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謎が深まる三種の神器?!

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三種の神器について調べたら、想像以上に謎めいていたのでご紹介しますね。

三種の神器と聞かれて、「電気蔵庫・電気洗濯機・テレビ」と答えた人は団塊の世代、「カラーテレビ、クーラー、自家用車」と答えた人は団塊ジュニア?、どちらもこてこての昭和生まれの人でしょう。しかし本物の「三種の神器」とは、八咫鏡・天叢雲剣(草薙剣)・八尺瓊勾玉の総称で、古来から天皇の象徴として現代の即位式でも継承されるものです。

この鏡と剣と勾玉の組み合わせは、古代の王の象徴であったらしくて、古墳や遺跡から出土するということがわかっています。

目次

三種の神器の由来

八咫鏡と天叢雲剣(草薙剣)と八尺瓊勾玉の由来は、神話の時代にさかのぼります。

八咫鏡と八尺瓊勾玉は、あの天照大御神が天岩戸に隠れた時に神々が色々な手を使って天照大御神を外に出そうと、ストリップまでやって騒ぎ、岩をちょっと開けて様子を見た天照大御神に差し出した鏡で、八尺瓊勾玉もそのときに八咫鏡とともに作られて榊の木に掛けられたそう。

そして天叢雲剣(草薙剣)は、スサノオノミコトが出雲の国で退治したヤマタノオロチの尾から出てきたもので、天照大御神にプレゼントしたのち、天孫降臨のときに天照大御神がニニギノミコトに持たせたと「古事記」にのっているのです。
これを事実だと信じている人はいるのでしょうか?

というのも、天孫降臨はともかく初代神武天皇が実在したとは考えにくく、10代崇神天皇以降、いや15代応神天皇以降、いやいや26代継体天皇以降だろうと歴代天皇の存在もあいまいで、三種の神器を即位に使った記録もはっきりしないことだらけだからです。しかしこの「三種の神器」は実際に、皇居の現天皇の居室の隣の部屋の「剣璽の間」に置かれていて、1日以上天皇が皇居を離れる場合は、同じ車の後部座席に鎮座して移動するのです。

三種の神器の形は解らない?

・・・ですが不思議なことに、この「三種の神器」をはっきりと見た人はおらず、どんな形をしているのかもわかっていないし、「ご神体」なので人目に触れてはいけないとされ、見ると祟りがある話すらあります。

有名なのは、壇ノ浦での源平合戦で平家の安徳天皇とともに海に沈んだが、鏡と勾玉だけが引き上げられ、剣は海の底に沈んだというもの。しかし、それまでにも平安時代に何度も火災にあって、鏡は灰になって箱に入っているという話で、天皇の側にある「三種の神器は」形代(レプリカ)で、本物は伊勢神宮と熱田神宮にあるということなんです。

その伊勢神宮の神体とされている本物の「八咫鏡」は、御桶代という密閉された箱状の容器に入って祀られて、神宮式年遷宮でも、夜間、人目に触れぬよう白布で覆って移御する行列が組まれるということなんです。

三種の神器の不思議な話

この鏡がご神体の伊勢神宮と、剣がご神体の熱田神宮には不思議な話があります。
伊勢神宮は、太平洋戦争中に3回も空襲の標的にされトラック3台分くらいの焼夷弾が撃ち込まれたのに、ほとんど被害がなかったということなのです。

そして熱田神宮に祀られる草薙剣は天智天皇の頃に新羅の僧が盗んだが、一度目は神剣がひとりでに戻ってきて、2度目は船が難破して日本に回収されたとか、天武天皇は宮中に草薙剣を置いた祟りで病気で亡くなったという話もあります。
他にも徳川綱吉の時代に熱田神宮が大改修されたとき神剣の櫃を新調して移す際、神官たち数名が神剣を盗み見たので数年のうちに祟りで死亡したという話もあったりして、神秘さを感じるのです。
この時、記録に残した文書は考古学者の貴重な資料になっているのですね。

いやあ、古来から継承されたものは神秘的ですが、謎のままにしているのも21世紀らしくない、それに現在の皇室を見ていると三種の神器のお守りがあるとは思えないです。
古墳やその他の歴史的な調査を行って古代の歴史研究に役立てた方がと思う次第であります。

※画像はイメージです。

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