日本は明治維新後、文明開化、富国強兵を一直線をめざし、欧米に追い付け追い越せとがんばって近代化を目指しました。
そのため、江戸時代以前のことは文化から伝統まで結構軽視し、古臭いと見向きもされなくなったのです。
現代になり温故知新とばかりに昔のことを振り返って見ると、もはやわからなくなってしまったこと、再現したくても、作り方が失われ製法が解らない伝統工芸などが多くある事に気が付きます。
日本の失われた技術の一つとも言うべき、「ナンバ歩き」について調べてみました。
そのなかのひとつの「ナンバ歩き」
明治以前の日本人は、現代とは違う歩き方をしていた。
その歩き方は長距離を歩いても疲れにくかったのが特殊な歩き方だと言うことで、1970年代に古武術研究家の著作などで広まりました。
また「ナンバ走り」は、東海道を3、4日で駆け抜けたという飛脚(駅伝みたいに宿場ごとにリレー方式ですが)、それに忍者が使っていたと言うと、思わず身を乗り出す方も多いのではないでしょうか?
「ナンバ」の語源は「骨筋の違いをなおす医者が考案して、大阪の難波にいたことからきた説」「戦国時代に来た南蛮人の動作がもと説」があります。
ナンバ歩きの方法
いったいどんな歩き方だったかといえば、右手と右足、左手と左足をそれぞれ同時に出す、歩き方だというのです。
明治後から今に至るの日本人は、西洋人の歩行を真似、体をひねって腕を振る歩き方になってしまったのです。
それ以前も同じ歩き方だったとすれば、武士は大小の日本刀が邪魔になって着物が絡んでしまう。
農作業や行商を行う階級も、帯も緩みやすいなどの理由があり、西洋式じゃなかったはずとされています。
しかし江戸時代の大名行列の絵などから、手に何も持たない場合は腕や上半身を振らず、腕を振る場合は、足と同じ側の手がわずかに出る動きだったのではないかという説もあります。
ナンバ歩きとは
武道家・武道史研究家の高橋賢氏によると、「江戸時代でも、ナンバは訓練された特殊な動きで、昔の一般の日本人全員がこの歩き方だったわけではない」説を提唱しているようです。
右手と右足、左手と左足をそれぞれ同時に出す、それだけであれば再現は可能ですが、真似をしても伝わっているような”効果”が得られませんので単純にそれだけではありません。
実質、秘術の一つとして口伝でしか伝わっておらず、方法が書かれた書物は当然の事ながら残っていません。
個人的には、能の基本動作「すり足」にヒントがあると思うのですが、仮説の域を出ません。
ナンバ歩きは架空?
すると「ナンバ歩き」は架空なのかしら?と思ってしまうこともあるでしょう。
しかし飛脚がいたのは事実ですし、婿入りした庄屋を再興した後に50歳で隠居し、江戸へ出て天文学を学び、56歳から17年をかけて日本全国を測量して正確な日本地図を作製した。
最近中高年の星と言われる伊能忠敬は、そんな年になっても歩いて全国を回れたのは「ナンバ歩き」のおかげという話もあります。
今でこそ、56歳はまだまだ現役と言えますが、当時は完全に老人です。
ふと思ったのですが、当時の日本人は潜在能力が高かったといわれていますので、いくら「ナンバ歩き」の技術的な謎は解明されたとしても再現は不可能ではないでしょうかね?
※画像はイメージです。


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