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ミッシェル・ノストラダムスの予言~その1~

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昔、日本でも大流行した「ノストラダムスの大予言」という本がありました。
「1999年7月にアンゴルモアの大王が」というのが有名になり、世紀末の不安を1970年代から煽ってくれましたが結局何も起こらずに21世紀に突入、日本ではもうノストラダムスのことはあまり話題にもなりません。

この本を書いた五島勉氏は2020年に亡くなり、追悼のニュースでまたこの本について思い出させてくれたものです。
ネット検索すると、「ノストラダムスの大予言」では、「諸世紀」とされたノストラダムスの著作は誤訳で「詩百篇」という意味でした。

「ミシェル・ノストラダムス師の予言集」が正しく、そして「ノストラダムスの大予言」には五島氏による創作個所も多かったことも判明。
じつは、最近ヒストリーチャンネルで、21世紀以後のノストラダムスの予言について取り上げた2015年アメリカ製作とおぼしき番組を見て、欧米では今でも研究が進んでいることでかなり興味をそそられたんです。
そういうわけで、ノストラダムス本人についてと今まで的中した予言と、未来について書かれたという予言について2部構成でご紹介しますね。

目次

ミシェル・ノストラダムス

ミシェル・ノストラダムスは、16世紀のフランスはプロヴァンス地方の生まれです。
父方の先祖はアヴィニョンの商人で祖父の代にキリスト教に改宗したユダヤ人で、旧約聖書の予言者を輩出した、失われた十支族のイッサカル族の出身という説もあるということです。

ノストラダムスは15歳前後でアヴィニョン大学へ入学したが、ペスト流行のせいで休講が多かったこともあり退学して各地を放浪。
8年後にモンペリエ大学医学部に入学、医学博士号を取得した形跡はないが、薬剤師の資格は取得していたらしいということです。
日本では明治以前の時代は自分で医師だと名乗れば誰でも医師になれたのでしたが、中世ヨーロッパはすでに大学があり、神学者と法学者と医学者を養成していたのですね。

それでノストラダムスは、あれだけ遠い未来の予言をしているので、未来の医術を先取りした先進的な医学治療法を行ったために、保守的な教授たちと対立して1年で辞職したという話があるのですが、これは17世紀以降に出来た伝説だそう。
でも、大学の学生出納簿には、ノストラダムスの名を抹消した形跡と、在学中に医師たちを悪く言ったかどで告発された旨の記述が残っているということです。
とにかく、この時代はペストが流行していて、ノストラダムスは南フランスでペストの治療に当たり、最後まで感染しなかったことは確かなんですね。

あの予言書を発行

その後、ノストラダムスは暦を発行して評判になり、あの予言書を発行したのです。
これは印刷されて聖書の次に売れたというベストセラーになったそうで、国王アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシス(オカルト大好きで魔女と呼ばれた)にも招かれて色々聞かれた話があります。

アンリ2世の死を予言したノストラダムスの詩は有名ですが、カトリーヌの4人の王子は全員王になる(ひとりは早世)とか、アンリ2世の死の1599年は、1596年に世界的な平和な年になると予言した(外れてる)という話です。

しかしその後、カトリーヌの次男で国王となったシャルル9世が、1564年にフランス大巡幸の途中に一環として母后カトリーヌとサロンの街を訪れて、ノストラダムスと面会したとき、ノストラダムスは随行の少年に興味を持ち、こっそりとこの少年に後にフランス国王になるとアドバイス、実際にアンリ4世になったという話もあるんですよね。

ノストラダムスは1566年に、死期を悟って自分の最後を予言し63歳でこの世を去りましたが、予言書の詩はその後も次々と的中、今日に至っております。

eyecatch source:César de Notre-Dame, Public domain, via Wikimedia Commons

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