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「トリノの聖骸布」の最新研究

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2000年前のイエス・キリストの遺骸を包んでいた布と伝わっている「聖骸布」。

この真偽についてはこれまでも様々な説がありましたが、専門誌「法科学ジャーナル」において発表されたイギリスのリバプール大学の研究報告によると、「聖骸布」に付着していた血痕の流れからみてイエスの遺体を包んだ布の可能性はないとの結論が出たそうです。

Shroud of Turin [Public domain], via Wikimedia Commons

そもそも「聖骸布」は1353年にフランスのリレで発見され、1453年にサヴォイ家が入手、トリノに移した後に1983年にサヴォイ家からローマ法王に所有権が引き渡されたという経緯を持ち、現在はトリノ大司教が管理をしています。

この通称「トリノの聖骸布」と呼ばれる高名な布は、縦4・35m、横1・1mのリンネルです。その布がキリストの遺体を包んだものかどうかの真偽については、これまでも様々な意見があり、複数回に渡り科学的調査が行われてきました。現在では「その布が十字架で亡くなったイエスの遺体を包んだもの」とは断言はできていないものでした。

Giuseppe Enrie, 1931 [Public domain], via Wikimedia Commons

1988年に実施された放射性炭素年代測定からは、「トリノの聖骸布」の製造時期は1260年から1390年の間という結果が出ていました。これが正しい場合、イエスの遺体を包んだ布ではなく、単なる中世時代の布という事になりますが、その後、2013年に再度詳細に行われた調査の結果では、紀元前33年頃という年代が示唆されていました。

「聖骸布」に映った人物を調査した学者は「手、首、足には貫通した跡があった」と発表し「遺体は伸長180cmの男性だった」と指摘され、「トリノの聖骸布」やはり本物と考える事もできるとされていました。

■ 16世紀の画家ジュリオ・クローヴィオの絵画
Giulio Clovio [Public domain]

今回の調査では、ボランティアやマネキンを使用すると同時に、血痕分析(BPA)などの技術を用いて、左手、前腕、および聖書おいての槍で突かれたわき腹の傷から出た血液の流れと、胴付近の血痕に限定して分析を行ったそうです。

具体的には、ボランティアの手首に細いチューブを挿入して十字架に打ち付けられる際に釘が挿入したときの流血を再現し、槍の傷についてはマネキンを使用したそうです。これらを最新機器で測定したところ、血液の流れる方向と流れ方が高解像度カメラで撮影した布から検出されたものと一致しなかったという事です。キリスト教における真贋論争に新たな展開が巻き起こりそうです。

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