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信長の庶長子の織田信正という人物

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織田家の中の興味深い人物「織田信正」について考察。

信長の子、信忠より早く生まれながら嫡男となれなかった人物。
嫡男になれなかったのは、信忠と信正の母親の実家の格の違いかは分からないが庶長子として成長、塙直政(のちに原田直政となる)の妹を妻として義兄の直政と共に石山本願寺攻めに参戦している。

20歳の時に従五位下大隅守、従五位上主膳正、24歳で従四位下侍従に昇進した。この若さで侍従とは信長の子であるからか、それとも実力かは分からない。

ただ信長の庶長子とは言え、興味深い人物である。本能寺の変の時は二条城にいたようであるが、信忠と共に死する事はなく、生き残り31歳で隠居し32歳で剃髪して見性軒と号した。

31歳での隠居、32歳での剃髪は当時の権力者である豊臣秀吉に警戒されぬようにするためかは定かではない。江戸時代の天保4年まで生き、94歳で没した。

もしも信長の死後、信正を担ぎ権力を握ろうとする動きがあったなら、もしも信正に野心があったならと、その後の歴史はどうなっていただろうかと思わず想像してしまうのは私だけだろうか。

とにかく信正という人物に私は興味を持ってしまうのである。何故ならば信長の子というだけで戦下手、戦略眼のない信長の次男の織田信雄でさえ、信長の死後の扱いは悪くなかったのであるから。

信正に信雄のような気位、野心があればと私は思うのである。何故ならば、信長の死後の信雄の行動は、織田家督、そして権力を望んでいた行動であり、天下人への憧れも信雄にはあった。

なるほど信正は自身の身の安全を確保するための31歳での隠居で、32歳での剃髪、入道であったが・・・ますます興味深い人物である。それだけの見識があれば野心を持ち、武将として生きた信正を見てみたいものである。

※画像はイメージです。

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