モダンホラーの帝王スティーヴン・キングの小説に『IT』という作品がある。
“IT”――「それ」が見えたら、終わり。映画『IT』の公開後、ピエロ恐怖症が激増したという話を聞くが、じつは劇中の不気味なピエロ、ペニーワイズにはモデルとされる人物がいた。
その男はキラークラウン(殺人ピエロ)ことジョン・ウェイン・ゲイシー。表の顔は資産家の名士、裏の顔は殺人鬼。慈善活動に精を出し、ピエロの仮装をして子どもたちの人気者になるまではよいとして、そのあとに彼らを誘い、強姦の末に殺害していたのだから、まさに悪魔の所業である。
「それ」が見えたら、終わり
イリノイ州シカゴ近郊の地元の街では、「親切な隣人」として住民の信望が厚かったジョン・ウェイン・ゲイシー。その素顔は、33名の少年らを強姦し、残忍な方法で殺したうえに遺体を自宅に遺棄していたシリアルキラーだ。
最年少の犠牲者は9歳、最年長は20歳の元海兵隊員。殺害動機は自身のホモセクシュアリティを世間に隠すためという身勝手なもの。
連続殺人鬼としてはビックネーム中のビックネームなのだけれど、なぜかこの男は人気が高い。収監中に彼が描いたピエロの絵画はマニア垂涎の的であり、ジョニー・デップがコレクターだったことも有名な話。もっとも、ジョニーはピエロ恐怖症克服のための荒療治として購入したらしく、絵が放つダークな雰囲気に嫌気がさして手放してしまったようだ。
ジョン・ウェイン・ゲイシーの司法上の処分は殺人罪であり、ピエロのイメージを大暴落させた責任は問われなかった。マ〇ドナルドがよく怒らなかったものだ。
一人のシリアルキラーの内面に、相反する二面性が共存するケースはめずらしくない。虚像と実像のギャップが極端に大きかったのがゲイシーの特徴といえるだろう。彼の本性を垣間見ることができたのは、おそらく被害者の33人だけだったのではないだろうか。
最後の殺人、そして逮捕
1978年12月、ロバート・ピーストという15歳の少年が、アルバイトの面接にでかけたまま消息を絶った。心配した両親が警察に届け出たことで、ようやくゲイシーは殺人納めとなる。
「うちの息子が、ゲイシーさんの会社に面接に行って帰ってこないんです」
ゲイシーに少年への性的虐待の前科があることを知っていた警察は、ロバートが事件に巻き込まれたことを直感。自宅に向かった捜査員は、家じゅうに漂う異臭に気づく。それは殺人現場特有の匂いだった。
捜査令状をとって家宅捜索を行ったところ、腐乱した死体が床下から26体、敷地内から3体、さらに近くの川から4体発見された。川から引き揚げられた遺体のなかにロバートの姿があった。
犯行が行われた6年間で水中や地中の死体は固形化し、屍蝋(しろう)になっているものもあった。現場からは毒性の強い細菌や有毒ガスが検出され、捜査員は軍用の防護服を着用して遺体捜索を行わなければならなかった。
父親から虐待された少年時代
表の顔は優秀なセールスマン、裕福な事業家、慈善活動に熱心な地元の名士、加えて妻帯者。ジョン・ウェイン・ゲイシーは、いかにも順風満帆な人生を送る成功者のようにみえる。
地元民主党の顔役でもあった彼は、時の大統領ジミー・カーター夫人のロザリンと握手している写真も残っている。この一件では、二人を接触させてしまったシークレットサービスの調査の甘さに非難が殺到した。
ゲイシーの歪んだ二面性は、どのようにして肥大していったのだろう。その答えは、いわれなき虐待を父親から受けつづけた生育環境にあるように思えてならない。
彼は1942年3月17日、イリノイ州シカゴに生まれた。シリアルキラーの育成に一役も二役も買ったのが、アルコール依存症で高圧的な父ジョン・スタンリー・ゲイシーだった。スタンリーは一人息子に期待を寄せて、「ミスターアメリカ」ことジョン・ウェインの名を命名。「アメリカ的な強い男になれ」といったところだろうか。
しかし、そんな息子に心臓の持病があることがわかると、失望して見限った。そして、肉体的にも精神的にもわが子を痛めつけるようになる。
「この間抜け。どこまでクズでバカなんだ」
「どうせ行く末は決まってる。おまえはな、気色の悪いオカマ野郎になるのがオチさ」
そのとおりになった。ただし、ゲイシーのIQは上位10%に入る高いレベル。そもそも才覚がなければ仕事を成功させて莫大な資産を築くことはできなかった。また頭がよくなければ社会的な信頼を維持することもできなかった。
虐待行為が日常的であったにもかかわらず、ゲイシーは父を敬愛していた。父に認められたいという呪縛が社会的成功へつながったとも考えられる。のちに精神鑑定をした医師が興味深い言葉を残している。
「人に反対されたり、責められたりすると、彼は決まって言い逃れをする。どんなに不利な状況だろうと、責任を転嫁して自分をよく見せようとする。そのためには事実も平気で捻じ曲げてしまう」
おそらくゲイシーは父親の顔色をうかがい、弁明しながら成長し、認められることだけを行動原理として生きてきたのだろう。ジョン・ウェイン・ゲイシーに同情の余地があるとすれば、毒親の父をもったことだ。これだけは彼の罪ではない。
ピエロになれば殺人なんて簡単さ
死刑判決を受けてから14年後の1994年5月10日の深夜、薬物注射によるゲイシーの死刑が執行された。
希望したスペシャルミール (最後の食事)は、ケンタッキーフライドチキン、エビフライ、フライドポテト、イチゴ、ダイエットコーク。ケンタッキーフライドチキンは、彼にとって若き日の成功を象徴する食べ物だった。
イリノイ州クレストヒルのジョリエット刑務所の前には群衆が集まり、被害者の遺族たちはライブカメラで死刑執行を見届けた。
薬殺刑による刑死は、通常なら数分で眠るように逝くといわれる。しかし死刑囚が極度の興奮状態にあったりすると薬効に不具合が生じ、窒息したまま苦しい最期を迎えることになる。ゲイシーは意識を失わず、20分近く苦しみぬいて息絶えた。コメントを求められた検事のウィリアム・カンクルは、「被害者が受けた苦痛は、彼の比ではないんだよ」と語った。
最後まで冤罪を主張しつづけ、自分の犯した罪をけっして認めなかったジョン・ウェイン・ゲイシー。
問われて答えた最期の言葉は、「Yeah! Kiss my ass !(くたばりやがれ!)」だった。
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