現代人の生活様式を激変させたコロナのパンデミックは記憶に新しいですが、中世欧州でもある伝染病が猛威を振るっていました。
その名はペスト、または黒死病。今回は中世ヨーロッパに蔓延したペストの恐怖と、死者の死体を片付けて回った回収人の実態を解説していきます。
第二次パンデミックは14世紀中ごろ~元凶はネズミとノミ
欧州におけるペストの第一次パンデミックは6世紀~8世紀末、第二次パンデミックは14世紀中ごろ……1346年から47年に掛けて。
ノミやネズミを介して広まるのも大きな特徴で、14世紀のパンデミックの発端は西アジアに生息するクマネズミが、十字軍の船に紛れ込んでヨーロッパに移り住んだせいとされています。
黒死病(black death)の由来は感染すると全身に黒い斑点ができることから……というのは俗説に過ぎず、現在の研究によると、14世紀当時は「大多数の病」「こぶの病」と呼ばれていたそうです。黒死病の呼称が定着したのは少なくとも18世紀以降で、黒歴史や黒魔術と同じく、「黒」の不吉なイメージに由来すると言われています。
ペストは腺ペスト・敗血症ペスト・肺ペストの三種に分けられ、治療をせず放置すれば、僅か数日で死に至ります。肺にペスト菌が侵入する肺ペストに関しては、発症後24時間内に危篤に陥りました。
通常のペストはネズミやノミが媒介しますが、肺ペストはペスト菌を含む咳を介し、人から人へと感染します。
なお腺ペストの死亡率は75パーセント、敗血症ペストと肺ペストの死亡率は100パーセントにも及び、当時のヨーロッパの人口3分の1が死亡しました。わかりやすい不治の病です。
付け加えると当時のヨーロッパ人口は約1億人とされているので、3300万人が死亡した計算になります。
ジョヴァンニ・ボッカッチョ『デカメロン』に見るペストの惨状
中世のペストの恐ろしさを知りたければ、ジョヴァンニ・ボッカッチョの名著『デカメロン』を読んでください。
本作はフィレンツェ版アラビアンナイトとも言える筋立てで、ペストの脅威から逃れて田舎の豪邸に疎開してきた男女10人が、10日間に亘って様々な物語を話していくのが肝。
ボッカッチョの前書き曰く、14世紀フィレンツェではペストが猖獗を極めていました。町の教会には連日大量の死体が運び込まれ、遂には墓地が足りなくなり、即席で掘った穴に並べ、薄っすら土を被せるだけで済ませるようになります。
ペスト感染者の共同墓地(マスグレイヴ)を近年発掘した所、最下層の死者が白い布に包まれ等間隔に埋葬されていたのに対し、上の層の死者はただ乱雑に投げ入れられていました。町中にペストが蔓延し、だんだん死体の処理が追い付かなくなっていったのでしょうね。
酷い場合は教会の修道士が全滅した所もあったようで、葬儀を取り仕切る人間はおろか、力仕事担当の墓掘り人すら不足していました。
結果として罹患者や家畜の死骸とその屍肉を漁る野良犬があふれ、生き残った人々は家に引きこもり、ひたすら神に祈りを捧げたそうです。彼等にとってのペストは神が与えた罰である為、それしか生き延びる術が見当たらないのでした。当時の人々は感染者の着衣や私物に触れただけでペストが伝染ると信じ、『デカメロン』には死体の服を嗅いだ豚が2匹、その場で倒れて死んだ描写が綴られています。これはさすがに誇張した表現でしょうが、感染力の凄まじさが伝わってきますね。
ペスト蔓延の裏にあった教会主導の猫殺しとモンゴル軍の反撃
ペスト蔓延の原因となったネズミの大繁殖の背景には、教会主導で行われた猫殺しがありました。
中世の教会は猫を悪魔の化身として忌み嫌い、捕まえ次第火炙りにするなどして迫害しました。猫の気まぐれな性質もまた、悪魔的と見なされたのかもしれません。15世紀の教皇・インノケンティウス8世はとりわけ猫を憎み、その飼い主まで火炙りや水責めで罰しました。『最後の晩餐』ではユダの傍らに猫が置かれるのがお約束。ベルギーの祭りカッテンストゥッツでは、教会の鐘楼から猫を投げ落としますが、これも中世の迷信が関係しています。
ネズミを駆除する猫が激減したせいで欧州全域にペストが広まったとする考えは、なるほど説得力がありますね。猫にとっては受難の時代です。
別の説として挙げられるのは、1347年10月に起きたモンゴル軍によるカッファ包囲戦。
その当時欧州にまで勢力圏を広げたモンゴル軍は、黒海の港町カッファを包囲していた。カッファは都市国家ジェノヴァの植民地であり、沿岸部の要衝を兼ねていました。
カッファの兵士ならびに住民たちは市壁を築いた町に籠城し、実に2年もの間モンゴル軍と睨み合っていました。ところがカッファ陥落が目前に迫ったタイミングで、モンゴル軍が突如として撤退の準備を始めます。
漸く戦争が終わると市民たちが油断した瞬間、巨大な市壁越しに何かが投げ込まれました。
それはモンゴル軍がカタパルトで投射したペスト罹患者の死体でした。早い話が細菌兵器です。モンゴル軍の嫌がらせの効果は抜群で、哀れな市民たちは相次いで倒れ、数日内に息を引き取りました。してみると第二次パンデミックの予兆は、カッファから始まっていたのかもしれません。
身分の低い者の汚れ仕事と蔑まれた死体回収人の現実
中世におけるペストのパンデミックにおいて暗躍したのが、町から町へ死体を回収して歩く人々……死体回収人でした。
ペスト蔓延で墓掘り人が不足した教会は死体回収人を雇い、埋葬を頼みました。罹患者の死体は共同墓地に埋められましたが、そこが満杯になると手押し車に積まれ郊外へ遺棄されます。末期には運搬の時間さえ惜しみ、セーヌ川などの運河に放り込んでいました。
死体回収人は不吉な黒衣に身を包み、カラスに似せた異形のマスクのくちばしに香草を詰めていました。このマスクはペストマスクと呼ばれ、死体回収人のシンボルになっています。
くちばしに詰めた香草は腐敗した死体の悪臭と瘴気を防ぐ為。瘴気とは病の原因として当時の人々が信じていた悪い気を指します。いわば魔除けのようなものにすぎず、医学的予防効果は全くありません。
くちばしに詰めるものとして好まれたのは没薬・竜涎香・ミント・バラなど。
ヤギ革製のガウン・帽子・手袋は防護服の機能を帯び、木の杖は訪れを告げる合図と死体の確認に使われます。くちばしの長さは平均15センチほどで、鼻腔近くに開いた穴から空気を取り入れることができました。
なお現在よく知られるペストマスクの考案者は17世紀フランスの医師、シャルル・ド・ロルムとされ、イタリアの即興演劇「コメディア・デラルテ」で一躍注目を浴びました。
死体回収は非常に危険で過酷な労働の上、ペストに感染して死ぬ者が後を絶ちませんでした。故に身分が低く貧しい者が誰もやりたくない汚れ仕事を担わされ、回収時には行きがけの駄賃とばかり、強盗・強姦などの犯罪を行います。彼等はベッキーニと侮蔑されるならず者たちで、一部の死体回収人はシャベルを担いで町を練り歩き、真っ昼間から飲んだくれていたそうです。
死体を始末する見返りに遺族から賄賂を受け取るなどして荒稼ぎしていた者も多く、「言うこと聞かなけりゃペストを伝染すぞ」が脅し文句でした。その一方で弔鐘を鳴らし馬車を駆る死体回収人たちがいなければ、ペストによる犠牲者はもっと増えていたかもしれません。
中世の必要悪だった死体回収人の功罪
以上、パンデミックの裏で暗躍していた死体回収人の実態でした。
その出自から完全な善人とは言い切れない彼等ですが、死と隣り合わせの危険な仕事に臨み、ペストの蔓延を瀬戸際で食い止めた献身には、心からの敬意を払いたいと思います。
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