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戦後最大の連続女性誘拐殺人事件!殺人犯「大久保清」の異常人格と行動

大久保清事件という、もう老年に入った昭和世代には印象に残っているであろう事件がある。
連続で殺害された犠牲者の数は8名。
大量殺人ではなくて、連続殺人という点では今でもこの記録は日本でもトップクラスだ。

犯行はきまっており、車に乗って女性をナンパ。
ナンパに成功したら、性関係を迫り無理やり手籠めにして殺害、といったパターンがほとんどだ。
この昭和のモンスターはどのように誕生したのか?

犯人の大久保清の生い立ちも含め、事件に迫っていきたいと思う。

目次

大久保 清の経歴

大久保清とは、筆者の認識でいえば、甘やかして生まれたボンボンの淫獣といったところだろう。
色々な殺人犯がいるが、これほど本能に忠実に動く人間は、筆者はすぐには他を思い出せない。

簡単に経歴をいうと以下の通りだ。
学校を卒業後、仕事を転々とするも「のぞき」など変態行為で長続きせず、ついに強姦を起こしてしまい20歳で刑務所に服役。刑務所から出ても改心せず強姦未遂など病的な変態さは相変わらずだったよう。

しかし、うまくだまして女性と結婚。犯罪のことは隠していたらしい、妥当なところだろう。
子どもにも恵まれており、この頃は大人しく過ごしていたらしい。
この時は性癖を表だっては出ていなかったようで、妻の親族の力を借りて牛乳販売店を開いている。
しかし牛乳屋で恐喝事件を犯してしまい、刑務所行に。
この後、妻から離婚を申しだされ、大久保は復縁を願っていたものの妻の意思は固く別居。
大体のシリアルキラーにありがちだが、家庭の不和が隠れていた性癖をまた蘇るきっかけとなってしまった。

マツダのファミリアロータリークーペを親からお金を借りて購入。
1日中走り周りナンパに明け暮れながら、73日間の間に127名に声をかけ。10数名と関係を持ち、うち8名を山に埋めている。
結局8人目の後に逮捕され、1973年に死刑判決を受け、1976年に死刑が執行された。

大久保 清の人柄

大久保清は群馬県碓氷郡八幡村(現:高崎市)に8人兄弟の7人目に生まれている。
三男だったが、長兄は他界し、次兄はあまり両親のお気に入りではなかったらしく、大久保は「ボクちゃん」と呼ばれて可愛がられていたようだ。
1935年という日本が軍国主義に傾き始めた時代に生まれ、父親は国鉄の仕事を解雇されてしまっている。
祖母が芸者をしており、母がロシア人との混血児だったという。

当時としては、珍しい生い立ちだったといえるのかもしれない。
なんでも両親はかなり性的に異常だったらしく、子供の前で性行為をしていたのだとか。
太平洋戦争時は、「アメリカ人のアイノコ」といじめを受けたらしい。

行動を見ればわかるがかなりの変態で、小学校6年の頃には少女を畑に詰め込んで性的いたずらをしていたらしい。
当然少女の親は苦情を大久保家にいいに行っているが、溺愛する母が大久保をかばっていたそうだ。

連続殺人の経緯

大久保清の連続殺人事件を解説していこうと思う。
1971年に約73日間、群馬県内で16歳から21歳の若い女性が次々と行方不明になった。
7人目の被害者の時に、被害者の兄が経営する会社の従業員などと捜索隊を私的に結成。
警察と連携をとり、捜索をしていた。
そして被害者の自転車を発見したことから、その場所を見張っていると自分の指紋を消すために自転車を手袋で拭いている男が現れた。兄が話しかけるとその男は逃げたが、その時に車種とナンバーを覚えていたために、捜索の末大久保の逮捕に至ったのである。

大久保の供述によると、スポーツカーに乗りベレー帽にルパシカを着てナンパを繰り返していたという。
自分を「フランス帰りの画家」と名乗り、モデルになってくれないかと誘いだしたりしている。
最初は物腰が柔らかいが、次第に本性を現し強引に関係を持つというのがパターンだった。
そして「これで自分たちは恋人だ」と言っていたそうな。

全ての女性が殺されたわけではなく、大久保が殺害したのは彼にマイナスな発言をした女性に激情し殺害したと証言している。何人かに本当の画家ではないと見破られたり疑われると殺害している傾向が見受けられる。
典型的な虚勢を張る嘘つき人間の典型だ。
前科有の離婚調停中の無職男は、女性には画家や美術教師などと名乗っていた。

大久保 清という人間の問題点

何となく想像つく人はわかるだろうが、大久保清は虚勢をはるが気の小さい男だった。
殺害された女性が夢枕にたつようになったそうで、怯えた大久保が自供するきっかけとなったという。
確かに普通の神経だったらそうだろうが、余罪数えきれない8人殺害した悪い人間であっても、その重みに耐えられなかったらしい。

どうやら大久保は二重人格な部分があったようで、遊びと本命をしっかりと分けていた。
結婚した妻は交際期間1年を経ているが、交際期間中は肉体関係はもちろん、手を握ることすらしなかったらしい。
警察官がそんなはずないと驚いたが、本当のことだそうだ。

ただし本命は結婚直前まで偽名を使っており、結婚間際で「大久保家に養子に入って名前を変えた」と強引な嘘をいっていたのだとか。その反面、結婚生活中もナンパをしに夜徘徊し、強姦していた。

事件時もガールハントのために1日平均170キロ走行し、逮捕時3か月でおよそ1万キロも走っている。
もっと違うところに労力使おうよといいたくなる。
結局心理状態鑑定士が下した鑑定は、「女性に異常な嗜好を持ち、アルコール依存と同じような感覚の女癖だ。ガールハンティングが生きがいであり、彼の知識は全てそこに費やされている」。
こんな人間は危険であるから、一刻も早く拘束された方が良いだろう。

因果応報による死刑執行

大久保は逮捕されてから、「俺がこんなになったのは警察が女の言い分を聞いて、何度も刑務所にやったからだ」などと意味が通らない供述をして困らせていたようだ。取り調べで思ったよりもあっさりと殺害は認めたものの、殺人事件の遺体の場所を言わずにいた。

死刑までの時間稼ぎから大久保はでたらめの供述を繰り返し、その度に警察を振り回している。
しかしある日群馬県立棒名公園の管理人が公園内に不審な土盛りを発見。
掘り返すと被害者の1人であることが判明したのだった。

その後もしばらくは黙秘をしていたが、刑事が大久保の前で詩を暗唱すると大声で泣き出したという。
自分の詩を認めてくれた喜びからついに自供を開始し、2か月かけて自供を引き出していった。
どうやら、大久保にとって、自分を認めてくれる人が嬉しかったように見受けられる。
おだてたら話し始める大久保に、刑事さんも尋問方法を変えて行ったそうだ。

遺体が発見されたことで起訴され、大久保は1973年に死刑判決を受けた。
結局この男の事件の動機は最後まで分からずじまいであり、事件の核心を聞こうとしたら口を閉ざしたのだとか。
話していることも支離滅裂で全く意味をなしていない。
ただし行動を見ていえるのは、まともな神経など持ち合わせていない殺人鬼であり、性欲過多の変態だというのが真相だろう。

どんなに取り繕っても、行動が女性の性行為にしか結びついていないからだ。
結局大久保清は、1976年に死刑が執行された。
享年41歳で、最後は失禁し腰を抜かして動けず、刑務官に担がれての死刑執行だった。
死刑が怖いのはわかるが、大久保がしたことを考えると当然の因果応報といえるように思う。

大久保清事件を振り返って

大久保清事件を解説してきたが、筆者としてはサイコパス的かソシオパス的か判断に困るがどちらかであるのは間違いないと思う。先天的なサイコパスなのか、後天的なソシオパスなのかは今となってはわからないが子供の頃には形成されていたようだ。

色々な問題はあるものの、意外に裕福な生活であったといい、環境として手が付けられないほどひどいという訳ではない。
しかしこんな怪物はあるとき現れるのだろう。
結局殺害された時のことは、あまり分かっていないようだが、快楽殺人だろうと勝手に筆者は思っている。

何度も繰り返すということは、快楽を感じていたからと想定されるからだ。
二度とこんな「怪物」が出なければよいと思わずにはいられない。

featured image:TTTNIS, CC0, via Wikimedia Commons
※画像はイメージです。

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