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ブラジルに消えた「ノストラダムスの大予言」

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1962年の東宝映画『キングコング対ゴジラ』は、ロードショー公開の後にオリジナルネガが短縮されたため、長年にわたる修復作業が行われてきたことは、ファンのあいだでは有名な話だ。修復作業には東宝のスタッフのみならず、在野の研究者たちが蓄積した実証研究の成果が、大いに寄与した。

テレビ放送された短縮版を録音した音声(家庭用ビデオデッキが普及していなかった時代だ)や海外版フィルムの入手、完全版サウンドトラックを使用したLPレコード等との比較検証。どうした経緯で流通したのか分からない、16ミリフィルムの完全版の発見。その後、繰り返された修復作業。

この話題を、わたしと年少の友人ふたりを交えて話していた夜のこと。わたしより遥かに特撮に詳しい友人のP―東京六大学のひとつである大学の法学部に在籍する大学生にしてDJ、彼女もいるという、およそ「オタク」のステレオタイプからほど遠い男―が、もうひとりの友人Sが発した「封印作品である『ノストラダムスの大予言』が観たい」との言葉を受けて、ふいに口にした。
「うちの大学には、むかし『ノストラダムスの大予言』を観たくてブラジルに渡航した人物がいたらしい」。

目次

ノストラダムスの大予言

ときは『ノストラダムスの大予言』ソフトの発売が中止となった、1986年ごろ・・・。

1974(昭和49)年8月3日。大手映画会社である東宝は、五島勉のベストセラー「ノンフィクション」を映画化して、書籍とおなじ『ノストラダムスの大予言』(監督:舛田敏雄 特技監督:中野昭慶)のタイトルで公開した。前年の『日本沈没』の流れを汲んだ、パニック映画にして特撮映画である。配給収入は、当時としては大ヒットである10億円以上。日本映画の興行成績ランキングの2位につける。

だが、劇中に描かれた被爆者の演出が原因となって政治団体からの抗議をうけ、公開中に問題視されたシーンがカットされる事態が発生。東宝社内では抗議が尾を引いて、1986年のソフト化はビデオ、レーザーディスクともに土壇場で中止された。その後、北米むけに再編集されたアメリカ版ビデオが1995年に発売されて以降、1999年の海賊版流出事件をへて、現在では日本国内にかぎっては公的な視聴が困難である「封印作品」と化した。

ここで時計の針を、1986年にもどす。

公式ソフト発売中止の一報をうけて、当然ながら当時の特撮ファンは落胆した。同作は公開後、一度だけカットされたバージョンがテレビ放映されたことを除けば、リバイバル上映の機会に恵まれていない。問題とされたシーンをカットしたバージョンすら公式にソフト化されないとすれば、完全版をふくめて、永遠に視聴が不可能となるかもしれない。少なくとも、当時はそう感じられた。
 
公に禁止されると逆に観たくなるのが、ファンに限らず人間の性というもの。もちろん、サークルのメンバーが観たい主な映像は、特撮シーンである。

わたしの友人であるPが交流のある特撮ファンのサークル内では、1986年当時、あの手この手を尽くして、『ノストラダムスの大予言』のフィルムや海賊版ソフトの入手に打ち込んだらしい。テレビ放映されたのち、やはり政治団体の抗議により封印された筈の『ウルトラセブン』12話の海賊版ビデオは、サークル内では既に行き渡っていた。『ウルトラセブン』12話が観られるならば、『ノストラダムスの大予言』もどうにかして観られるのではないか?。

サークルのメンバーたちは動き出した。完全版、あるいは短縮版のフィルムが、地方にある映画館の片隅や、興行主の倉庫に眠っているかもしれない。テレビ放映用にテレシネされたテープが、場合によってはダビングされたかもしれない。または関係者に直接、アタックして・・・。

手ごたえのある成果の上がらないまま月日の経過した、ある日のこと。商学部に所属していたサークルメンバーのひとりであるAが、興奮気味になって先輩格のメンバーに電話を掛けてきた。
ブラジルの日系人コミュニティで、最近『ノストラダムスの大予言』完全版フィルムが上映されたらしい。
1987年初頭の冬。

ブラジル上映の疑問

「なんでまた、よりにもよってブラジルで『ノストラダムスの大予言』を上映していたのだ?」

ここまでPの話に耳を傾けてきた友人のSは、そう疑問を差し挟んだ。わたしはわたしで、思い当たる節があった。1960(昭和35)年の松竹映画『太陽の墓場』(監督:大島渚)がどうした経緯か、ブラジルの日系人コミュニティの映画館で上映され、後の映画作家であるグラウベル・ローシャはポルトガル語の字幕なしで観た。この思い出をパリに出向いた大島渚本人にむかって、ローシャは語っている。
松竹の大御所監督から嫌悪された『太陽の墓場』がブラジルへ渡るのだ、『ノストラダムスの大予言』だって上映されても不可解ではない。そういえば、『ウルトラセブン』12話の脚本を書いたのは、他ならぬ大島渚の仕事仲間である佐々木守だ。

わたしが場の勢いにまかせて至らぬ豆知識を披瀝したあと、Pは続きを語ってくれた。

当時のメンバーが掴んだ情報によれば、国際教養学部(2023年時点での情報のため、当時は名称が違ったかもしれないとPは断った)に在籍していた、とある人物が中南米の政治情勢について調査していた折、たまたま日本語が堪能である日系ブラジル人と交流をもつようになった。しだいに互いの生活事情を、国際郵便で遣り取りする間柄となっていた。そんなポルトガル語と日本語、英語が入り混じった長文の手紙に、あるとき「つい最近、テツロ―・タンバが環境破壊や核戦争について演説する映画を観た」と書かれてあった。

「コレって、オマエが観たがってた映画のことじゃないの?」

手紙を読まされたAは、混乱と興奮が入り混じったまま、サークルの先輩に電話を入れた。先輩は一瞬だけ戸惑ったが、電話越しのAの感情が伝染し、日本国内では禁じられたフィルムが、海外には存在する可能性に浮足立った。
ただし、数日も経てばAと先輩はともに冷静になり、サークルの検討会議に掛けられた段階では、幾つもの問題点が俎上に載った。

まず、件の情報の真偽をどう確認するのか、である。国際教養学部の生徒から見せられた手紙には、「丹波哲郎」「環境破壊」「核戦争」などの単語はあっても、映画のタイトルは記されていない。『ノストラダムスの大予言』を思わせるような、まるで異なる映画であることは考えられないか。
つぎに、フィルムの行方である。かりに『ノストラダムスの大予言』のフィルムであったとしても、「つい最近」とは具体的に何時なのか。だいたい、フィルムを所有するブラジルの業者と、どうコンタクトを取るのか。当時の中南米の政治情勢や治安、イメージには不吉なものが付き纏っていた。

最後に、これまでかき集めた情報によると、おなじフィルムが北米、アメリカに存在している可能性が高いこと。もう少しばかり待っていれば、そのうち北米版ビデオが発売されて、日本にも輸入されるのでは?との意見が少なくなかった。当時のビデオソフトは、ことマイナーなタイトルであれば海外盤のほうが先に日本国内では流通しており、後から日本国内の企業が字幕付きビデオを発売する経緯を辿ることが多かったことも、アメリカ版ソフトの発売と輸入に期待する意見に寄与した。

では、どうするのか。手紙を読んだAは、すでに意志を固めていた。東京に居ては、いつまで経ってもコレといった確証が取れない。ならば、自分だけでもブラジルへ赴いて、『ノストラダムスの大予言』フィルムの有無を確かめてくる。

リオデジャネイロ

そうして1987年の某日。
彼―Aは、付け焼刃のポルトガル語の知識と辞書、パスポートとビザを手にして、成田空港からリオデジャネイロへと飛んだ。外務省がAにむかって「誘拐の危険性」を警告したうえでの渡航であった。メンバーは期待する感情が半分、残り半分はもちろん、穏やかでない。

 Aは筆まめであった。リオデジャネイロに到着した日には、東京のメンバーに国際電話を入れた。ブラジリアやサンパウロといった大都市の消印が付いた、長文の調査記録や写真などを送ってきた。国際教養学部の友人に手紙を送った人物と直接(法学部の学生であり、文学と音楽には精通していたが、さして映画に興味のない人物であった)、顔も合わせている。それでも『ノストラダムスの大予言』のフィルムの行方、正体の真偽は杳として知れない。そうこうするうち、Aの歩みは都市部から離れたらしい。パラグアイやアルゼンチンの国境周辺へと踏み込んでいった気配が、手紙の消印から察知された。

アルゼンチン周辺はちょっとマズいよ・・・と国際教養学部の学生は手紙で告げたが、果たして届いたのか、どうか。サークルのメンバーたちは、しだいに本気で心配になってきた。フリーランスの報道カメラマンならいざ知らず・・・、と考えてきたところに、とうとう「吉報」が届いた。

「『ノストラダムスの大予言』のフィルム上映を観た」。

大学内にいる国際政治や中南米の事情通から借りだしたブラジルの地図帳で、やっと地名が特定できる消印の付いた封筒。その表面に、赤いペンでデカデカと書かれてあった。まさか、とサークルメンバーの誰もが思った。封筒が届いた日の夜、サークルの先輩格が下宿するアパートへとメンバー全員が集合。そこで手紙の内容が読まれた。

手紙の送り主であるAによれば、彼がブラジルのとある地方の街で開催されたフェスティバル・・・村祭りのようなもの、であったらしい…の屋外上映で観た『ノストラダムスの大予言』のフィルムは、ポルトガル語とスペイン語がまざった吹き替え版、16ミリでありながらも、完全版に近いものであった。オープニングの幕末や第二次大戦の挿話にはじまって、夢の島の巨大ナメクジ、公害で死滅する魚、異常気象、ニューギニアのシーン、暴動、そして核戦争の映像。

完全版フィルム?

Aによれば、映画のところどころ、特にラストの核戦争のシーン、そこに不可解な映像が多々、見受けられたという。特撮を多用した戦争のショットの合間に、しばしば本物っぽい、いや、どうみても本物の戦争の映像、そんなものが挟まっていた。

はじめは日本で撮られたフィクションの映像が続くのだが、ときおり16ミリで撮影された、どうもゲリラ戦らしい戦闘の記録映像や、中南米らしき街の生活の映像が挿入され始めた。映画のストーリーが核ミサイルを発射するくだりに差し掛かると、もはや『ノストラダムスの大予言』ではなく、ポルトガル語やスペイン語のナレーション(丹波哲郎の台詞を、ポルトガル語に吹き替えた人物とおなじ声)のついた、どこか中南米のゲリラ兵と政府軍が戦闘をくりひろげる記録映像が、延々とつづいた。Aが観たくもない、本物の凄惨な死の映像すら、収められていた。

いったい、この戦闘の映像はなんだろうか?いつ映画は終わるのだろうか?
苛立ちと不快感でAが席を立とうと思うこと数回、ようやく戦闘の映像は終わり、核戦争後のイメージ映像とラストの首相官邸のシーンとなり、映画の上映は終わった。不可解な点はあれ、『ノストラダムスの大予言』の「完全版フィルム」に近い物には変わりはない。手紙の最後には、なんとかフィルムを買って日本に送る手立てを取ってみる、とあった。

手紙を読み終えたサークルのメンバー全員は、Aに万雷の拍手を送りたい心持ちであった。とおくブラジルまで足を延ばして、とうとう『ノストラダムスの大予言』の完全版フィルムを観て、業者との交渉の席に着いたのだ。ただひとり、その場に居合わせた国際教養学部の学生をのぞけば。

ある大学サークル内の伝説

それきりであった。Aからの続報は途絶えた。半年が過ぎても、『ノストラダムスの大予言』の16ミリフィルムを携えて、ブラジルへ渡ったAが戻る気配はいっこうに無かった。そうするうち、一年が過ぎ、二年が過ぎて、遂に往時を知るサークルのメンバーは、全員が大学を卒業していった。
Aは行方不明者となってしまった。

サークルのメンバーは、Aの両親と協力しあって出来る限りの手は尽くした。外務省や国際警察、ブラジルの公的機関に問いただして捜索願を出した。だが2023年現在に至るも、Aは見つからずじまいだ。

これはハナシに付いてきた「国際教養学部のOB」の説なのだけど・・・とPが前置きして「考察」を披露した。

 「Aが観た映画が、ブラジルに渡った『ノストラダムスの大予言』のフィルムであったのは、おそらく間違いない。しかし、時間や別の人物の手に渡るうちに、70年代から80年代にかけて中南米で暗躍した、極左ゲリラのPR映画に改変されたのではないか。

1959年のソビエト製SF映画がロジャー・コーマンと部下であったフランシス・フォード・コッポラの手によって徹底的に改変され、アメリカ映画『燃える惑星 大宇宙基地』へと化けたように。フィルムを所有するグループからは、てっきり日本から来た新左翼の類と勘違いされたAは、じつは目的が違うと分かって怪しまれ、どさくさ紛れに殺されちゃって、いまも中南米の何処かの山で遺体が埋まっているのでは・・・。」

 ちなみにPは、極左ゲリラ集団のプロパガンダに改変された『ノストラダムスの大予言』の噂は耳にしたが、現物を観たことも、実在を確認したこともないそうだ。
このハナシがウチの大学でおきた実話なのか、そうでないのかも分からない。ただサークル内の「伝説」として、代々語りつがれてきた、という。

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