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踊り念仏の葬儀?!

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母が突然、おばさんが亡くなった、おばは父親の妹。葬式に行って来ると言って、私に留守番を言いつけて家を出た。
父親は脳梗塞で寝たきり状態だったため、ひとりで出かけたのだ。

目次

寝たきりだったお父さん

「お母さんは?」とはっきり話せない父親が、布団の中から何度も尋ね、私は父親におばが亡くなったことを告げた。すると、父親は黒い礼服を身につけて「行くぞ!」と、居間の壁にぶら下げていた車のキーを手に取った。
2年も寝たきりで立つことすらままならない父親だった。私は焦って父親を追って、車の助手席に乗り込んだ。おばの家は日野市の郊外だったと思う。

私は父親に「大丈夫?」と繰り返し尋ねていたが、父親は無言でハンドルを握って中央高速に乗り、どこかのインターでおりて、おばの家に着いた。

踊っている?

玄関を開けて家に入ると鐘や太鼓の音が耳をつんざき、30人ほどが踊っていた。その中に、顔を真っ赤に染めた母も居た。
母は驚いた顔で父親を見たると、父親は一瞬踊りの手を止めた母の腕を掴み「行くぞ!」と言い、車まで走り、慌てた様子で車を発進させた。

「奇妙な葬儀だったんです」
「忘れろ」
後は無言で車を走らせ、帰宅すると父親は全身汗まみれで、母がタオルを絞り身体を拭いてあげていた。
「あれは何?」
居間でやっと一息ついている母に聞いた。
「踊り念仏と言う葬式らしい」
「でも、亡くなったおばさんも踊っていたよね」
たしかに踊りの輪の中に、ひとりだけ白装束に身を包んだおばがいた。
「忘れなさい」
と・・・母はそれきり、何を聞いても答えない。

父親はまた元どうり脳梗塞の後遺症で、布団から身体を起こすのがやっとの状態にもどり、ろれつも回らない。
話しかけても「あーあー、うーうー」と言うばかりで、私には聞き取れない。

四十九日

しばらくして、四十九日の法要に母に連れられて行った。場所はお寺さんで祭壇の中央に遺影が飾られているのだが、白装束に白い鉢巻を巻き、その鉢巻の上に六文銭を付けた奇妙な遺影だった。
「あの写真、おかしいよね」と小声で母に言った。

「しっ!」と母が言うと、参列していた人々の視線がこちらに集中して酷く恐ろしくなり、私はそれきり何も言えなくなった。しかしより鮮明になり、体験した不思議な出来事が記憶として脳に張り付いている。
母ははぐらかしながらも質問に答えてくれた。あれはあの地に脈々と引き継がれている会葬という葬儀だったこと、踊り念仏で経文を唱えたこと、しかし、おばさんも踊っていたのは、知らないと言う。
遺影の写真がそうだと言うと、生前の元気な頃に撮影したんだろうと言う。

踊り念仏の葬儀

作家筒井康隆さんの短編集にそんな作品があって、私は通勤電車の中、その小説を目にしフラッシュバッグした。
踊り念仏の葬儀、他にも体験した人は居るのだろうか?
集団催眠を招く儀式だろか?

※画像はイメージです。

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