陰陽師とは何か?知ってるようで知らない成り立ちから現代の活躍まで徹底解説!

和風伝奇もののフィクションに必ずといっていいほど登場する陰陽師。
陰陽五行説に通じ、国家の吉兆を読み、妖怪を調伏するプロフェッショナルとして平安の世に活躍していた彼等には憧れを禁じ得ません。

今回は意外と知られていない陰陽師の成り立ちや仕事ぶり、そして現代に生きる陰陽師の実態に迫ります。

目次

陰陽師は陰陽五行説を司る存在!

陰陽師の歴史はとても古く、継体天皇7年(512年)以前まで遡ります。この頃までに朝鮮半島の高句麗・百済を経て、陰陽五行説が伝わりました。

陰陽五行説とは古代中国で生まれた陰陽説と五行説が融合した思想体系。
この世の森羅万象は木・火・土・金・水の五行の相関で起こるとし、陰陽道の基礎ともなっています。

推古天皇10年(602年)、百済から日本に渡ってきた觀勒が聖徳太子以下、34名の役人に陰陽五行説を説いたことで、陰陽後五行説は一気に浸透していきます。

陰陽師の誕生には天武天皇、ならびに壬申の乱が大きく関わっています。
占術に傾倒していた天武天皇は同天皇4年(676年)、陰陽寮と占星台を発足させます。

当時は戦乱の趨勢や為政者の治世を占うのが陰陽師の役目でした。故に国家に重用され、相応の地位が約束されたのです。

陰陽寮ができた当初、陰陽師の役割は占い(風水含む)に限られていました。
ところがのちの遷都の際に陰陽師の方違えが大きく影響した事から、どんどん呪術方面での需要が高まっていきます。

平安の世は陰陽師の天下?安倍晴明登場

陰陽師が最も活躍したのは平安時代。中でも最強の陰陽師として後世まで語り継がれているのが安倍晴明です。

平安時代は怨霊信仰が盛んな時代でした。
当時の人々は怨霊の恨みが国を滅ぼすと本気で信じ、その魂を鎮めるため陰陽師を頼りました。

一方で政敵の呪殺が横行する中、宮廷における陰陽師の存在感は次第に増していきます。

平安時代の有名な陰陽師には、安倍晴明の他に賀茂忠行・保憲の親子、蘆屋道満などが存在します。

芥見下々による漫画『呪術廻戦』にも賀茂姓の術師がラスボスとして出てくることから、影響力の甚大さがわかるのではないでしょうか。

ちなみに賀茂忠行は安倍晴明の師にあたり、蘆屋道満の方は好敵手、または悪役として描かれることが多いです。

忠行が特に得意としたのが箱や袋の中身を当てる「射覆」。
醍醐天皇に命じられ八角形の箱の中身を見た時は、「赤い紐を結ばれた水晶の数珠」と即座に言い当て、「天下に並ぶもの無し」と讃えられたそうです。してみると忠行には占いとは別に透視能力、千里眼の力があったのかもしれません。

蘆屋道満は別名道摩法師とも言われています。
賀茂親子や安倍晴明との最大の違いは非官人の陰陽師であること……即ち公式な陰陽師ではないのです。文献にも播磨国の市井の陰陽師集団の出と書かれています。

『金烏玉兎集』の「晴明朝臣入唐伝」には、都に上がった若き日の道満が晴明に呪術対決を挑むエピソードが収録されていました。
この時両者は長持の中にみかんが何個入っているのか、天皇の前で当てる勝負をします。

結果は晴明の勝利。長持の中に入っていたのはみかんにあらず、15匹のネズミでした。
この一件をきっかけに道満は晴明に心酔し、弟子入りしたと伝えられています。

晴明の母親は妖狐って本当?奇想天外な逸話の数々

晴明には数々の信じがたい逸話があります。中でも有名なのが実母・葛の葉に関する噂で、妖狐と人間の混血ではないかと言われています。

この伝説のもととなったのが『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』と題された陰陽道の書。

本書は民間の陰陽師の口伝をまとめたもの。
彼等は陰陽師の祖・安倍晴明と、渡来人・信太首が祀った狐を使役する神・信太明神を結び付け、晴明の母親は狐だと流布しました

陰陽五行思想も信太神もともに中国大陸から伝来したので、混同されたのでしょうね。
さらには葛の葉の正体を殷を滅ぼした妲己、日本の玉藻の前とする説もあります。

安倍晴明の末裔は?文明開化と陰陽師

安倍晴明の嫡流の末裔は土御門家。
江戸時代には土御門家から分かれた倉橋家が存在し、明治時代に両家とも子爵の位を賜ります。

ちなみに両家とも安倍晴明の男児の血脈は断絶しており、養子縁組を繰り返して系譜を繋いできました。
国家ぐるみで陰陽師に依存していた平安時代と違い、文明開化を迎えた明治は大分存在感が薄れていたのでしょうね。

明治3年には陰陽寮が廃止され、天文暦道局・海軍水路局・文部省天文局・天文台に分解されます。
そして同年10月17日をもって天社禁止令が発布、陰陽道は迷信と断じられました。

現在の土御門家は天社土御門神道本庁と改名、宗教団体として存続しています。

現代に生きる陰陽師、いざなぎ流の人々

平安時代から千年近く経過した令和の現代でも、一部の人々に陰陽道の真髄は引き継がれています。
土佐国物部村(高知県香美市)には、陰陽道の一派・いざなぎ流を信奉する人々が存在。

これは陰陽道の要素を取り入れた民間信仰で、天竺のいざなぎ大王からもたらされた24種の方術を司り、儀式には和紙の御幣を用います。

祭儀を取り入る役職名は太夫。
土御門家のような男児による世襲制ではなく、太夫は性別・家柄を問わず就任するそうです。

近年になり村人の家から土御門家直々の免許状が発見され、「土御門家の公認陰陽師」として江戸時代から活躍していた事がわかりました。

陰陽師YouTuber、心霊チャンネルを運営する橋本京明の素顔

意外に思われるかもしれませんが、陰陽師はYouTubeの世界にも進出しています。
橋本京明はチャンネル登録者数約36万人をこえるYouTubeにして異色の陰陽師。占いや霊視の予約は4か月待ちというのですから、人気のすさまじさがわかりますね。

橋本京明の祖父は源姓の陰陽師として活躍し、先祖代々神社で神職を務めて来たそうです。
実家には陰陽道関係の文献がたくさんあり、子どもの頃から強い霊感を持っていた橋本は、それを読み漁って育ちました。

さらに18歳の頃には精神修練の為修験道の本山・金峯山寺、天台宗総本山の比叡山行院で修行。31才になる頃には僧侶の資格も得て、世界初の陰陽師YouTuberとしてデビューを果たします。

土御門家と直接の関係はないものの、祖父の血を濃く受け継いだ特異な生い立ち故、高橋京明は独学でスキルを身に付ける事が可能でした。

現在は『陰陽師・橋本京明チャンネル』に定期的に動画をアップ。
世田谷一家殺害事件の犯人を現場周辺の霊に聞き込みして追跡する他、心霊スポットでは霊と対話を行うなどし、陰陽師独自の視点からアプローチを試みています。

本気で陰陽師をめざす人に向け陰陽師の心得やスキルを伝授する「京明塾」を開設し、塾生を募集しているので、気になる人は応募してみてはいかがでしょうか。

まとめ

以上、陰陽師の歴史や成り立ち、現代に生きる陰陽師の実態を紹介しました。
平安時代は国家の役人として秘匿性の高い占術・呪術を司ってきた陰陽師。当時に比べると随分親しみやすい存在になりましたね。

夢枕獏の『陰陽師』や荒俣宏の『帝都物語』、京極夏彦の『百鬼夜行』シリーズでも彼等は異彩を放ち、私たちを魅了してやみません。
今後もリアル・フィクション問わず、古今東西の陰陽師の活躍を応援していきたいです。

著:京極夏彦
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※画像はイメージです。

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