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ニイハウ島事件・真珠湾攻撃の影に隠れた悲劇(2)

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救助の潜水艦現れず。見捨てられた西開地一飛曹の取った行動は・・・

西開地が不時着したのは海の見えるカナカ族の集落のすぐそばだった。皮肉な事に上空から最初に見えた洋風の建物がハラダの住む別荘であった。そちらに不時着していれば先にハラダに助けられ、住民に取り囲まれ拳銃と書類を盗まれることもなかっただろう。

西開地は、どうしても機体の側を動こうとしない。妻のウメノが持ってきた食料を食べると体力が回復したのか、西開地はハラダにだけこっそりと真珠湾攻撃の事を話し、潜水艦が救助に来るはずである事を話した。

カナカ族のリーダーであるハウイラは西開地を捕虜としてアメリカ軍に引き渡すべきだと言い始めていた。この飛行機とパイロットは戦争をしてきたのではないか?もしも戦争が始まったのなら、この男は敵兵ではないのか?

■ 焼却後の西開地重徳一飛曹搭乗零式艦上戦闘機二一型
US Army (James Lansdale, PEARL HARBOR JAPANESE AIRCRAFT CRASH SITES: THE NI’IHAU ZERO: Part V) [Public domain], via Wikimedia Commons

それに対してハラダは、「日本兵は絶対に捕虜にならない。」と繰り返し説明したが、それはなかなか理解できるものでは無かった。この状況で捕虜にならずに座り込んで一体どうするつもりなのか。これがカナカ族たちの純粋な疑問なのだ。

リーダーのハウイラはこの時、奪った拳銃を使って西開地を力づくで縛りあげようとも思った。しかし相手は疲労しているとは言え訓練を受けた若いプロの軍人である。わたり合えば誰かが傷つき、犠牲者が出るかもしれない。それはこの平和な島では考えられないことだった。それはハラダも同じだった。捕虜として連行される前に西開地はきっと、力を振り絞って最後の抵抗をして自決するだろう。

ハラダと西開地をカナカの住民が取り囲んで、遂に24時間が経った。しかし海上には潜水艦は現れない。その間、ハラダは西開地と様々な話をしたという。もともと一本気な性格のハラダは、若い西開地の純粋さと礼儀正しさに、アメリカの教育を受けた自分にはない日本人の精神を見る思いがした。それとともに、西開地をこの地で見殺しには出来ないという思いを強く抱いた。

そしてまた更に24時間が経過。結局、西開地は司令の通達を信じて48時間、一睡もせず潜水艦を待ち続けたのだ。

48時間が過ぎた時、西開地はハラダに自分はもう覚悟を決めたこと、そして一つだけ頼みがあると言った。覚悟とは自決することであり、頼みとは奪われた拳銃と書類の奪還に協力してほしいという事であった。

拳銃はいやしくも帝国軍人の命であり、書類は軍の機密である。自分はそれを奪い返し、不時着したゼロ戦の機体を焼き払ってから自決するから、ハラダさんには、奪い返した拳銃と書類をやがて上陸してくるであろう日本軍部隊に返して、同時に自分の最後の状況を報告して欲しいと言うのであった。

そこには既にハラダはアメリカ国民であるという認識がなかった。また、ハラダの方でも西開地が今はすでに敵国の兵士だと言う認識が飛んでしまっていた。

2人は体力を回復させるためにハラダの家に籠もり、食事と休息を取った。妻ウメノはとにかく2人に協力した。そして西開地とハラダから今までのいきさつを聞くと、西開地に対しては決して命を粗末にしないようにと繰り返し訴えた。

■カナカ族とされたいる画像。
ロイヤルティ諸島出身者。ニューカレドニアの海辺にて1906年以前撮影。ミクロネシア住民でないことに注意。
Clement Lindley Wragge [Public domain], via Wikimedia Commons

しかし、ハラダが住むロビンソン家の別荘の周りには更に多くのカナカ族たちが取り囲み、ハラダに対して「ジャップのスパイ!」などと露骨な非難の声を上げるようになっていった。

日本の兵士を家にかくまう事、それはまさに全島民の敵になってしまうと言う事なのだが、ハラダはその認識よりも西開地に同情し、その希望を叶えてやる事に自らものめり込んでしまったのだ。

ハラダはハウイラに日本軍人にとっての拳銃と書類の重要性を丁寧に説明し、50ドルを払ってそれを取り戻そうとしたが、ハウイラはアメリカ軍ならもっと高く買うだろうと請け合わなかった。

家に戻って5日目の夜、2人はついに拳銃と書類が隠されているはずのハウイラの家に向かった。ハラダの家にある猟銃と回転式の拳銃を持って、いざとなれば銃を使ってでも取り戻す覚悟である。だが家にいたのはハウイラの妻と子供だけで肝心の銃と書類の場所がわからない。部屋中を家探しするうちに家の周りにカナカ族が集まり出し、今度は激しく投石を始めた。ハラダはハウイラの家族に危険が及ぶと思い家族を家の外に出し、西開地と二人だけで立て籠もる形になった。

投石はさらに激しくなり、鋭利な溶岩石が殆どの窓ガラスを粉々にしてしまったと言う。

突然ハウイラの家から火の手が上がり、西開地とハラダの二人が家を飛び出し、不時着しているゼロ戦に向かって走り、西開地がゼロ戦に油をかけて火を放った。その時すでに西開地は投石を頭に受けたのか顔中血だらけで、ハラダも足を引きずっていたという。

そこに、ハウイラが戻って来た。燃え盛る自分の家を見て逆上した彼はハラダに飛びかかり、ハラダは巨体のハウイラに打ちのめされようとしていた。それを見た西開地はハウイラに向かって回転式の拳銃を数発発射。ハウイラはこの時足に重傷を負う。

この発砲で群衆がひるむ隙にハラダと西開地は集落の裏のジャングルに逃げ込み、カナカ族の群衆が見つけた時には、二人ともそれぞれ持って来た銃で命を絶った後であった。

自決を覚悟していた西開地のみならず、ハラダまでが命を絶ってしまったのだ。
それは真珠湾攻撃から1週間が過ぎた1941年12月13日(現地日時)の出来事だった。

これはまさに、平和な島に青天のへきれきのように降りかかった悲劇だった。

この悲劇は単に西開地一飛曹一人に留まらず、日系二世の住民ハラダをも巻き添えにし、平和に暮らしていたカナカ人をも傷つけ、またハラダの妻ウメノにもその後大きな苦しみをもたらすことになった。

この事件をアメリカ側ではどのように扱ったのか。
日本海軍は本当に救助潜水艦を派遣していたのか。
日本側ではこの事について知っていたのだろうか。
そして、残された妻ウメノの、その後の運命とはいかなるものだったのだろうか。

以下は次回に続きます。

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参考文献
牛島秀彦 著 真珠湾二人だけの戦争
徳岡孝夫 著 真珠湾メモリアル

※写真の一部はイメージを使用しており本編の内容とは関係ない場合があります。

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