皆さんの中で、雨と泥の戦場と言ったら多くの方はベトナム戦争を連想するのではないでしょうか?
今回は元祖「雨と泥」ともいえるパッシェンデールを紹介したいと思います。
パッシェンデールの戦いとは
パッシェンデールの戦いは大西洋沿岸にあるドイツのUボートの基地を、イギリス、ANZAC、カナダ、南アフリカからなる連合国軍の陸上部隊で占領しようという壮大な戦略から始まりました。
当時はまだ戦略爆撃などが確立していませんので、確実に敵の拠点を破壊するのは地上部隊が直接侵攻するしかなかったのも留意すべきではあります。
1917年6月、455トンのアンモナル(硝酸アンモニウムとトリニトロトルエンを主体とする一瞬の爆薬)を爆発させてドイツ軍守備隊1万名を消し飛ばすことに成功し、連合軍は初期目標メシヌ高地を占領します。 これは核爆発以外で人為的に起こされた最大の爆発と言われています。
しかし、パッシェンデールにいたる地表は元々泥濘が多く、両軍の砲撃と雨によって底なし沼と化し、板で作られた仮設橋から外れると溺死の危険性すらある過酷な状況でした。
ドイツの抵抗
しかもドイツ軍はこの反撃に初めてびらん性のマスタードガスを投入しました。
マスタードガスが「イペリット」と呼ばれるのは、パッシェンデール周辺のイーペル地方から由来していると言われます。
このように両軍ともえげつないと言える兵器の投入、そして西部戦線では当たり前になっていた過酷な歩兵突撃でいたずらに死者を増やしていったのです。
戦闘は文字通り、1キロ進むのに1万人が死傷するような消耗戦になっていきました。
連合軍はアンザックスやカナダ軍などを次々と投入して最終的には目標のパッシェンデールを占領することに成功しました。
カナダ軍は泥沼の中を作動不良に陥った小銃をこん棒代わりにして文字通り、白兵戦で進んでいくことを余儀なくされました。
パッシェンデールの街は両軍の砲撃で文字通り更地になっています。
戦争による被害と結果
戦後の空撮から、1平方マイルあたりの砲弾投射量は100万発と推定されています。この戦いで連合軍は5か月で450000人の損害を出しました。
しかし、1918年の春季攻勢でドイツ軍にたった3日でこの周辺を奪回されてしまうのです。
ドイツ軍の反撃で皮肉にもこの地方が戦略的に、数十万の損害を出しても占領すべき価値のある土地でなかったことが証明されてしまったのでした・・・。
eyecatch source:Frank Hurley [Public domain], via Wikimedia Commons
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