「悪い子はいねがぁ!」「泣く子はいねがぁ!」でおなじみの「なまはげ」。
毎年大みそかに行われる、秋田県男鹿地方に伝わる伝統行事です。
怖い鬼の格好をした人が大声で怒鳴りながらやってくるなんて、子どもにとってはトラウマものですよね。
しかしこの「なまはげ」、平成30年1月にユネスコの無形文化財に登録されたスゴイお祭りなんです。
名前や見た目は知っていてもその内容までは知らない方、「なまはげ」とはなんなのか考察していきますよ。
「なまはげ」とは?
なまはげのことを「年末になると押しかけてくる面倒臭い鬼」と思っている方もいるでしょう。しかし、実は彼らは鬼ではありません。
鬼は「悪の象徴」や「邪悪な怨霊」ですが、「なまはげ」は「神」で真逆の存在、その中でも「来訪神」というカテゴリに属します。
ちなみに来訪神とは、「年に一度、決まった時期に人間の世界にやってくる神」です。
その通り、「なまはげ」は毎年大晦日にやってきます。そして手には大きな包丁と桶、そして御幣がついた杖を持って家々を回ります。
御幣は神様の象徴で、「なまはげ」が悪いものではなく神様であることを示すもの。
包丁は怠け者の足にできた「ナモミ」を剥ぐため、桶はその剥いだ「ナモミ」を入れるためのものなんです。
昔は箱に豆を入れた物をカラカラ鳴らして、「この中に入ってるの、去年剥いだナモミなんだよね」と無言の圧力をかけたとか。
「ナモミ」は、冬に怠け者が仕事もせずに火にあたってばかりいると低温やけどを起こしてできる赤いあざを男鹿では「ナモミ」と呼ばれます。
「怠け者からナモミを剥ぐ」がなまって「なまはげ」となったと言われ、怠け者の象徴の「ナモミ」を取り去っていくという意味が含まれているのです。
初めにユネスコの無形文化財に登録されたと述べましたが、その登録名は「来訪神:仮面・仮装の神々」といいます。そのまんまですね。
つけているお面には赤と青の2種類あって、赤いなまはげは「じじなまはげ」、青いなまはげは「ばばなまはげ」といいます。2体合わせて「夫婦なまはげ」なんですよ。
もし色が違っても、ゴツい方が「じじなまはげ」、丸っこい方が「ばばなまはげ」。わかりやすくていいですね。
着ているものは藁でできた「ケラ」、地域によっては「ケダ」「ケデ」「ゲテ」とも言います。履いているのは同じく藁でできた「ハバキ」と「ワラ靴」。撥水性があるので雪や雨に強く、保温効果もあるそうですよ。
なまはげの作法って?
大声で怒鳴りながら無理やり家の中に押し入ってくると思っていませんか?それは違うんです。実はなまはげって、とても紳士的なんですよ。
まず初めに、「先立ち」と呼ばれる役目の人が家に入ってもいいかどうかを家の主人に尋ねます。
隠れているであろう子供達の心中を思うと心苦しいですが、大抵は容赦無くOKが出てしまいます。
なまはげタイムの始まりで、「うおおおおおお!」と叫びながら戸や壁をバンバン叩き、まず7回四股を踏んでから家の中へ入ります。
座敷では一家の主人がごちそうを前に「ようこそ」とおもてなしを開始。なまはげは座る前に、今度は5回四股を踏みます。
そこからなまはげの尋問開始。「おまえんとこの子、勉強しないでゲームばっかりやってるらしいじゃん?」「かーちゃんの言うこと聞かないらしいじゃん?」とガンガン質問。「そんなことないですよーちゃんと勉強してますってー」と庇う主人。実際は土地の言葉でのやり取りですが、とにかく詰められます。
答が終わったら次はメインの子どもたちとのふれあいタイムです。四股を3回踏んだ後、子どもや若いお嫁さんを探し回り、脅かします。
この辺りはテレビでよく見るシーンですよね。泣きながら「ちゃんと勉強しますー!」「お母さんの言うこと聞きますー!」なんて叫んでます。
なまはげがそれぞれの動作を行う前にする四股は、邪気を払い、その場を浄化して五穀豊穣と無病息災を祈るという意味があり、踏む回数7・5・3は縁起のいい回数とされています。
しっかり脅したらお餅やご祝儀をもらって次の家へ行くのですが、「また来るからな」と言い残します。映画だと確実に続編がある終わり方ですね。
家の中にはなまはげが着ていたケラから落ちたワラクズが散らばっていますが、これはとても縁起がいいものとされているため、大事に扱われるそうです。だからといってわざとむしらないようにしましょうね。むしったワラクズにはなんのご利益もないので、ゴミが増えるだけです。
なまはげの起源は?
なまはげの記録で一番古いものは、菅江真澄が記した「菅江真澄遊覧記」という書物の中の「男鹿乃寒かぜ」です。
文献によると、1811年2月8日に行われた秋田の小正月行事がなまはげの始まりとされており、そこにはなまはげの繊細な解説と絵が記されています。
では起源はどうなっているのでしょうか。語り伝えられている説は「漢の武帝説」「山の神説」「修験者説」「漂流移民説」などがあります。
漢の武帝説
昔、漢の武帝が男鹿を訪れたときのこと。連れてきた5匹の鬼を小正月の1月15日だけ好き勝手にやりたい放題にさせていたら、暴れ回って村人を困らせたという伝説があります。
そこで村人は鬼たちに「一晩で1,000段の階段を築くことができたら、これから毎年娘を1人差し出す。できなかったら出ていくこと」と持ちかけました。
鬼たちが頑張って999段まで作り上げたとき、村人が鶏の鳴き真似をして鬼たちを撃退することに成功したのでした。
それ以降、鬼の仕返しがないように、鬼に扮した村人をもてなして鬼に感謝の意を伝える行事を始めたのでした。
山の神説
男鹿半島を遠くから見ると、大きなひとつの山のように見えます。それを神に見立てて神聖視し、なまはげはその神の使いであると言われています。
修験者説
男鹿の本山と真山は、古くから修験道の修行者たちが厳しい修行を行う霊場でした。その修験者たちは時折里に降りてきて家々を祈祷して回ったそうですが、その壮絶な姿をなまはげと重ねて考えたとも言われています。
漂流異邦人説
男鹿に流れ着いた外国人の風貌や大きな声で外国語を話す様子を見て、恐ろしい存在、すなわち「鬼」であると考えたとされています。元々神だったものが鬼と混同されたり恐ろしいものだと勘違いされて、訂正されることなく現在まできてしまったのではないでしょうか。
他の土地にもいる?
仮面をつけて厄払いをしてくれる神様はなまはげだけではありません。他にもいろんな神様がいらっしゃるんですよ。
- スネカ(岩手県大船渡市)
- 氷川の水かぶり(岩手県登米市)
- アマハゲ(山形県遊佐町)
- アマメハギ(石川県輪島市・能登町)
- カセドリ(佐賀県佐賀市)
- トシドン(鹿児島県薩摩河内市)
- メンドン(鹿児島県鹿児島郡三島村)
- ボゼ(鹿児島県鹿児島郡十島村)
- パーントゥ(沖縄県宮古島市)
上記のの行事は男鹿のなまはげと一緒に「来訪神:仮面・仮装の神々」としてユネスコに登録されている有名どころですが、南の方に行くにつれてだんだん陽気度が増して行きます。県民性も関係あるんでしょうか。
「なまはげ」と「クランプス」?
本国内だけではなくヨーロッパにもいて、その名も「クランプス」といいます。
聖ニコラウス(サンタさん)の付添い人の立ち位置なのですが、サンタさんとは真逆です。
鬼というよりは日本人から見ると悪魔のような仮面をかぶり黒と茶色の衣装を着て、悪い子におしおきするダークサンタのような存在です。
クランプスは、なまはげより古い時代からヨーロッパに存在し、共通点も多くいことから、日本の「なまはげ」のルーツといわれています。
なにかの由来で伝統が日本へ渡来したと思うとロマンを感じませんか?
なまはげに一喝してもらおう!
なまはげというと、怖い鬼!というイメージしかない人も多いと思います。しかしその正体は悪いものを払って福をもたらす神様だったのです。
人間にも見た目は怖いけどすごくいい人っていますよね・・・そんな感じでしょうか。
こぼれ話ですが、各家を回るなまはげは「2人1組」ではなく、交代要員が何人かいます。どうしてだと思いますか?
それは、「酔っ払ってしまうから」
行く先々で振る舞われるお酒を飲み続けるので、途中で交代しないと最後まで持たないんだそうですよ。
それから、何人ものなまはげを移動させるのに軽トラを使うそうです。神様も大変ですね。
軽トラで移動するなまはげご一行様を見かけたら、手を振ってみてください。
年の瀬に気合を入れ直してもらいに男鹿を訪れて、その大きな声で一喝してもらうのもいいかもしれませんね!
※画像はイメージです。
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