宝石と聞くと美しくて魅力的なもの・・・という印象を持つ人が多いと思います。
しかし、世の中には多数の犠牲者を出した「呪いの宝石」と呼ばれるものが実在しています。
中でも特に有名なのが、「ホープ」と「コー・イ・ヌール」と呼ばれる2つのダイヤモンドです。
それでは、有名な「呪われた宝石」のエピソードをご紹介します。
スミソニアン博物館の「ホープダイヤ」
持ち主が次々に命を落としたという逸話で知られる、有名な呪いのダイヤです。
最初に発見したのはインドの農夫だと言われていますが、はっきりとした年代が伝わっているのは17世紀のフランスからです。
当時有名だったダイヤモンド商人が、インドの寺院の仏像から盗んだと言われており、この宝石商からかの有名なマリー・アントワネットに渡ったとされています。
その後、1830年ごろにイギリスの宝石収集家ヘンリー・ホープの手に渡り、これがこのダイヤの名前の由来になりました。
もちろん、マリー・アントワネットからヘンリー・ホープの手に渡るまでにも、盗まれたり職人の手に渡ったりして、その度に人命が失われたという話がつきまとっています。
最後にマクリーン夫妻というアメリカの大富豪夫婦の手に渡り、そこでもやはり、夫妻の一族を全滅させるほどの呪いのパワーを見せました。
残されたダイヤは、ニューヨークの宝石商ハリー・ウィンストンが入手し、彼の手によって1958年にスミソニアン博物館へと寄贈されました。
現在のホープダイヤの姿は、楕円形で重量44.5カラットもあり、天然のブルーダイヤとして非常に価値のある大きさのものです。
これでも、人の手を渡るうちにかなり削られたようで、もとは112.5カラットもあったと言われています。
英国王室の「コー・イ・ヌール」
ホープダイヤよりも古い歴史を持ち、主にアフガニスタンでその呪いの力を発揮したダイヤがあります。
「コー・イ・ヌール」と呼ばれるダイヤモンドで、現在はイギリス王室の宝のひとつとして所有されています。
このダイヤの呪いの物語は、14世紀のインドで幕を開けたと言われています。
当時のインドの王族たちが、先王を殺害して王位についたという話が残されており、その殺された王の持ち物の中に含まれていたダイヤが、後に「コー・イ・ヌール」と呼ばれるダイヤでした。
この当時はまだ「バブールのダイヤ」と呼ばれていましたが、その後ムガール帝国に渡り、さらにペルシャ皇帝がムガール帝国の皇帝から奪った際に、光の山を意味する「コー・イ・ヌール」と名がついたそうです。
コー・イ・ヌールは、アフガニスタンのドゥラニ王朝でも、王位とダイヤを巡る血なまぐさい事件を引き起こし続け、呪いのスパイラルは延々と巻き起こりました。
最終的に18世紀に入って以降、ドゥラニ王朝が分裂したのを契機にインドへと流れ、英国王室の手に渡るまで、数多くの王族の命を奪い続けたという歴史が、コー・イ・ヌールにはあります。
現在でも、コー・イ・ヌールの所有権をめぐってイギリス政府とインド政府、パキスタン政府の間で交渉が持ち上がっているとの話があり、所有権争いは決着したとは言い難い状況が続いています。
パワーストーン関係の記事を書いたり、宝石のルースを集めたりしています。
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