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バチカン戦慄した新たな黙示録?!聖母が少女に告げた人類の未来とは?

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青空から舞い降りたマリアは、驚く子どもたちに語りかけた。
「怖がることはありません。そして、これから話すことは誰にもしゃべってはなりません・・・・・」
マリアは少女に三つの予言を託し、人々の前で奇跡を起こしてみせた。

ローマ教皇パウロ6世が恐怖のあまり卒倒し、バチカンが秘匿し続けた運命の予言。
100年前のあの日、ポルトガルの片田舎ファティマでいったい何が起きたのか。

目次

的中しすぎて封印されたファティマ第三の予言

1981年5月2日、ロンドン、ヒースロー空港。ダブリン発アイルランド航空164便が何者かにハイジャックされた。
犯人が乗客の身柄と引き換えに出した要求は、「ファティマ第三の予言を全世界に公開せよ」。

ハイジャック犯・ローレンス・ダウニーはかつてカトリック修道士だった。特殊部隊が突入し、ほどなく事件は収束する。ダウニーは「強迫観念にとらわれた精神異常者」とされ、ハイジャック事件は「異常者による凶行」として歴史の闇に消えていった。
では、元カトリック修道士を凶行に走らせた予言とは何か。ダウニーは何かを知っていたのか。すべては約65年前、ポルトガルのファティマに降臨した聖母マリアにはじまる。

1917年5月13日、ポルトガル、ファティマ。その日、ファティマは雲ひとつない晴天だった。幼い羊飼いのルシア、フランシスコ、ジャシンタが羊を放牧していると、「ロザリオの聖母」と名乗る女性が現れた。ロザリオの聖母こと聖母マリアは以降も数度出現し、3人にいくつかのメッセージを託していった。

最後に姿を現した10月13日には、7万人が「踊る太陽」を目撃。
フランシスコとジャシンタは、聖母の予言通りほどなくして天に召された。ルシアは修道女となり、託された予言を書き記す。バチカンはファティマの出来事を奇跡と認定し、ルシアの記録を保管した。

バチカンが公開した二つの予言とは

1942年、バチカンはファティマの三つの予言のうちの二つを公開。
第一の予言は第一次世界大戦の終結。第二の予言は第二次世界大戦の勃発。

さらに新たな大戦の前兆として、ヨーロッパの空に光が現れること。
1938年1月26日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙は、イギリス、フランス、イタリア、スペインなどでオーロラが観測されたことを報じている。これらが見事に的中したことから、人々は第三の予言の開示を待った。

しかし聖母は、「第三の預言は1960年まで公表しないように」とルシアに命じていたという。
これは何を意味するのだろうか。1917年は、まだUFOや地球外生命体の概念がない時代だった。時を待たなければ、人々はその意味を理解できないことを示していたとも考えられる。しかし、1960年になっても第三の予言はバチカンの奥深くに封印されたままだった。

2000年にようやく明かされた内容は、「山の頂上に立つ大きな十字架のもとで教皇が殺される」。
バチカンはこれを1981年のヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件と規定したが、この公開内容については虚偽または予言の一部にすぎないと疑問視する見方が強い。

第一、第二の予言は本当に的中していたのか?

バチカン公認の奇跡の中で、ファティマの聖母は長きにわたり別格扱いされてきた。その理由として、的中した予言であること、秘匿された予言であること、そして「踊る太陽」を群衆が目撃したことが挙げられる。しかし、第一と第二の予言は本当に的中したといえるだろうか。

釈然としないのは、公開されたのが1942年という点だ。意地悪な見方をすれば、公表された時点においては事後予言ということになる。ともにメッセージを託されたフランシスコとジャシンタがほどなく他界したため、ルシアの言葉を証明できる人間もいなかった。

さらに言えば、フランシスコとジャシンタが体験した奇跡も、ルシアの口から語られたものにすぎないのだ。せめて、それぞれの出来事が起きる前に予言が発表されていたならと悔やまれる。ひと言付け加えておきたいのは、ルシアはファティマのヒロインとして自らを神格化したりはせず、敬虔なカトリック教徒として生涯を終えたということだ。

謎を秘めたまま、ファティマの奇跡から100年が過ぎた。
あの時、奇跡の証人となった人間たちが一人ひとりこの世を去る中、論争と信仰と聖堂だけが生き続けている。

※写真はイメージです。

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