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「シェル・ショック」現代のPTSDとは?

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2022年現在の世界ににおいてPTSD(心的外傷後ストレス障害)とは、対象者がその生命の危機に瀕するような体験から発症する精神疾患だと、一般的にその用語や意味が浸透しつつあると思われる。
しかし数多くの精神疾患と同様にそうした存在が広く社会に認知されるに至ったのは、僅かに1980年代以降のここ40年程の事であり、それまでとは比較にならない程の犠牲者を生んだ2度の世界大戦時にはまだ理解されていなかった。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)は戦争のような戦闘行為に留まらず、大規模な自然災害や事故、人為的な事件、果ては幼少時の虐待等まで広く要因となる事象があり、人は誰でもその対象になり得る。
日本で言えば2011年3月に発生した未曾有の大災害である、東日本大震災の被災者の方々などが近年では挙げられると思うが、その要因が戦争にある同疾患について少し振り返っていきたい。

目次

第一次世界大戦の塹壕戦が生み出したシェル・ショック

1914年に始まった第一次世界大戦は、ドイツとオーストリアの中央同盟国とイギリス・フランス・ロシアの協商国の対立であり、両陣営に世界各国が分れてヨーロッパを主戦場として瞬く間に大戦争に発展した。
第一次世界大戦は、戦車や毒ガスや潜水艦など各種の新兵器が次々と実戦に投入された戦いとして名高いが、最も従来の戦争から戦いの形態を変えたのは各種の機関銃の普及で、歩兵はこれを避ける為に塹壕で対峙した。
双方が塹壕にこもって膠着した戦場では常にその頭上には砲弾が飛び交い、前線でそうした状況に絶えず晒された兵士達の中には視覚障害、聴覚障害、また今で言う心神喪失状態に陥るケースが多発した。

これらの症状をきたした兵士に対して、当時の軍医等はその原因は絶え間なく飛び交う砲弾にあると考え、1917年にイギリスの医師で且つ心理学者のチャールズ・マイヤーがこうした症状をシェル・ショックと命名した。
但しシェル・ショックとは今日のような精神疾患ではなく、物理的な砲弾の炸裂や衝撃波によって脳自体や神経系に異常が生じたものと考えられ、あくまで見えない部位の怪我であるとの推察が一般的だった。

1918年にようやく第一次世界大戦はドイツの敗北で終了したものの、実際の戦闘が終結して以後もシェル・ショックの症状を示す人々が発生したが、医学的にはその真の原因の解明には至る事はなかった。
医師や医学ですら追い付いていないこの時代には、概ね軍の当事者らにとってシェル・ショックは、言うまでもなく士気の低い者が示す反応であり、顧みられる事も対策が講じられる事も当然なかった。

第二次世界大戦時の連合国の研究

第一次世界大戦においてはシェル・ショックとの呼称が付いた症状だったが、そこから医学的な水準の向上と並行して今度は1939年から起こった第二次世界大戦の後期には、戦闘部隊の効果的運用を目指したアプローチがなされる。
これは1944年6月に行われた史上最大のオーバーロード作戦、所謂ノルマンディー上陸作戦に参加した連合軍兵士を対象に実施され、以後の軍事作戦において戦闘部隊の最適な効率を探る意味で行われたものである。

その結果、戦闘部隊の兵士の戦闘に対する効率は、大きく4つの段階に分けられる事が報告されており、①が適応で約10日間、②が最大効率に達する約20~30日間、③が効率低下で約10日間、④が戦闘不能で約10日間とされた。
この結果からは戦闘部隊は投入から30日から40日で最も高い戦闘能力を発揮するが、それ以後は効率の悪化局面に入り、凡そ50日が経過して以後は戦闘効率は極端に下がり機能しなくなると言う結論が出された。

こうした研究を経て更に1950年から始まった朝鮮戦争時には、かつてのシェル・ショックは医学的には精神疾患であるとの認識が広まっていくが、これが社会的に認知されるのはベトナム戦争後の1980年代まで時間を要す。
アメリカでは主として1960年後半から1970年代前半にベトナム戦争に従軍した兵士達が、帰還後の日常生活に際して重篤な精神疾患を発症するケースが増加、これをPTSD(心的外傷後ストレス障害)と呼んで現在に至る。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断される症状

PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断される症状には①精神的な不安感や不眠、②トラウマ(心的外傷)の元となった物・事象への回避的傾向、③トラウマ(心的外傷)体験の一部若しくは全体の記憶回帰が挙げられる。
これら3つの症状が少なくとも1ケ月以上継続している事がPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断され得る条件となっており、こうした症状自体は既に1930年代のアメリカの医師・ハリー・スタック・サリヴァンが定めていたものである。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)の発症にはこれまで述べて来たような戦争への従軍経験など、極めて過酷で強力な恐怖を感じる体験が根底にあり、その反動としての虚無感や多幸感の喪失が対象者に見られる事が多い。
こうしたPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱える対象者の多数が鬱病等の精神疾患を合併して発祥しているケースが多く、従って薬物による治療も同様に抗鬱薬が用いられるなど、対症療法の手法も重複している。
鬱病等の精神疾患とPTSD(心的外傷後ストレス障害)はこのように治療に用いられる薬物も同種のものが多いが、その効果についても同様の側面を持ち、症状の重さにもよるが服用によって完治するケースは少ない。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)を要素に取り入れた映画「ランボー」

前述のようにアメリカにおいてはベトナム戦争に従軍した帰還兵の多くがPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症した事から、1980年代以降に急速にその精神疾患の社会的な認知率が向上した状況にあった。

そうしたアメリカの状況と呼応するかのように1982年に公開されたアクション映画「ランボー」があり、1976年公開の「ロッキー」で肉体派俳優としての知名度を高めていたシルベスター・スタローンのもうひとつの代表作となる。
「ランボー」はシルベスター・スタローンが演じる元グリーン・ベレー所属のベトナム帰還兵を主人公とした作品で、彼はベトナムでの過酷な戦争体験から度々その恐怖の記憶回帰を伴うPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えていた。

アメリカに帰還した「ランボー」はベトナム戦争を共にした戦友に会いに田舎町を訪れるが、その町の閉鎖的な体質を体現した保安官によって理不尽な扱いを受けた為に山に逃げ、追手の保安官らとの戦いを余儀なくされる。
「ランボー」はこのようなベトナム帰還兵の抱えるPTSD(心的外傷後ストレス障害)を要素に取り入れた社会派の作品だったが、興行的には大ヒットせず、2作目以降は超人的な戦闘力を持つ主人公の単なるアクション作へと大転換した。

益々対象の範囲が広がる恐れのあるPTSD

僅か100年程前でしかない第一次世界大戦時にシェル・ショックと呼ばれた症状は、第二次大戦、ベトナム戦争と時代が進み、医学や研究の発達によって現在ではPTSD(心的外傷後ストレス障害)として精神疾患のひとつとして認識されている。
しかしこれまでのPTSD(心的外傷後ストレス障害)は、対象者が自身の体に直接の被害が及ぶような過酷な体験を経た後に発症する事が主であったが、最近ではその傾向にも更に変化が見られると言う。

これは2000年代のアメリカで中東の戦場における無人航空機の操作を担当する軍人らにもこうした症状が確認され始めた為で、実際の戦地には赴かずにアメリカ本国の基地で無人航空機の操作を行っている中からも発生している。
こうした状況からは自身の体に直接の被害が及ばなくとも、敵を攻撃する事への罪悪感や、犠牲となる光景をモニター越しに目にする事だけでもPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症する可能性も指摘され始めている。

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