織田信長はなぜ明智光秀に討たれたのか?
その謎について自分なりに考えてみますが、自称、歴史にハマっているだけの浅学非才の与太話なのでご勘弁ください。
目次
織田信長と言えば
織田信長は、漫画やアニメ、ゲーム等でちょくちょく取り上げられる、言わずと知れた超有名な戦国時代の武将でし。
日本の統一、天下統一まであと一歩のところで、織田信長は部下の明智光秀に本能寺で討たれました。「本能寺の変」です。
ここで謎なのが、なぜ明智光秀は裏切ったのか?
筆者が子供の頃に個人的に読んだ書籍によると、「織田信長が明智光秀に対して、現在でいうところのパワハラをおこなっていたから、それも一度や二度ではなかった」という動機だったと書かれていたのを覚えています。
他にも、長宗我部元親という戦国武将がいたのですが、明智光秀は元親と仲が良かったため、
同氏を攻めようと画策し織田信長を本能寺で討った。
単純なところで明智光秀、自らの野心、天下統一の為に織田信長を討ったという説。
いくつかの説があるなか、心理学を学んできた筆者個人としてはこう考えています。
織田信長は新しいことを推進する革新派、明智光秀は古い格式や習慣を大事にする保守派であり、古いものを大切にせず壊していく織田信長に耐えられなくなり謀反をおこしたのではないか、という考え方もできるではないかと思います。
最後に
織田信長は天下統一までもうちょっとというところで届かず、豊臣秀吉は天下統一しましたが長くは続かず
その後、徳川家康が江戸幕府を開き、江戸時代は約260年も続きました。
とっぺんぱらりのぷう。
※画像はイメージです。
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