ノモンハン事件と言うのは、1939年に広大なモンゴルの砂漠地帯で起きた日本(満州)とソ連との国境紛争で、最終的にはソ連軍の圧倒的な機甲軍団と砲兵力によって日本軍の惨敗に終わった。
しかし最初からすべてが一方的に進んだわけではなく、日本軍戦車がソ連兵を蹂躙する場面もあったし、道に迷ったソ連軍戦車が日本の歩兵に血祭りにあげられるような事もあったのである。実際にあった興味深いエピソードをご紹介しよう。
1939年7月7日、夜の11時ごろの事である。
ハルハ川にかかる橋を防衛していた工兵第23連隊の兵士は、橋から1キロ以上離れた暗闇の中に奇妙な明かりを認めた。斥侯が近づいて確認すると、それは3両の敵戦車が何もない砂漠の中で意味不明の火炎放射をしている明かりだったのである。
砂漠の真ん中で火炎放射をする意図が理解できなかったが、とにかく対戦車攻撃班と白兵戦闘班を組織して戦車に向かった。
徐々に敵戦車は橋に接近し、橋から約300メートルの所まで来た時に我が歩兵の接近を察知し一旦停止、そして今度は歩兵の方に向かって狂ったように進んできた。
3両の内の先頭戦車は歩兵が潜む塹壕の20メートル手前まで肉薄して、そこで立ち往生したかのように見えた瞬間、塹壕に向かって火炎放射をした。ところがそれまでに焼夷用のオイルを使い果たしていたのか、その炎は放射器の先にかぼちゃの提灯を吊るしたかのように明るく光っているだけであった。やがてその明かりもシユウっと消えてしまった。決定的な瞬間に火炎放射器が役立たずになってしまったのだ。
この時2両目の戦車は向きを変えて方向違いの遥か彼方へ去り、3両目は元来た道を引き返してしまったので、日本軍兵士は先頭車を包囲することが出来た。
まずは後ろに回った兵士が2キロの爆薬を右側のキャタピラに仕掛け、キャタピラを吹き飛ばした。そしてそれを見た他の兵士が戦車に殺到したところ、中から拳銃と軽機関銃が発射されて兵士2名が戦死。部隊長が降伏を呼びかけたが返事が無く、次に戦車の底に爆薬を放り込んで前方ハッチを破壊、中に居たソ連兵を引きずり出して銃剣で刺したという。
真夜中の砂漠の真ん中での奇妙な火炎放射。これはおそらく道に迷った乗員が救援を求める信号のつもりで放ったのではないかと言うが、真偽は不明である。
この火炎放射戦車は当時のソ連軍の軽戦車T26から派生したOT130かOT133化学戦車だろう。この後、火炎放射が出来ない時の戦闘力を保持するため45ミリ砲を併用するOT134が考案されたが、戦闘力が中途半端になってしまい量産されずに終わった。
参考文献:アルヴィン・D・クックス著「草原の日ソ戦1939ノモンハン」
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