偶然?必然?ヨーロッパを中心とした歴史にまつわる数字のオカルト

私は数字は苦手なのですが、これはちょっと不思議なことなのでご紹介しますね。

17世紀フランスのルイ14世

17世紀フランスのルイ14世は、14にかなり縁があるということです。
まず即位したのが1643年5月14日の5歳のとき、1643を足せば14になります。

そして当時の王族は14歳が成人でルイ14世も1661年に親政を開始、王太子が生まれたのもこの年(この長男は親より先に亡くなったが)、あのヴェルサイユ宮殿建築を思い立たのもこの年。
そして亡くなったのは1715年で77歳と言うことで、これが全部14にまつわるということなんですよね。

13世紀のフランス国王のルイ9世

次は、13世紀のフランス国王のルイ9世。
どんな王様だったかといえば、彼の治世でフランスは繁栄し、自分の国だけではなく外国の調停も行ったことや、キリスト者として高潔で敬虔な生涯を送ったとして(十字軍に行って捕虜になるとか莫大な費用を追った挙句、負けたらしいけど)、死後にローマ教皇庁から列聖され、聖人となった人です。

そういうわけで、子孫たちはやたらとルイの名前を継ぐことになり、アメリカのミズーリ州のセントルイスの名も彼にちなんだものになりました。
この方とフランス革命で断頭台に倒れたルイ16世(王妃マリー・アントワネットに振り回されたが、実は有能で好人物だった説)が、年代差539年で色々なことが重なるそう。

ルイ9世が生まれた年が1215年で、ルイ16世が生まれたのが1754年、ルイ9世の妹イザベルが生まれたのが1225年、ルイ16世の妹エリザベートが生まれたのが1764年(2人とも妹はひとり)。
ルイ9世の父ルイ8世が亡くなったのが1226年、ルイ16世の父でルイ15世の長男ルイ・フェルナンド王太子が亡くなったのが1765年、ルイ9世が勝者としてイギリスのヘンリー3世と和議を結んだのが1243年。

ルイ16世はジョージ3世と1782年に和議を結び、そしてルイ9世が十字軍で捕虜となった後にプロヴァンスのラ・マドレーヌに返されたのが1254年、ルイ16世が断頭台で斬首されラ・マドレーヌ寺院に葬られたのが1793年(ちょっと苦しいか)だということです。

そしてそして

そしてそして、ナポレオン・ボナパルトとアドルフ・ヒトラーは、129年の年代差で結ばれているということです。
フランス革命が1789年、ドイツ革命が1918年、ナポレオンが起こしたクーデターは1799年、ヒトラーのナチス党は1928年に議会に登場し、ナポレオンが皇帝に即位したのが1804年。

ヒトラーが総統に就任したのは1933年、ナポレオンのロシア遠征が1812年、ヒトラーのソビエト侵攻が1941年、ワーテルローでナポレオンが敗れたのが1815年。

ノルマンディー上陸作戦は1944年、さらにはナポレオンの没年は1821年で、ヒトラーはじつは1945年にベルリンで自決したことになっているが、1950年にアルゼンチンで没した説があり、これを採用するならば没年も129年差に。

他にもアメリカのリンカーン大統領とケネディ大統領、奴隷解放と公民県運動で有名な大統領が100年差でつながっているという話もあるし、ちょっとこじつけ気味のところはあるが、数字に弱い私でもなかなか興味深い共通点とか縁、不思議があるように思えてならないです。

参考:西洋歴史奇譚 白水社

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