明治天皇の皇后、昭憲皇太后

歴史上の人物のなかで、あまり目立たないような存在なのに、突如キラッと光ってびっくりする人がいます。
今回はそういう方をご紹介しますね。

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明治天皇の皇后

明治天皇の皇后は、一条家の出身で美子(はるこ)というお名前です。
明治天皇よりも3歳年上で、子供が生まれなかったこともあるのか、失礼ながら影の薄い存在であまり取り上げられることがありません。
この昭憲皇太后について注目したのは、ある歴史の教授の教育テレビでの講座番組を見たときでした。
たしか外輪船がどう進むかというのをお付きの人が説明した後、昭憲皇太后はすぐにそれを和歌に詠まれたという逸話の紹介でした。
その教授が、とても嬉しそうに目を細めて微笑みつつ話される様子で、かなり昭憲皇太后に思い入れがあるのが伝わってきたのです。

私はそれまで、昭憲皇太后は、宮中の奥深くに住むお飾りの人形的な印象を持っていました。
が、意外にも文明開化の現場に行って、船がどうやって推進しているか興味を持ち、しかも解説を理解する能力があることにびっくりしました。
その後、実子は生まれなかったが、大正天皇が生まれると養子にして実子のようにかわいがったため、大きくなった大正天皇が、昭憲皇太后の実子でないことを知って意気消沈した話もどこかで読みました。
駐日イギリス公使夫人の書いた「英国公使夫人の見た明治日本」にも、昭憲皇太后との謁見の様子があります。
イギリスから来た女性は昭憲皇太后には知的な印象を持ったが、子供のことを聞くときは悲しそうにみえたとか、赤十字や女子教育に熱心だという話も登場していました。
昭憲皇太后は、外国からの外交官夫人たちとも立派に応対し、尊敬を受けていたのがうかがわれました。

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ニコライ皇太子

そして大津事件でロシアのニコライ皇太子が傷を負ったときのことです。
明治天皇は即座に神戸港のロシア帝国の軍艦にお見舞いに行ったが、昭憲皇太后はロシアのニコライ皇太子の母、マリア皇后に電報を打って無事を伝えたということ。
昭憲皇太后は毎日のようにマリア皇后に電報を打ち、心配する母親の身になって慰めたという話は、かなり驚きでした。
このとき、明治天皇がニコライ皇太子を見舞うためにロシアの軍艦に乗り込んだのですが、側近はそのまま天皇がロシアに連れていかれるのではと心配してとめたのを明治天皇は振り切り、とにかくニコライ皇太子を見舞って誠意を示したと言われています。
こういう普通でない出来事が起こったとき、自分に出来ることで正しいことがしっかり出来ている。
これは優秀な側近もいたはずですが、ご本人の有能さがないとなかなかできないことでしょう。

そして昭憲皇太后といえば、日露戦争の前夜に、30代の武士が昭憲皇太后の夢枕に立ち、海軍を守ると誓った話も有名です。
昭憲皇太后は、この武士が誰かわからなかったので、宮内大臣の田中光顕(土佐藩生き残り)に聞いたそう。
後日、田中が坂本龍馬の写真を差し上げたところ、この男であると言われた、という話があります。
これが新聞に載ったので国民の士気が上がったとか、明治維新以来忘れられた存在だった坂本龍馬の復活の契機となったという話となっています。
これが作り話か事実かは不明だし、皇后の夢枕なんて龍馬らしくないぜよという声もありますが、龍馬もこのお賢い新時代の皇后陛下に会ってみたかったのかもしれない、なんて考えてしまいます。

それまでとの違い

明治天皇はそれまでの天皇が御簾のなかに鎮座されていたのとは違い、明治維新後に日本全国行脚で顔見世をして存在感を出し、ヨーロッパの王室的に白馬にまたがって軍隊を閲兵するという、天皇の在り方を180度変えることを余儀なくされました。

その皇后である昭憲皇太后も同じく、それまでの伝統とは真逆に人前へ出て社交をし、チャリティー活動にも取り組みというヨーロッパ王室的な役割を開始し、そのお役目を十分すぎるほど果たしていたのです。
このことは今後もっと取り上げられるべきなのではと思います。

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