なぜ日本軍が強い戦車を持っていなかった理由を考察します。
背景
日本陸軍は戦車を重量10t未満の軽戦車、重量10t以上20トン未満の中戦車、重量20t以上の重戦車の3種に区分していました。他に軽戦車よりもさらに軽量な戦車みたいな形の軽装甲車、通称豆戦車も保有しました。
しかし実際に太平洋戦争で使用された戦車の総生産数をみると、軽戦車と中戦車がそれぞれ約2500両ずつ、豆戦車が約500両であるのに対して重戦車は戦前に4両生産しただけで、試作戦車を除くと戦争中には1両も作っていません。
どうして日本は重戦車を量産しなかったのでしょうか。
日本軍に重戦車はほとんど(旧式の4両しか)ありませんでしたが、他国の重戦車に搭載されたのと同じぐらいサイズの大砲はありました。90式野砲(口径75㎜)や96式榴弾砲(口径150㎜)などです。
戦車を作るよりも大砲とその大砲を載せて移動させるための台車だけを作り、馬や車で引っ張って移動させた方が安上がりで限られた資源量で大量に生産できます。
考察
例えば日本陸軍が量産した九〇式野砲の重量は1.6t程度ですが、この砲を主砲に転用した3式中戦車という戦車の重量は18.8tです。九六式15㎝榴弾砲の重量は4.14tですが、この砲を主砲として搭載する予定だった試製オイ車という戦車の重量は150tです。
戦車を1両作るためには、その戦車が積んでいる砲を10門~30門ほども作れる量の資源が必要なのです。
終戦までに生産された九〇式野砲の数は約800門ですが、3式中戦車の生産数は166両です。砲は同じなので、火力なら166両の戦車より800門の野砲の方が5倍ほど優れていますが、生産に必要な資源の量は166両の戦車の方が800門の野砲の3倍近く多いのです。
96式15㎝榴弾砲は500門以上が生産されましたが、オイ車は採用されることなく試作のみで終わっています。
まとめ
資源が乏しい日本が重戦車を量産せず大砲だけを量産し、馬や車両で曳いて運用したのは、当時の状況にあった合理的な判断だったといえます。
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コメント一覧 (1件)
重戦車作っても乗せる船も積み出す港も無かったからだよ。