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夏夜夢奇譚

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これを、怪談と云っていいのかは少し微妙なところだ。此処には幽霊は出てこない。ただこれは私が経験した少し不思議な話である。
私は幼い頃よりよく夢を憶えている性分であった。起きた時には、鮮明なものから霞掛かって朧げなものまで、なんらかの記憶は残っていた。その殆どは、前日に観ていた動画が元になったような取るに足らないようなものであったが、中には幻想的で不思議なものもあった。
そして半年ほど前から夢の記録をほぼ毎朝つけている。
今回ここに記すのは、つい最近思い出したものである故、その記録からの抜粋ではないが、この半年の合間で見た中で最も印象深い夢にまつわる話である。

これは、今年(令和四年)の夏、花火を観にとある港町の旅館に泊まった時のことである。海上に咲く花火の数々を個室に備え付けられたバルコニーから眺めた後、浴衣に身を包んだまま床に着いた。蒸し暑く寝苦しい夜であった。

気付いた時には鬱蒼とした森の獣道に立っていた。思い思いに伸びた木々の枝達に阻まれ空は見えなかった。その枝々は風に揺られて蠢き何か一つの生き物のように思えた。音は無かった。
私は特に目的もなく、傾斜を下るようにしてその獣道を歩いていた。何かに惹きつけられていたのかひたすらに進んでいた。特に思考することも無かった。景色も変わることも無かった。

ふと気がつけば森を抜けていた。私は果てが見えない程に開けた広原に立っていた。赤紫色の空が見えた。金色の三日月と、数多の星々が静かな輝きを放っていた。
風が吹いた。意味もなく目を瞑った。心地よかった。
目を開くと、とある事に気が付いた。空に浮かぶ三日月が、少しずつ膨張しその形を変えていた。その金色の細長い三日月のその面積は、今や望月のそれをゆうに越していた。そして、赤紫の中に一つの金の大円が描かれた。
私はそれを眺めているだけであった。意識は胡乱であった。

その大円がその場に止まっていたのはほんの数十秒間程であった。ふと気づいた時には円の淵が波打ち、赤紫と金色の境界が曖昧になっていた。そして、また変形を始めた。その速度は速くは無かったがその変化の始終はよく観測出来た。
淵の揺れは段々と円の下部へと収束して行き一つの大きな歪みを生み出した。歪みは次第に動きへと変わり、下部は円の中心へと陥入を開始した。空の色が円の半ばまで入り込んできた。それに合わせるように円は次第に三角へと姿を変えて行った。最終的に金色の歪んだ二つの三角が浮かんでいた。それは宛ら“眼”のようであった…いや、実際視線のようなものを感じた。“眼”は、ぢっと私を見下ろしていた。その金色の燈を前に私は動くことができなかった。音はなく風が吹いた。

不意に、天を覆う星空が“眼”に向かって収縮を始めた。それには先ほどの“眼”の変形よりも遥かに長い時間を要した。私はただじっとその場に立ち尽くし、その始終を眺めていた。ひどく寒かった。
夜空は“眼”を中心とした体躯を形造っていった。夜空の削げた天蓋にはただ虚空のみが広がっていた。赤紫色であった空は次第に濃紺色になり夥しい量の星々がそこに犇いていた。
数刻後、収縮は終わりを迎えた。何色ともつかない虚空に“塊”は浮いていた。ソレは形容に苦しむ形をしていた故、便宜的に“塊”と記す事にした。…敢えて云うなら悪戯に頭部を三角に引き伸ばした達磨であろう。ただ、その頭部の殆どは金色に輝く“眼”が占めていて、その下部には凝縮された夜空の身体が形成されていた。体には眩いほどの星があった。

ふと、その“塊”の下部の淵が揺れている事に気がついた。“塊”の下部が地面に、私の方へ、滴り落ちてきた。垂れる雫はその大元の“塊”から途切れることなく一つ付きの線を書いていた。その速度は非常に緩慢であった。
雫はだんだんと私の視界を覆っていった。濃紺の中に輝く青金色の星々が嫌に目に悪かった。若干の目眩を覚える中、私は以前としてその場に突っ立っていた。…いや動くことができなかった。私はその明らかに人智を超えた現象、存在を前にして動く気力を失ってしまっていた。…ソレは一種の魅了と云っても良かっただろう。視界に映る数多の星々が、ぢっと見つめる金色の“眼”が私にはとても美しいものにも見えていた。

ただ、その反面私はそれに触れてはならないと思ってもいた。それに触れたらと思うと畏怖と恐怖の入り混じった不安感に苛まれるのだ。触れたら最後引き込まれて二度とは戻ってこれない…そんな予感がした。……いや、案外それもまた幸せな事なのかもしれない…そんな考えも過ぎった。

不意に、生ぬるい感覚を覚えた。自身の体と空間の淵が曖昧になり周囲に溶け出す…そんな感覚であった。
周囲を見渡せば、数多の輝ける星々…それはとても鮮明で、私は感嘆の息を漏らした。そして、ふと自分が地面に立っていないことに気がついた。いや、立つと云う行動はここでは成し得ないことであった。上も、下も、左も、右も、ここには有りはしないのだ。私は、宇宙空間…と云うには幾らか星々が眩しすぎる空間に浮かんでいた。
そのことに気がついた時には既に、私は自分の身体の自覚を失っていた。自分お手足がどの方向を向いているのか、そもそも何処にあるのか、それすら分からなくなっていた。…もう既に体なんてなかったのかもしれなかった。

無限に近い時間の中を成すこともなく無限の虚無の中に揺蕩っていた。時間の感覚が消え始めた頃に、ふと目の前の、もう既に見飽きてしまった、星々の煌めく空間が歪むのを見た。歪みはいつしか亀裂になった。亀裂は広がり虚空が現れた。そして虚空に何かが入り込んできた。それは金色であった。金色が虚空を埋め尽くす頃にはその金色は“眼”となった。そして私をぢっと見つめていた。私はそれから視線をそらすことができなかった。
この時、ようやく私は自分があの“塊”に呑まれていたことを理解した。それはとても幸せであった。
そして…

そして、目が醒めた。まだ日も登らない午前三時過ぎであった。肌着に染み込んだ寝汗がじっとりと張り付き気持ちが悪かった。意識はぼんやりとしており、ただひたすら先程見た光景を脳内で反芻していた。それはとても不気味で不安感を覚えさせることであった。妙な不快感を吐き出すため一息ついた。
濡れた浴衣を雑に整えると、、再度布団に潜った。あの記憶を記録に残すことはしなかった。当時はそれすらも思いつかないほどに疲弊していたように思う。

次に目が覚めたのは、午前六時半であった。幸いにしてあの夢をまた見ることはなかった。
記憶にはっきりと残っているのは直前に見たであろう、至って普通の夢のみであった。夜中の記憶は酷く曖昧であった。何か不思議な夢を見た、と云うことは憶えていたが、その内容までは思い出せなかった。それは幸いに思うべきなのか、記録を残さなかったのを悔やむべきなのか、なんとも微妙なところであった。

枕元に置いてあったペットボトルの水を一口含むと背伸びをした。とりあえず目覚ましついでに散歩に出かけることにした。日々の日課である。
外に出たのは、日が登って程なくのことであった。山の合間から眩しい太陽が覗いてていたが、少し肌寒く感じた。すぐそこに見える海では、僅かな日の光の欠片が海上で揺蕩い輝いている。

旅館の駐車場を抜け、少し先の坂道を下った。住宅街に出た。この街は浜辺の切り立った崖の上に位置しているせいか、高低差が多く家々の屋根の高さがバラバラであった。海の方から潮の香りをのせて吹いてくる風は心地良くもあるが、やはり寒い。羽織っていたパーカーのチャックをしめ、両手をポケットに仕舞った。

私は取り敢えず近くにあると云う公園へ向かうことにした。散歩と公園の相性の良さは言うまでも無いだろう。少し急な坂を登ったところにその公園の入り口はあった。私は、その公園を通り大きい歪な円を描くように道を歩いた。道中少々薄気味悪いトンネルを潜ったりしたがここでは関係ないので割愛する。
公園から抜けた先の道は丁度行きに通ってきた急な坂道であった。だいたい三十分ほど歩いたのだろう。肌寒さは無くなり、むしろ暖かく感じた。羽織っていたパーカーを脱いで手に下げ、そろそろ旅館に戻ろうと思った。

帰路の終盤、丁度旅館への坂道へと差し掛かった辺りの事である。ふと海の方へ伸びる一つの下り道を見つけた。車一台がギリギリ通れるほどの小路地であったのだが、私は無性にその道が気になった。特段大きな寄り道でも無いと思ったのでその小路地へ折れて進む。濃い潮の香りが鼻腔を擽った。
そして、ソレはそこにあった。小路地から更に分かれた各々の家へと続く細い道の一角、平家の民家を囲う塀には一つの絵が描かれていた。

それは、赤や青、緑などパステルカラーの下地に浮かぶ一つの黒い塊であった。いや、黒と云うより濃紺と云った方が良いだろう。その塊の中には無数の燈が浮かんでいた。その輝きは星のように見えたが、一部は何やら文字のようにも思えた。…そして、その塊の上部、生物で言うならば頭部に当たるであろう所は細長い歪な三角形を模っており、一つの金色の“眼”が爛々と昇っていた。

そう、それは私が夢で見た、あの“塊”に違いなかった。まぁ最も当時の私はその夢を思い出せずにいたのだが…。
私は数刻ほど、その燈に見入っていた。眺めれば眺めるほど燈は、その美しさと不気味さの中に僅かな神々しさと云う様なを感じさせるようになった。それは一種の紋様のようにも窺えた。
じっと眺めていると、不意にその濃紺に引き込まれるような錯覚に襲われるようにすら思えた。それはとても良いことであると思った。ただ、どうしてもその金色の“眼”だけは注視することは憚られた。それはとても恐れ多いことである…二度と戻れない、そう思った。

ほんの五分間ほどであっただろうか、その絵を前にしている内に私は段々と得も云われぬ不安感に襲われるようになった。ここに居てはいけない、そう思った。
私は、手元の携帯で写真を一枚撮ると、足早に旅館へと戻った。やはり、少し寒かった。

ペンネーム:杶 椅
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※画像はイメージです。

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