皆さんは東京の西の外れ、奥多摩に行ったことがありますか?多摩地域北西部に位置する奥多摩は、都会の喧騒と隔絶した自然豊かな田舎であり、ホラーゲーム『零 ~濡鴉ノ巫女~』で取り上げられた奥多摩湖ロープウェイをはじめ、数多くの心霊スポットが存在する場所としても有名です。
今回はそんな奥多摩の怖い地名にフィーチャーし、その由来を辿ってみたいと思います。
奥多摩のパワースポットと忌み地
奥多摩は知る人ぞ知るパワースポットの宝庫。最も強力なのが標高929メートルを誇る御岳山で、1400年前から修験道の聖地として崇められてきた、都内屈指の霊山として名を馳せています。
山頂に鎮座する武蔵御嶽神社は蔵王権現・櫛真智命・大口真神を祀っており、全国的な山岳信仰のシンボルとして、年間通して参拝者が絶えません。
大口真神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の眷属のニホンオオカミであり、山中で霧に巻かれた主人を道案内したのち、「ここに留まって全ての魔物を退治をせよ」と命じられた逸話が有名。
通称御岳山のおいぬ様伝説です。
浅田次郎『神坐す山の物語』の舞台となった場所、といえばピンと来る方もいるでしょうか。作中で狐憑きの少女が連れてこられたのは、お狐様の天敵がオオカミだから。筋が通っていますね。
奥多摩駅そばの奥氷川神社は、静岡県の久能山東照宮と栃木県の日光東照宮を結ぶ、レイライン上に位置します。いかにもご利益ありそうだと思いませんか?
氷川三本杉と呼ばれる、立派な御神木も必見です。
最恐ホラー小説のモデルになった位牌山
実話怪談作家・加門七海の『祝山』は、奥多摩に実在する位牌山をモデルにしたホラー小説。反対側の集落では塔婆山・御霊山とも呼ばれ、位牌や卒塔婆の形に似ていることが名前の由来とされています。
その昔、位牌山には貧しい炭焼きが住んでいました。ある日のこと、旅の法師が「泊めてください」と訪ねてきます。炭焼きは仕方なく迎え入れたものの、金欲しさに負けて寝ている法師を殺し、身ぐるみ剥いだ遺体を外に埋めたそうです。
この話には諸説あり、栗拾いが山で会った法師を斧で殺すバージョンも語り継がれています。
炭焼き絡みの怖い話なら骨窯(コツガマ)も外せません。骨窯は太い楢が密生する昼でもなお薄暗い雑木林で、ここで炭を焼くと死ぬと恐れられ、誰も木を切りに行きません。
御岳山の北西を下るミズクボ沢の近くには、位牌窪(イヘークボ)と呼ばれる窪地があります。
ここには炭焼きの伊平が小屋を掛けていましたが、突然の山崩れで窯ごと土砂に埋まった挙句、倒木に押し潰されて無念の死を遂げました。以来位牌窪で木を切っていると怪我をしたり、男の声で呼び止められるのだとか。気の毒な伊平が成仏できずにさまよっているのでしょうか。
子安平(コヤスデーロ)から位牌平(イハイデーロ)に変わった場所もあり、わざわざ不吉な名前に変えた意図が気になります。
江戸時代に病人を隔離した疫病神ノ窪
人怖では疫病神ノ窪も負けず劣らず。字面からして凶悪なこの場所は、疫病が蔓延した江戸期に、集落で発生した病人を隔離した忌み地。人々は「近付くと病が伝染る」とここを避け、疫病神ノ窪に追放した病人たちを忌み嫌いました。疫病神=疫病に罹患した人々を指していると思うと、共感力を欠いた人間の残酷さに胸が痛みます。
戦後には猟師が行方不明になる事件も起きており、おぞましい噂が尽きません。
病繋がりの病ヶ沢(ヤマイガサワ)も要注目。ここは逆川の奥に広がる沢で、周囲には鬱蒼と木々が茂っています。病ヶ沢に纏わる逸話は何通りかあり、この近くに泊まっていた法師が身投げしたとも、落人の首を斬って洗った場所とも言われています。
以上の経緯のせいか病ヶ沢の木を伐採すると必ず病気を患い、立て続けに死人がでるようになりました。そこで行政が買い上げて「病まぬヶ沢」に改名したものの、やっぱり誰も近付かないのでした。
所有者が不幸になる土地はまだあります。その代表が着タ蓑戸(キタミノト)、改め北蓑戸。ここで雨宿りをした炭焼きが火の番の最中に居眠りし、結果として蓑に燃え移った火に気付かず、焼け死んでしまったのが地名の由来とされています。
北蓑戸は所有者一家を不幸にすることで知られており、某銀行の頭取は実子と部下6人を次々失った末、最後は支店の経営に失敗し、逃げるように引っ越してしまいました。
強欲極まる地主の呪い?近付いたら首と胴が泣き別れる生首
奥多摩にはもっとストレートな地名があります。その名もズバリ生首。これは六ッ石山へ続く集落にある祟り山で、この山を買った地主は首と胴が泣き別れることになる、とまことしやかに言い伝えられてきました。想像すると怖いですね。
欲深な地主に纏わる怖い地名なら居合澤(イヤイザワ)もインパクト大。ここは蛇の生息地とされる陰気な沢で、頭が逆さまに付いた山鳥が住んでいると、昔から炭焼きたちに恐れられてきました。
遡ること数十年前、物好きな一家が居合澤の土地を買い、新しい家に引っ越してきました。しばらくは穏やかに暮らしていたものの、ある時ランプを灯すのに失敗した祖母が火だるまになり、そばにいた孫を巻き添えに焼け死んでしまいます。
犯人は元地主の霊。自分が大枚はたいて買った土地が、他人の手に渡るのが許せなかったのでしょうか?
日本武尊の従者十人が連続自害した自害沢
幾ら何でもストレートすぎるシリーズ、二番手は自害沢。これは前述した位牌山にある沢で、日本武尊の東征に纏わる、恐ろしい伝説が語り継がれています。
神代の昔……十人の従者と共に旅をしていた日本武尊は、偶然この沢を通りがかりました。すると従者たちが次々に自害し、沢の水が真っ赤に染まってしまったではありませんか。
別の説では自害したのは旅の六部や平家の落人とも言われ、「入ったら死ぬ祟り山」と、地元の人間たちに避けられています。それでもなお自害沢で仕事をすると帰りに命を落とすと決まっており、訃報が届いた家が必ず位牌を出すことから、位牌指(イハイザス)の忌み名が定着しています。居合澤と同じく誰も買い手が現れない為、現在は行政が買い上げ、奥多摩記念林の一部になりました。
死人窪の謂れもまた不気味。ここは奥多摩の一際山奥に切り込む谷で、山で行き倒れた旅人の霊の吹き溜まりとされ、谷底を徘徊する白い人影の目撃談が相次いでいます。地元の人々は「死人窪には行くな」と代々申し送り、「谷の奥に何かがいる」と警告を発してきました。
実際の所、死人窪は危険な場所です。足場が険しく歩行が困難なのに加え、あたり一面に漂い出す濃霧が行く手を阻み、ふと気付けば鳥の声や葉擦れの音さえしなくなっています。それ故に山菜取りに来た人の転落事故が絶えず、霊の仕業と疑われたのかもしれません。
その死人窪と双璧を成すのが地獄谷。ここもまた深く険しい谷で、戦前から人魂や幽霊の目撃例が多発しています。ある日突然炭焼きが発狂し、凄まじい絶叫を上げて逃げ出した件は地元の語り草。
より現実的な脅威として、野生のクマも無視できません。大正時代には地獄谷に分け入った猟師が熊に遭遇し、数日間に亘る壮絶な死闘を繰り広げました。その間も男の悲鳴は響き続けたものの、地獄谷とクマを恐れて誰一人近付きません。
数日後、ズタズタに引き裂かれた男の遺体が回収されました。首から下の損傷に比べ、その死に顔は異様に安らかだったそうです。人々は男の遺体に手を合わせ、「地獄谷に魂をとられちまったんだ」と口々に囁き合いました。
まだまだある奥多摩の怖い地名
以上、奥多摩の怖い地名の解説でした。
ここでは紹介し切れませんでしたが、どれだけ耕しても作物が実らない「食わない作り」も、なかなか業が深い名前ですね。気になる方はぜひご自身で調べてください。


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