感染症が落ち着いてきた事もあり、何年ぶりに実家のある北海道に帰省をすることになりました。
幼い頃の記憶
3歳になる息子は生まれてすぐに行ったきりで、覚えている中では初めての北海道への旅であると共に、初めて僕の両親、じいじとばあばに会うので、とてもはしゃいでいるようです。
飛行機の機内で、妻と息子に僕が今まで行った北海道の観光地でどこが面白かった?というような話になり、両親と3人で旅行をしたとき、旅先の景観地とそこで出会って親友になった「清助」が今でも忘れ去られないという話しました。
すると妻は「その話なんか変じゃない?」と。
「清助」とはしょっちゅう遊んでいて、その思い出は何回となく聞いてはいるけれど、てっきり近所の子かと思っていた、旅先で出会ったのなら聞いているほど頻繫に遊べないのじゃないか?と言ったのです。
今思えば自分でもとても変な話ですが、僕の記憶では「清助」はたしかに旅先で出会って、地元でも遊んでいたのを覚えています。幼い頃の記憶でたしかにモヤモヤしていますが、実家に帰れば「清助」の事を両親が覚えているだろうから、実際どうだったのか解るだろうと思って話を終わらせたのでした。
誰だい?
到着した最初の夜、夕食を済ませてくつろいでいるとき。行きの話を思い出した息子が「清助って知ってる?」と両親に聞きくと、帰ってきた答えは「誰だい。その子?」。
僕は驚き、5歳の夏の旅行で不気味な名前だったけれど綺麗な場所だった、その時に出会って仲良くなり、それから家に何度も遊びに来ていたと説明をしましたが、両親は悲しい顔で「その頃、お前は頭にケガをして入院していた時期だろ」と言い出すのです。
そして母がアルバムを持って来て「これ写真が入院した日だよ」と写真を見せてくれました。日付は平成5年8月XX日、北海道南西沖地震が起き、タンスの下敷きになり意識不明の重体で長期入院をしていたのです。
勘違い?
両親と妻、子供にまで「夢か勘違いしてるんだよ」と笑われて、僕はムキになり「俺は賽の河原という海岸で清助と一緒に石を積んで遊んだり、彼岸花を見たなんだ!」と言って、たぶん両親が忘れているだけだと思って、スマホでサイノカワラを検索すると、北海道には奥尻島と積丹半島の西がわの神恵村に「賽の河原」がありました。
奥尻島に行ったことがないので神恵村にある「賽の河原」の画像を見ると、僕の記憶とは全く違います。もしかしてという気持ちで奥尻島の「賽の河原」の画像を見ても、やはり記憶とは全く違うものです。
唖然としていると両親から「賽の河原なんて観光地には行ったことが無いし、北海道に彼岸花は自生してないよ」といわれたのでした。
・・・僕は誰と何を見ていたのでしょうか?
※画像はイメージです。
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