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原作おとぎ話の変容あるいは進化の考察?!

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幼少期、一度は触れただろう「おとぎ話」と呼ばれる作品群。
素敵な王子と結ばれる美しい姫や、鬼を倒しヒーローとなる主人公。勧善懲悪を謳う煌びやかな彼らの存在は、原作から程遠い変容を遂げた姿だった。
時を経て無かったものにされた要素や新たに付け足された要素、それらはなぜ生まれたのか?おとぎ話に求められたものとは?
原作版と現代版、それぞれの特色と時代背景を挙げながら紐解いていく。

目次

子供に読ませるおとぎ話

おとぎ話、あるいは昔話として有名な作品と言えば何を思い浮かべるだろうか?
海外の話だと「シンデレラ」や「白雪姫」、「人魚姫」あたりもメジャーか。日本の話だと「桃太郎」や「浦島太郎」なども耳馴染みがある。

これらの話は多少の差異があっても大体は幼少期、親や先生から絵本を広げながら読み聞かせてもらったのが最初に触れた記憶かと思う。魔女や鬼など、逆境や困難と対峙した主人公がそれでも仲間と力を合わせ立ち向かい、ついにその行いと努力が報われて最後はハッピーエンドを迎える。

いわゆる勧善懲悪や因果応報・・・「悪は滅び正義が勝つ」「善行も悪行もいずれその身に返ってくる」、おとぎ話は時にそんな「知っておくべき教訓を子供に読み解かせる教材」として扱われてきた。しかし現代に伝わる、あるいは大人である自分たちが読み聞かせてきたおとぎ話たちは、あくまで「子供に読み聞かせられる」「教材として機能する」ようにその内容を変化させてきた代物であることが、原作に目を通すとわかる・・・かわってしまうともいえる。

原作が孕む醜聞と欲

そもそも前章で挙げたおとぎ話たちは、最初から子供に教訓を教える、読み聞かせのために作られた作品ではない。シンデレラや白雪姫などのグリム童話はグリム兄弟が地方を巡り、その土地で伝承されている古い話や民謡を風化させないように、噺集として綴ったのが始まりだ。桃太郎や浦島太郎も、海の向こうの大陸から渡ってきた話の日本風アレンジ版が元だという話もあるが、「絵面と字面が子供に読ませられない」として絵本として編纂される際に大幅に修正されている。

地方に伝わる話を集めたグリム童話は、まだ多少子供用の教訓を含んでいる部分はあるが、日本の話に負けない程の修正が入っている。元は大人が読み、楽しむ娯楽だったのだ。主人公を取り巻く登場人物も、時にはハッピーエンドを掴み取る主人公すらも、教訓とは程遠い醜聞と強欲に塗れた一面を露呈している。

「改訂版では語られないシンデレラの実母の最期」「継母と義姉たちの玉の輿への執念と犠牲」「王子のシンデレラに対する病的な執着」「継母と義姉の最期」。シンデレラだけでも、挙げるとなるほど子供には見せられないディープな要素がキリがない程ある。

日本の昔話など絵に起こせば春画と疑うほどオトナな内容が含まれていて非常に興味深い。上記以外にも薦めたい原作はあるが、あまりに過激な内容である事に加え紙面が尽きるので事細かな紹介は控える。興味が湧いたらぜひ一度調べてみてほしい。

変容するおとぎ話の背景にあるもの

おとぎ話や昔話に含まれる内容はその当時の時代背景を色濃く反映しているものが多い。
白雪姫に登場する「魔女」は白雪姫の母の変装した姿だが、当時のヨーロッパで魔女といえば「狩るべき悪しき存在」の象徴であり、白雪姫の美貌に嫉妬し命を執拗に狙う母は醜悪に映り結果魔女として描かれたと考察されている。

現代で勧善懲悪として描かれている・・・限りなくソフトな言い方をするが「魔女や鬼といった悪の存在を弱い立場の主人公が懲らしめる」いわゆる過激要素も、当時の格差社会や弱者が虐げられる世情に対して鬱憤を抱えていた民衆たちには大いに好まれた要素であるといわれている。

作品はいつの時代も民衆に愛読されるためにあるとすれば。おとぎ話が現代に至るまでに重ねた「子供に読み聞かせられるように施された変容点」の数々は、その時代に見合った、愛読されるための「進化」ともいえるのかもしれない。

筆者の推薦は白雪姫とかちかち山

※画像はイメージです。

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