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ニイハウ島事件・真珠湾攻撃の影に隠れた悲劇(1)

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1941年12月7日ハワイ諸島ニイハウ島で起こった大事件とは?!
ニイハウ島はオアフ島の北西200キロにあるカウワイ島の、さらに西30キロに浮かぶハワイ諸島の最西端の小島である。この島はアメリカ領土でありながらイギリスのロビンソン家の私有地になっており、島は治外法権でアメリカ軍はおろか一人の警察官も配置されていなかった。外部との連絡は週に一度カウアイ島からやってくる連絡船のみである。そして島の管理を任された日系人のハラダ・ヨシオとウメノ夫婦がロビンソン家の別荘に住み、近くの集落には約250人のカナカ族が平和に暮らしていた。

島の産業と言えるものは牛の放牧だけで、ハラダはそのマネージャーとしてカナカ族の住民と良好な信頼関係を築いていた。この島には白人は一人も居ないのである。

このようなニイハウ島の事情を知っていた日本海軍は、真珠湾攻撃の際ニイハウ島西岸を緊急時の不時着場に指定し、実施部隊に対して、作戦終了後不時着した機がある場合は、24時間以内に潜水艦を救助に向かわせる旨の航空隊司令官淵田中佐名の通達を出していたのである。

■ ニイハウ島の位置
D kuba [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

そんな事など全く知らないニイハウ島のハラダ夫婦やカナカ族の住民たちは、12月7日(現地日時)の平和な朝を迎えていた。

ハラダは週に一度船で送られて来る新聞で、日米関係が険悪になっていることを知ってはいたが、それは遠い世界の事でこの島での生活には全く関係のない事だった。

当時22歳の西開地重徳(にしかいちしげのり)一飛曹はこの朝午前6時半、真珠湾攻撃の第二次攻撃隊の制空隊としてゼロ戦に乗り空母飛龍を飛び立った。第二次攻撃隊は6隻の空母から戦爆合計167機が真珠湾に殺到した。

真珠湾攻撃では日本軍は合計29機を失い、55人の搭乗員を失っているが、第一次の奇襲攻撃で失われたのは9機。あとの20機は強襲攻撃となった第二次攻撃で失われている。

See page for author [Public domain], via Wikimedia Commons

血気盛んな西開地は僚機が攻撃を終了し集合地点に向かった後も対空砲火を浴びながら執拗に飛行場の銃撃を繰り返し、ついに被弾エンジン不調に陥り集合に間に合わなくなってしまった。

そして200キロ北上し、ようやく不時着場に指定されたニイハウ島上空にたどり着くと、島の中央付近には洋風の建物が見える。これは何かの公的機関だと察した西開地はそこを避け、島の北端の放牧地に傷ついた機体を滑り込ませたのだった。何とか不時着には成功したものの、その衝撃は激しく西開地は機上で失神してしまう。そして驚いて駆け付けたカナカ族の住民によって助けられるのだか、ここで機体の日の丸を見た住民たちは驚愕して、ハラダの元に知らせに走った。

[Public domain]

「ライジングサンのマークの飛行機が降りて来た。ジャパニーズだ!」

カナカにとってはまさに青天のへきれき。しかし、ハラダは真珠湾のアメリカ艦隊が攻撃されたのではないかと感じていた。

慌てて現場へ駆けつけると、機体の横で西開地はすでに意識を取り戻し、住民に取り囲まれて座り込んでいる。

「一体どうしたんですか?何か始まったんですか?」とハラダが声をかけると、敵地で捕らえられたと思っていた西開地は驚き、まさに地獄に仏とばかりに

「あなたは日本人なのですか!」とすがりつくように言った。しかしなぜこんな所に来たのか詳しい事は何も話さず、ハラダの問いに対しては何も答えず、ピストルと書類を盗まれている事だけをはっきり訴えた。

■ 西開地重徳一飛曹
See page for author [CC BY 2.5], via Wikimedia Commons

西開地は機上で失神している間に住民のリーダー格であるハウイラ・カレオハノによって所持品を奪われていたのである。

ハラダは自分の親は日本人であるが自分は日系二世でアメリカの市民権を持ったアメリカ人である事を説明し、そしてまず傷の手当てをするために自分の家に来ないかと言ったが、西開地は「ピストルと書類を返してください。そしてどうか明日の今頃まで自分をここにこのままにしてほしい。」と、繰り返すばかりであった。

24時間以内に味方の潜水艦が救助に来る。西開地はそう信じて疑わなかったのだ。

ハラダと西開地が日本語でやり取りするうちに、周囲のカナカ人たちの間に微妙な雰囲気が流れ始めた。
ハラダは要点を英語に訳してカナカ人のリーダーに伝えているが、それでも日本人同士の日本語の会話に不信感を抱いているのだった。

カメカメハ王朝時代そのままの生活様式を続けていても、今のカナカ族はアメリカの市民だという意識がある。そして今、日本とアメリカが戦争寸前の状態である事も薄々知っているのだ。

今まではミスターハラダは良い人だったが、やっぱり日本人の血が流れている。ひょっとするとあの飛行機もハラダが呼んだのかもしれない。

今まではほとんど意識もしなかったハラダに対する不満と不信感が、日本軍機の不時着によって膨らみ始めた。
平和だったニイハウ島に不穏な空気が急激に漂い始めたのである。

以後 次回に続きます。

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参考文献
牛島秀彦 著 真珠湾二人だけの戦争
徳岡孝夫 著 真珠湾メモリアル

※写真の一部はイメージを使用しており本編の内容とは関係ない場合があります。

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