草を導く存在といわれてきたのを思い出してください。
この思想は特に上流階級に深く根付いています。現代でこそ噴飯ものですが、中世欧州の領主には初夜権があり、新郎に先んじて領地の生娘の処女を奪うことができたのです。
以上の無茶が罷り通ったのも、王族や貴族が神聖不可侵な存在と信じられてきたから。

彼等にとって権力を脅かす双子は不都合な存在。一族に双子が生まれる、そのこと自体が呪わしいのです。

なので他は殺すか一生幽閉するかの隠蔽措置を謀り、残った一人だけを正式に養育しました。
これには相続問題も絡んでいます。兄弟なら年功序列を鑑みて兄が家督と遺産を継ぐのが自然ですが、同時に生まれた多胎児の場合は話がこじれてきます。

故に多胎児は歴史の闇に葬られてきたのです。
なおルイ14世とバスチーユ監獄に幽閉されていた鉄仮面の男の双子説は有名で、この俗説にのっとったフィクションが多数生まれています。

忌み子に畜生腹……江戸時代の多胎児を襲った苦難

皆さんは畜生腹、畜生孕みという蔑称をご存じですか?
現代では死語と化しましたが、江戸時代は市井に広まっていた言葉で、主に多胎児を産んだ女性をさします。

語源は畜生……即ち動物のことで、犬のように一度に多くの子どもを産むことを蔑んだのだそうです。
古今東西「牝犬」を女性への蔑称として用いる地域が多いことからも、多胎児出産への酷い偏見がうかがえますね。

日本では多胎児が生まれると産婆がくびり殺したり、片方を里子に出す事も珍しくありませんでした。

さらに多胎児は忌み子と呼ばれ忌み嫌われました。
この傾向は地方の農村に特に顕著で、子どもを養いきれない貧困が根深く関係しています。

不作による飢饉が相次いだ江戸時代には多胎児殺しが増えすぎて、江戸では特別な祝い金をだし抑止力としました。

小碓命(ヤマトタケル)は日本最初の双子の片割れ

案外知られていない日本最初の双子として挙げられるのが、『日本書紀』に登場する小碓命(ヤマトタケル)です。
八岐大蛇退治の武勇伝が有名な彼には、兄の大碓命(オオウスノミコ)がいました。

ところが小碓命は父の命令を誤解して兄を殺害。
実父の景行天皇は兄を殺した罰として、小碓命に大和の平定を命じました。

小碓命と大碓命の関係には諸説あり、普通の兄弟とする説も有力視されています。
しかし字面だけ並べれば双子といわれても納得ですし、そもそも年が同じか余程近くなければ、兄を倒すのは難しいのではないでしょうか?

男女の双子は心中者の生まれ変わり?

江戸時代の日本で多胎児の誕生が歓迎されないことは前述しました。
その中でも一際忌み嫌われたのが男女の双子。
これには理由があり、男女の双子は心中者の生まれ変わりと信じられていたのです。

来世で結ばれようと誓った男女が、長い歳月を経て同じ女の腹から産まれ落ちる……一見ロマンチックに感じられますが、近親相姦の隠喩ともとれます。
現代人の私たちも、血を分けた兄弟が前世で恋人だったというのはかなり抵抗を覚えますよね。

一卵性の場合は必ず同性になりますが、二卵性の場合は男女になり、顔立ちもそっくりというほどではありません。

故に男女の双子は「夫婦子」と呼ばれ、夫婦子を産まない為に双子の黄身の卵は食べない、二股に分かれた大根は食べないなどといった俗信に頼っていました。

それでも産まれてしまった場合、処分されるのは女の子の方でした。江戸の男女比が男性32万人、女性18万人と5:3で歪なのも無関係ではないでしょうね。
男尊女卑の風潮に加えて女は家督を継げないこと、労働力として劣るのも一因です。
余談ですが農村の口減らしでも、間引かれるのは断然女の子の方が多かったそうです。

まとめ

以上、多胎児が忌み嫌われるようになった経緯を紹介しました。今回ご紹介したのはどれも無知から来る迷信や偏見です。

さらに穿った見方をするなら、当時は分娩時の母子の死亡率が高かったことが挙げられます。
多胎児の場合は特に母体への肉体的負担が大きく、双子が親を殺す、不幸を招くなどの発想に繋がったのではないでしょうか。

子どもは宝と書いて子宝と読む精神を忘れず、現代に生きる私たちは多胎児の誕生を祝福したいですね。

※画像はイメージです。

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