1999年10月25日午後2時過ぎに北海道標津郡中標津町の道路わきで「木村悟(きむらさとし)」さん当時16歳(高校2年生)の遺体が発見されました。
木村さんの死因は頸椎骨折で即死と診断。木村さんが発見された場所には中標津町内で窃盗されたオートバイが倒れており、警察は「木村さんがオートバイを中標津町で窃盗して無免許で運転、カーブを曲がり切れず街路樹に激突した単独事故」として処理されました。
一見、単なるオートバイでの死亡事故と思われがちですが、この事件は不可解な事が多い。
今回は北海道で起きた「オートバイの変死事故」を紹介したいと思います。
事件の詳細
木村さんの両親は「普段の悟さんからは考えられない行動」であり、警察をはじめ、学校や同級生らの対応に不信感を感じ、「交通事故ではなく?バイク事故に見せかけた、なんらかの事件ではないか?」と思い始めて、独自に捜査を始めると新たな事がわかりはじめるのでした・・・。
まずは事件を時系列でまとめてみます。
1999年10月19日午後~10月22日
1999年10月19日の午後、中標津町でオートバイの窃盗事件が発生。
10月22日午後5時頃、遺体発見の3日前に木村さんは友人宅にいましたが、「違う友人宅に行く」と言い残して友人宅を出ます。その直後から木村さんの行方が分からなくなりました。
帰りの遅い木村さんを心配した両親は同日午後7時に警察に連絡します。警察と家族、友人などが辺りを捜索しても見つかりませんでした。
10月25日午後2時頃
数日後の10月25日午後2時頃、中標津町の道路脇にて、心拍停止の状態で倒れている木村さんを発見。倒れていた木村さんの近くには10月19日に窃盗にあったオートバイが倒れていました。
状況証拠から警察は「木村さんがオートバイを盗み、無免許で運転しカーブを曲がり切れずに街路樹に衝突した」と単独交通事故として処理されます。木村さんが運ばれた病院では、司法解剖もせずに「頸椎骨折で即死」と遺体検案書に記載。しかも死亡時刻は証言を鵜吞みにした、友人宅から出た午後5時5分というあいまいな時刻でした。
2001年10月~
納得のいかない両親は2001年10月に北海道警察に資料開示請求をし、11月には情報公開審査会に審査請求を求めますが、2003年3月に「公文書の存否を明らかにしない決定処分が妥当」という文面の解答だけで両方とも却下されてしまいます。木村さんの両親は同年11月26日に北海道警察に本件を傷害致死事件として告訴しますが、2005年12月28日に検察が「単独交通事故死」と認定し木村さんの両親が傷害致死事件の告訴を不起訴に。
2006年12月2日
2006年12月2日に傷害致死事件としての公訴時効が成立してしまい、今回の事件は木村さんの単独事故として終わりを迎えてしまいます。
不可解な理由
なぜバイク事故に見せかけた事件であると感じたのか?
不可解な理由を説明します。
オートバイの疑惑
木村さんが事故を起こしたとされるオートバイですが、なぜかスイッチがOFFになっていました。オートバイの構造上、衝撃などでOFFになる事はありません。つまりはバイクは元々停止していたことなり、「カーブを曲がり切れず街路樹に激突」という事故は起こり得ないのです。
ヘルメットや服装の疑惑
まず、事故現場にフルフェイスのヘルメットがありましたが、なぜか木村さんの横に綺麗に脱いだように置かれているのが発見れました。「頸椎骨折で即死」であれば、ヘルメットを脱いで横に置くことは不可能。ヘルメットはへこみや傷もなかったという状態で、仮にノーヘル走行で事故を起こしたとしても、死体の横にあるのは不自然でしょう。
次に軍手・靴・靴下が脱ぎ捨てられていたとされています。事故の衝撃で靴が脱げるのは分かりますが、軍手や靴下が脱げる事などありません。
メガネに関する疑惑
木村さんは視力が悪く常に眼鏡が必要だったのですが、遺体発見時にはどこにも見つかりませんでした。
そもそもフルフェイスヘルメットをかぶっていたならヘルメット内、シールドを開けて走っていたとしても事故現場のどこかで発見されるのではないでしょか?
事故発生から16日後の11月6日、その事を不審に思っていた両親や友人が再度事故現場を捜索すると、綺麗に折りたたんだ状態のメガネが見つかりました。
仮に事故の衝撃で飛ばされたとしても、なぜキレイのままだったんでしょうか?
事故現場の疑惑
木村さんが行方不明になった日、両親や友人が事故現場を何度も通っていたそうなのですが、「その時は絶対に何もなかった」と証言しています。実際の所は分かりませんが、「カーブに曲がり切れず」という事故であれば、ブレーキ痕やスリップ痕、草が寝ていたりとなにか形跡のような物があるはずで、なにかの異変に気が付くのではないでしょうか?
木村さんの遺体の疑惑
警察によれば、街路樹に衝突の単独事故とされているが、遺体には外傷、衣服にも乱れがなかったいう。
街路樹に激突し路外に投げ出され、頸椎骨折で即死してしまう程の衝撃がかかったのであれば、そんな事はありえないでしょう。
医者の検死の疑惑
当初、地元の病院では「頸椎骨折で即死」と診断されますが、事故から3年後、疑惑の事件として注目を集め始め、検察庁で複写した遺体や現場の写真から、医学博士であって、元東京監察医務院長の上野正彦氏によれば、「胸、腹腔内臓器損傷による失血死の方が事実に近い」と、なぜ司法解剖しなかったのか指摘されます。
それを受け警察側も「頭と胸部の打撲による失血死の可能性が高い。即死ではなく、事故後二十四時間から四十八時間生きていた可能性がある」と修正します。新しい診断書の通りだと木村さんは行方不明になったのは10月22日、発見が10月25日の数日間は生きていたことになります。
単純に考えれば、木村さんは22日に、事件に巻き込まれたかとしか考えられない状況ではないでしょうか?
再捜査しない理由
最終的には、事故死との見方を覆す証拠は見つからなかったとして捜査を終了します。
両親は不服を訴えるのですが、再度不起訴処分を決めて事件は終了します。
こんなにもたくさんの「誰かが関与した」と思われる証拠があっても、再捜査しない理由はなんなんでしょうか?
まくまでもウワサなのですが、木村悟さんは学校内でイジメにあっていたと証言されています。
イジメの内容は多岐にわたり建物の2階から飛び降りを強要され、その時に写真を撮られていて笑われていたそうです。
木村さんの遺体が発見された際に担任教師が「木村さんは誰かに連れ去られたらしい」と1度証言しています。
その後、担任教師は口を閉ざしてしまい警察も追及しなかったそうです。
それはなぜかと考えると、イジメを行っていた主犯格の人物が、地元の有力者の息子だからなのではないでしょうか?
行方不明からの約3日間、木村さんに何が起きたのか知る事は出来ませんが、イジメの存在、頭部と胸部の外傷、「撲殺」というワードが頭をよぎります。
もし本当に隠ぺい工作がされていたならば全ての辻褄が合うと思いませんか?
大した捜査もせずに単独事故と決めつけ、地元の医師にウソの診断書を書かせた。木村さんの両親が独自に捜査をしなければ悟さんは窃盗犯の単なる事故死として処分されて終わり・・・。
最後に
オートバイの変死事件が、もしかしたらイジメでの死亡事件の可能性まで出て来るとは、本当に恐ろしい世の中だと思う反面、真実を追求した木村さんの両親は凄いと思いました。
そして木村悟さんにご冥福をお祈りいたします。
※画像はイメージです。
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