忽然と雲に飲み込まれて消えてしまったイギリス陸軍・・・ノーフォーク連隊集団失踪事件について。
事の始まりは第一次大戦中の1915年の8月28日に遡ります。
当時の連合国軍は同盟国軍のオスマン帝国首都イスタンブールを制圧すべくに、ガリポリ半島へと派兵を行い包囲網を構築していました。
後の歴史書にはガリポリの戦いと記される戦いは、連合軍がオスマン帝国の首都イスタンブルを占拠し、エーゲ海とマルマラ海の入り口であるダーダネルス海峡を制圧すべく、西側のガリポリ半島「現在はトルコ領のゲリボル半島」に対し上陸作戦を行います。
この上陸作戦においては連合国側のイギリス陸軍ノーフォーク連隊も参加しており、重要拠点となるサル・ベイ丘の奪取をする為に第60号丘陵と名付けられた場所を占拠する為に部隊は移動していたのですが、イギリス陸軍ノーフォーク連隊の兵士300名余りが忽然と姿を消す、現在の2020年でも解明されていない謎の事件が発生してしまいます。
当時に同じ作戦任務を行っていたオーストラリア陸軍、ニュージランド陸軍の連合部隊であるアンザック軍団の隊員が目撃したその奇妙な失踪は以下の様になります。
まずその日は雲一つない快晴であったとされるも、ノーフォーク連隊が歩いていた山に奇妙な形の茶色い雲が一つ、二つと増えていき、風に流される事なくに山に集まり、一か所に固まっていき、その雲に包まれたノーフォーク連隊は雲にそのまま飲まれてしまい、雲が晴れた次の瞬間に300名余りもいたはずの連隊員の全てが跡形もなく消えてしまったと、信じられないことが起きたのです。
後の戦闘にノーフォーク連隊は参加参戦することなく、戦争が終結するまで部隊員は発見される事なく、オスマン帝国側に捕らえられたとイギリス側が返還を要求するも、オスマン帝国側は戦闘した記録は無いとし、300名の兵隊達は、その雲と共に消え去ってしまったのです。
後に調査されるも発見に至る糸口は無く、一応はオスマン帝国側のトルコ軍の待ち伏せにあってしまい全滅したとされていますが、それはノーフォーク連隊では無い部隊とされており、真相は未だ謎とされています。
敵側の秘密兵器なのか、それとも本当に失踪してしまったのか、現代でも解かれていな謎の事件。
2020年たった今でも明かされずにいますが、いつか真相は明かされるのでしょうか?
はたしていなくなった連隊はどこへといったのか? 謎が深まるばかりです。
※画像はイメージです。
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