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大岡越前~遠山の金さんに続く3人目の名奉行

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「英雄たちの選択」を見ておもしろい話を見つけたのでご紹介しますね。

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「英雄たちの選択」を見ていた

私、年季の入った歴女で、若いときは戦国武将や幕末の志士限定で他は受け付けなかったのですが、最近はピンポイントでネット検索できるので、歴史ならなんでもOKになってきたんですよね。

このときも「天明の浅間山噴火」についての内容で、司会の磯田教授が、この浅間山噴火の被災農家の復旧作業、飢饉の予防策から幕末の雄藩が力をつけるようになった、いわば風が吹けば桶屋が儲かる式の出来事であったと解説しておられました。

そしてこういうときお金のことを考えずに復興に尽力したのが、地方の旧家、いわゆる豪農、庄屋階級だった、彼らはそのことで農民たちから尊敬を得て満足していた、庄屋階級とはそういう存在だったのに、戦後のGHQの政策で農地解放してつぶしちゃったのが良くないということもおっしゃるんですよね。
なるほど、なんでもかんでも古い制度はいけない、民主主義が正しいと押し付けた弊害が出たのかなと思いましたです。

磯田教授は、この浅間山の噴火で被災した地元の村の復興のために、幕府が派遣した人物を絶賛。
賄賂を取らずしっかり仕事をする役人を上の人物はよくわかって選んだんだ、ということでした。
その派遣された役人の名は、根岸九郎左衛門、「この人の書いた文書は面白くて読みやすいんですよ」とおっしゃるんですね。
私、学者先生に対抗する気はないですが、聞いたことない人だけど研究者の間で有名なんだなと、何気なく検索してみました。

根岸鎮衛??

すると、「根岸鎮衛」と言う名で出て来て、「耳袋」の著者だということでした。
なんだ、「耳袋」なら私も読んだわよ、怪談とか妖怪の話とか満載でおもしろいじゃない、それならそうと言ってよとテレビ画面にツッコミを入れてしまいました。
もちろんその日は浅間山の噴火後の復旧についての話がテーマでしたが、根岸を持ち上げるなら「耳袋」の話もしないといけません。

「耳袋」は、根岸がこの浅間山被災の巡行の功績で佐渡奉行になった後、30年かかって書いたものだそうです。
あちこちの村を視察したときに、色々雑談で聞き込んだ不思議な話を集めたのですが、本人は外に出すことを嫌ったのに無断で誰かが持ち出して書籍化されたほど面白い本です。

例えば、ある侍が身投げ女を助け、綿を盗まれてお金がないと言うので侍はその三歩を立て替えて、名も名乗らず立ち去った。数年後、船に乗ろうとしたときにその女と再会、女は船宿の女将で武士を自宅に招いて歓待した。そして船着き場で騒ぎが起きたが、なんと侍が乗るはずだった船が沈没して死傷者が多数出ていた。
とか、現代でも好まれそうな話が満載で、農村を回っていたときに雑談して集めたのがよくわかる、まるで江戸時代の柳田邦男と言ってもいい本なんですよね。

ところで

ところでこの根岸は、身分の低い御家人から根岸家に22歳で末期養子に来て幕閣で出世した人物ですが、旗本株を買った大金を持っていたので侍の家の生まれではなく、豪商だったとか裕福な町屋の生まれ、あるいは火消しで体中に入れ墨があったなど、まるで遠山の金さんみたいな噂もあるようです。

とにかく下情を知り尽くしたくだけた人物、しかし田沼意次が失脚して松平定信が老中となった政変にも巻き込まれず、南町奉行を長く務め勘定奉行まで出世した有能な人物と言うことで、平山弓枝の小説や時代劇「江戸の旋風」などにも登場したし、講談でも有名で、大岡越前、遠山の金さんに並んで人気があったということです。

これは知らなかった、耳袋はおもしろかったけど、著者までそんなに興味深い人物とは思わなかった、磯田先生のおかげでまた世界が広がりましたです。

※画像はイメージです。

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